72.逃げ道
文字数 1,483文字
翌朝、シグラが運んできた朝食を食べた後、「今日の分」と言い渡された魔石に魔力を注入する紡久を待って、侑子は廃墟の中を案内した。
侑子達が寝泊まりし、兵器開発の拠点として使われている建物だけが例外で、敷地内は手入れされていない廃墟のままだ。
路地も建物もひどく荒廃していて、至る所に草木が侵食している。それでも侑子が二度目の来訪を果たした直後よりもすっきりした印象を受けるのは、研究所の建設資材を運ぶ為に、ある程度の通り道を整備したからなのだろう。
しかしそれも数ヶ月前の事だ。人の手が入らなくなった場所から、再び荒廃は始まっていた。
「結構広いんだね」
歩きながら紡久は辺りを見回していた。
「遊園地になるはずだったんだって」
「だからか。遊具の形は結構残っているものなんだね」
メリーゴーランドの残骸の横を通り抜けた。錆で赤茶けた白馬の目が、二人の背中を見送った。
侑子は迷いなく進む。
時折足を止め、透明な壁に触れながら。
どこまでがこの廃墟の境界なのかを、確認していった。
二人の足は、ある場所で止まる。
「紡久くん、ここだよ」
朽ち果てた、小さな四角い建造物。
ドアも窓枠も残っていないその建物は、侑子が去年、再びこの世界にやってきた時に初めに足をつけた場所だった。
「私が二回目に出たの、ここからだったの」
出入り口と思われる縦長の穴の向こうに、枯れ葉と雑草で覆い尽くされた空間が見える。
前回この場所を見返した時は夜で、今とは大分印象が違った。
紡久は出入り口のぎりぎり手前まで足を進めると、中を覗き込んだ。
「向こう側も遊園地だったんだっけ」
「そう。ミラーハウスの出口から繋がってたみたい。アトラクションから出ようとしたら、この場所にいたの」
あの時と大体同じ位置に立ってみる。足元には硝子の残骸が散らばっていた。
侑子が踏みしめて割った硝子も、あのままだろう。
「……まだ繋がっているのかな」
「扉は一度きりじゃないの?」
「どうだろう」
二人は並んで、しばらくの間、ぽっかりと開いた出入り口を見つめていた。
侑子の耳に、あの日の遊園地の喧騒が蘇る。
足元の段差に注意を促した係員の声。
「狭いから一列で行こう」と言った裕貴の声。
彼の手の上に置いた自分の手、ポップコーンの甘い香り。
手指消毒と密を避けるよう注意喚起する、園内放送。
「もしも……もしも鍵の神力が残っていたら、ここを通ってまた元の世界に戻れるかもしれないよ……六年前のリリーさんの部屋みたいに。この場所から逃げられるかも」
紡久の言葉に、侑子は彼の方へ顔を向けた。
今もここから繋がったままだったとしたら。
向こう側には、侑子たちがかつて暮らしていた日常が、存在しているのだろうか。
「やってみる?」
「やるわけないよ」
侑子は即答して、笑った。
ジャケットのポケットに手を入れると、丸いコンパクトミラーに触れた。それを握り込んで、手を離す。
「私はこの世界で生きていくって決めたから……ユウキちゃんのいるこの世界で。ここから離れるなんて、もう考えられないよ」
「そっか」
「紡久くんは?」
「俺も戻る気持ちには、ならないな」
侑子はそこから立ち去る前に、再びその小さな建物のドアに目をやった。
向こうの世界の人々のことを考えた。
自分が突然消えたことによって、きっと大騒ぎになったことだろう。裕貴や家族は、悲しんでいるだろうか。
――ごめんなさい。ごめんなさい……でも、戻れない
背を向けて前を見据えると、大きな観覧車の向こう側に、研究施設が見えた。
――兵器なんて使わせない
完成させるものか。
侑子は心の中で、再度断言したのだった。
侑子達が寝泊まりし、兵器開発の拠点として使われている建物だけが例外で、敷地内は手入れされていない廃墟のままだ。
路地も建物もひどく荒廃していて、至る所に草木が侵食している。それでも侑子が二度目の来訪を果たした直後よりもすっきりした印象を受けるのは、研究所の建設資材を運ぶ為に、ある程度の通り道を整備したからなのだろう。
しかしそれも数ヶ月前の事だ。人の手が入らなくなった場所から、再び荒廃は始まっていた。
「結構広いんだね」
歩きながら紡久は辺りを見回していた。
「遊園地になるはずだったんだって」
「だからか。遊具の形は結構残っているものなんだね」
メリーゴーランドの残骸の横を通り抜けた。錆で赤茶けた白馬の目が、二人の背中を見送った。
侑子は迷いなく進む。
時折足を止め、透明な壁に触れながら。
どこまでがこの廃墟の境界なのかを、確認していった。
二人の足は、ある場所で止まる。
「紡久くん、ここだよ」
朽ち果てた、小さな四角い建造物。
ドアも窓枠も残っていないその建物は、侑子が去年、再びこの世界にやってきた時に初めに足をつけた場所だった。
「私が二回目に出たの、ここからだったの」
出入り口と思われる縦長の穴の向こうに、枯れ葉と雑草で覆い尽くされた空間が見える。
前回この場所を見返した時は夜で、今とは大分印象が違った。
紡久は出入り口のぎりぎり手前まで足を進めると、中を覗き込んだ。
「向こう側も遊園地だったんだっけ」
「そう。ミラーハウスの出口から繋がってたみたい。アトラクションから出ようとしたら、この場所にいたの」
あの時と大体同じ位置に立ってみる。足元には硝子の残骸が散らばっていた。
侑子が踏みしめて割った硝子も、あのままだろう。
「……まだ繋がっているのかな」
「扉は一度きりじゃないの?」
「どうだろう」
二人は並んで、しばらくの間、ぽっかりと開いた出入り口を見つめていた。
侑子の耳に、あの日の遊園地の喧騒が蘇る。
足元の段差に注意を促した係員の声。
「狭いから一列で行こう」と言った裕貴の声。
彼の手の上に置いた自分の手、ポップコーンの甘い香り。
手指消毒と密を避けるよう注意喚起する、園内放送。
「もしも……もしも鍵の神力が残っていたら、ここを通ってまた元の世界に戻れるかもしれないよ……六年前のリリーさんの部屋みたいに。この場所から逃げられるかも」
紡久の言葉に、侑子は彼の方へ顔を向けた。
今もここから繋がったままだったとしたら。
向こう側には、侑子たちがかつて暮らしていた日常が、存在しているのだろうか。
「やってみる?」
「やるわけないよ」
侑子は即答して、笑った。
ジャケットのポケットに手を入れると、丸いコンパクトミラーに触れた。それを握り込んで、手を離す。
「私はこの世界で生きていくって決めたから……ユウキちゃんのいるこの世界で。ここから離れるなんて、もう考えられないよ」
「そっか」
「紡久くんは?」
「俺も戻る気持ちには、ならないな」
侑子はそこから立ち去る前に、再びその小さな建物のドアに目をやった。
向こうの世界の人々のことを考えた。
自分が突然消えたことによって、きっと大騒ぎになったことだろう。裕貴や家族は、悲しんでいるだろうか。
――ごめんなさい。ごめんなさい……でも、戻れない
背を向けて前を見据えると、大きな観覧車の向こう側に、研究施設が見えた。
――兵器なんて使わせない
完成させるものか。
侑子は心の中で、再度断言したのだった。