108.役目

文字数 1,058文字

 すごい速さで、下降していた。
水流に顔を撫でられる感触が心地良い。
 ユウキは大きな半魚人の背に乗って、深く深く、海の中を進んでいた。
すぐ隣を、小さな半魚人が同じ速さで泳いでいる。

――海には一度も入ったことないとか言ってたくせに、やけに生き生きしてるじゃないか

 地上での恥ずかしがり屋の素振りはどこ吹く風だ。行き交う魚たちに、手を振っている。
瞳は黒いビロードのように、静かな輝きを湛えていた。

「ユウキ」

 名前を呼ばれた。

「今の声は、お前か?」

 動きが止まった。
海面の光が、頭上の遥か上の方に見えた。海の中は暗闇の筈なのに、ユウキは目の前の二体の半魚人の姿を、はっきりと目視できた。

「私だよ」

 耳あたりの良い、穏やかな波の音だった。しかしその音は、確かに人の声となってユウキの脳内で再生される。
ユウキの前に立つ、大きな半魚人の口が動き、鋭い無数の歯がギラギラと光っていた。

「お前喋れるんだな。俺も……ここは海の中なのに」

 少し前から気づいていたが、ユウキは呼吸することが出来ていた。
視界も鮮明だ。まるで夢の中のように。

「海の中だもの。喋れるさ。私もこのチビも。ユウキ、お前もね。私達は地上では口下手でも、水の中では饒舌なのだよ」

「まさか俺、死んでる?」

 冗談めかして笑ったユウキの問を、半魚人は首を振って否定した。 

「生きている。ユウキを生かしているのは、この国の意思とでも言おうか。ここがヒノクニで、お前が国の民で、尚且つお前にしか出来ない役目を担っているから」

 その時ユウキは、自分の身体がぼんやりと発光していることに気がついた。
半魚人の姿と自分のことがよく見えるのは、光源がユウキ自身だったからなのだ。

「役目……」

 ユウキの手に、小さな水かきのついた手が重なった。

「僕たちを解放してくれるって、言ってたじゃないか」

 波打ち際を走る、子供の足音のような無邪気な音だった。小さな半魚人の声である。

「方法は、もう分かっているんだろう」

 反対側の手に、大きな水かきつきの手が重なる。二体の半魚人達は、期待を込めた目でユウキを見つめた。

 衝動に駆られた。

――歌いたい

 歌いたい

 歌いたい

 思い切り、腹の底から大きな声を張り上げて。

「なあ」

 歌いだしの声を出すのを堪えて、ユウキは二人に提案をした。

「お前たちを救うための歌の前に、俺の歌も聴きたくない? 最後に聞くのがアイツの歌声だけってのは、どうなんだ? 俺の声で俺の歌も歌わせてくれよ」

 表情筋などないはずの魚の顔が、柔らかい色を浮かべたのを、ユウキは確かに見たのだった。
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