25.世界ⅰ揺らぎ

文字数 1,211文字

 夏至も近づき、日は長くなっていた。
川面を輝かせる陽の光はまだ白色で、その明るさと、辺りの草の香りが初夏を感じさせる。

 歌声が真っ直ぐに伸びていった。
侑子の声は曇りがなく、若々しい高さを保ったままでも脆さを感じない。一度捉えた場所に向かって、振れることなく突き抜けていく。


――きれいだな

 リズムを取りながら動く細い指先が目に入って、裕貴は目を細めた。
 声に聞き入っていたはずの意識が、いつの間にか侑子の横顔を見つめることに集中してしまっている。

「どうだった?」

 歌い終わった侑子がこちらを向いたので、視線同士はすぐにぶつかった。

 裕貴は目を見開くと、少しだけ目線をずらして「ああ」と言葉になりきらない声を出した。

「良かったよ。良い歌だよね」

 実は終盤は歌に集中せずに、侑子の顔ばかり注視していたとは言えない。

「もっと歌い込みたいな」

 微笑んだ侑子の顔から目を離し難くなる。裕貴はそんな自分の挙動を誤魔化すように、会話を繋ごうとした。

「この曲書いた人って、どんな人なの? ゆうちゃんの友達なんだよね」

「うん」

 裕貴としては何の気なしに口からでた質問だったのだが、侑子は深く思案するような表情を浮かべていた。

 意外な反応に首をかしげて言葉の続きを待っていると、侑子は裕貴から視線を外して川面の方へ顔を向けた。

「歌うことが大好きな人、かなぁ」

 ようやく出てきた説明にしては平凡な単語だったが、あえてそんな風に表現したようにも聞こえる。侑子の表情が見えないので、裕貴には真意は分からなかった。

「前の学校の友達とか?」

「ううん」

「ギタースクール仲間?」

「ううん」

 煮えきらない侑子の反応に、裕貴の方はその人物に対して興味が湧いてきた。

「……本当はやっぱりゆうちゃんが作った曲だったり」

「まさか!」

 否定して大きな声を出した侑子が笑った。

「こんな曲作れるわけないじゃない。この曲を作った人はね、そうだなあ。とってもカッコいい人だよ」

「男なの?」

 何故か強い衝撃を受けて、開けた口を閉じることを忘れた。

 侑子はそんな裕貴の様子は気にならないようで、彼の言葉に頷く。

「うん。とても歌が上手でね……あんな風に歌えたらなぁ」

 それ以上を追及することは止めておいたほうが良い気がして、裕貴は黙って相槌を打った。
 
 侑子の声が再び音律を刻み始めた。

 川の向こう岸には誰もいないはずなのに、侑子の視線の先には裕貴の知らない誰かの気配が感じられる。

気の所為かもしれないが、そんな言葉で片付けられない熱量が、歌声から伝わってくるのだった。

――誰なんだ? 

 胸の奥がざわざわと騒がしい。

侑子の歌声はいつだって裕貴を楽しい気分にさせたのに、今は違った。
 
 白から少しずつ朱に変わりつつある陽の光は、川面でゆらゆらと絶え間なく揺れている。

水は一箇所に留まらずに流れ続けているはずなのに、止まることのないその揺らぎは、裕貴の気持ちを代弁しているかのようだった。

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