70.チケット
文字数 2,693文字
「こういう場所に来たの、久しぶりだな」
「私も前回遊園地来たの、三年前だよ。愛ちゃんや綾先輩達と遊んだ時が最後」
入場ゲートを通過した二人は、人の波に乗って、何となく足を進めていた。
入場制限をかけていない園内は、まだ開場したばかりだというのに、多くの人の声で賑やかだ。
始発の新幹線に乗って、侑子達は遠出していた。
海の見えるテーマパークだった。
三年前に訪れた遊園地は、侑子たちの地元に近い場所にあって、今日訪れているテーマパークとは別物だ。しかしこういう場所特有の派手な色使いのアトラクションや、人々の高揚感が醸し出す雰囲気は、あの時と共通していた。
自然と二人の記憶は、三年前に遡っている。
「あの後からずっと、綾先輩達続いてるんだって」
「そうそう。私もたまに、愛ちゃん経由で聞くよ。なんだか嬉しいよね。二人の出会いに、立ち会えたんだなって気がして」
三年前に遊んだ名目は、グループデートだった。
愛佳が侑子と引き合わせようと企てていた島谷は、その日のうちに綾と恋人同士となり、そのまま今日まで、その関係は継続している。
――あの日、決めたんだ。ユウキちゃんに気持ちを伝えようって
ユウキへの恋心を受け入れて、それを伝えようと決意したのは、あの遊園地だ。
あの時侑子の肌の上で煌めいた、青い鱗――それが紐先に揺れるブレスレットは、今日もバックの中に入れたままだ。裕貴に見せようと考えている。
「愛佳と竜先輩もずっと続いてるし、俺たちの周りって皆長いよな」
「そうだね」
「侑子と俺も?」
握られた手が、ぐいと引き寄せられた。真剣で熱い眼差しが、侑子を見下ろしていた。
「ごめん……今はこの話止めておこう。帰りの新幹線まで。折角来たんだから、とにかく今はとことん遊ぼう」
侑子の返事を待たずに、裕貴は大きく笑うと、繋いだ手を引いて歩き出す。
陽気なBGMに重ねて、マスク着用と手指消毒を促す、注意喚起の園内放送が聞こえてくる。
それが異様にちぐはぐな音の組み合わせに思えて、侑子はどことなく落ち着かなかった。
***
ギターを背負わずに裕貴とこんなに長時間遊び回るのは、あまりないことだった。大抵いつも楽器を抱えながら、気兼ねなく歌える場所や、ケースを広げられる場所を探していた気がする。
――身軽だなぁ
手を繋いで、他愛もない会話で笑い合う。
楽しかった。
元々裕貴とは波長が合うし、音楽の話題でここまで深い話をできる仲間も、他にはいない。
音楽の話題においては、裕貴の祖父母の存在も大きかったが、彼らのことも含め、侑子にとって裕貴は既に掛替のない人だったのだ。
「歌いたいな」
自然と滑り出したその言葉は、思えばユウキと散歩をする時にも、よく口にしていた。
どちらともなく歌を口ずさみ、すぐにもう一つの声がそこに重なる。
気持ちは昂り、目に映る風景全てが、彩度を上げて迫ってきたものだ。
今思えばあの感覚こそ、“魔力が上がる”状態だったのではなかろうか。
気づいた侑子は、なんだか嬉しくなって、隣の裕貴を見上げた。
「歌わない?」
しかし裕貴は、びっくりしたような困惑顔で見返してきた。
「ここで?」
その反応に、冷水をかぶったように侑子は我に返った。
――ここは、ヒノクニじゃない
隣にいるのはユウキではない。
裕貴だ。
心を喜ばせることに素直でいることが当たり前の、魔法の国ではない。
口枷に慣れきってしまった、魔法の存在しない世界なのだ。
「あはは。ごめん、あんまり楽しくなっちゃったから」
侑子はおどけた声を出して笑った。裕貴は不審がることなく、侑子の言葉に微笑み返している。
「侑子はたまに、突拍子なく面白いこと言うよな」
そういうところも好きだよ、と手を握り直した裕貴だった。彼に誘われながら、侑子はただ歩を進める。
裕貴のことが好きなのに。
その気持ちに偽りはないはずだ。
なのに何故、虚しいと感じてしまうのだろう。
***
「ミラーハウスだって」
徐々に園内の混雑が増していき、人気のアトラクションの前には、長い行列が出来上がっていた。
二人は比較的空いていそうな場所を探して、園内を彷徨っていたところだった。
その小さな小屋型のアトラクション前には、全く行列はでいていない。誘導するためのロープも出ておらず、チケットを確認するスタッフが一人、入り口で待機しているだけだった。
「すぐにご案内できますよ」
笑顔でそう声をかけられた侑子達は、自然と入り口に向かって進み始めた。
「入ってみる?」
「うん」
聞けば誘導に沿って中を進むだけのアトラクションらしい。
「そうだ、侑子。これ」
足を止めた裕貴が、小さな包を侑子に手渡してきた。
クラフト封筒にどこかの店の名前が印字されており、中身を確認すると、掌に乗る小さな化粧箱が出てきた。
「本当は誕生日に渡せればよかったんだけど」
「誕生日? プレゼントくれたじゃない」
侑子の誕生日は六月だ。そろそろ一月経つし、誕生日当日には、裕貴から既にプレゼントをもらっていた。大好きなバンドのコンサートへ、連れて行ってもらったのだ。
「二十歳の誕生日なんだし、形に残る物も贈りたかったんだ。ずっと何にしようか考えてて……それ、受け取ってよ。高価な物じゃないからさ。気軽に持っていて欲しいんだ」
箱を開けると、中から緩衝材と一緒に出てきたものは、コンパクトミラーだった。
二つ折りの中を開けると、拡大鏡と通常ミラーが対になっている。
外側には、青い幾何学模様の螺鈿細工が施されていた。
「きれい……」
鱗 を 描 い た その幾何学模様は、青く輝いていて、否応なしに侑子にあの衣装を連想させた。
既視感と美しさに、唖然とする。
「とても綺麗。ありがとう」
驚きが表出しないよう微笑みながら、鏡が写し出す自分の表情を確認していた。
不自然な笑顔ではないだろうか。
「色んな柄があったんだ。選ぶのも楽しかったよ。どれも綺麗だったんだけどさ、侑子にはそれが一番、しっくり来る気がして」
他意のない笑顔。
他意のない言葉だ。
「気に入ってもらえた?」
「うん。ありがとう。大切にするね」
絞り出したように聞こえなかっただろうか。
侑子はミラーを折りたたむと、もう一度表面の青い模様に視線を走らせた。
虹色に輝く繊細な線が、規則的に湾曲しながら鱗模様を描き出していた。白い線の間に青や紫が輝き、色の並びまであの衣装と同じだった。
「チケットを拝見いたします」
係員の声が侑子の意識を現実に戻したが、侑子は咄嗟に手に持ったコンパクトミラーを差し出そうとしていた。
「何やってんの」
裕貴が笑いながら「チケットはこっちでしょ」と、侑子の分も係員に掲示してくれた。
「私も前回遊園地来たの、三年前だよ。愛ちゃんや綾先輩達と遊んだ時が最後」
入場ゲートを通過した二人は、人の波に乗って、何となく足を進めていた。
入場制限をかけていない園内は、まだ開場したばかりだというのに、多くの人の声で賑やかだ。
始発の新幹線に乗って、侑子達は遠出していた。
海の見えるテーマパークだった。
三年前に訪れた遊園地は、侑子たちの地元に近い場所にあって、今日訪れているテーマパークとは別物だ。しかしこういう場所特有の派手な色使いのアトラクションや、人々の高揚感が醸し出す雰囲気は、あの時と共通していた。
自然と二人の記憶は、三年前に遡っている。
「あの後からずっと、綾先輩達続いてるんだって」
「そうそう。私もたまに、愛ちゃん経由で聞くよ。なんだか嬉しいよね。二人の出会いに、立ち会えたんだなって気がして」
三年前に遊んだ名目は、グループデートだった。
愛佳が侑子と引き合わせようと企てていた島谷は、その日のうちに綾と恋人同士となり、そのまま今日まで、その関係は継続している。
――あの日、決めたんだ。ユウキちゃんに気持ちを伝えようって
ユウキへの恋心を受け入れて、それを伝えようと決意したのは、あの遊園地だ。
あの時侑子の肌の上で煌めいた、青い鱗――それが紐先に揺れるブレスレットは、今日もバックの中に入れたままだ。裕貴に見せようと考えている。
「愛佳と竜先輩もずっと続いてるし、俺たちの周りって皆長いよな」
「そうだね」
「侑子と俺も?」
握られた手が、ぐいと引き寄せられた。真剣で熱い眼差しが、侑子を見下ろしていた。
「ごめん……今はこの話止めておこう。帰りの新幹線まで。折角来たんだから、とにかく今はとことん遊ぼう」
侑子の返事を待たずに、裕貴は大きく笑うと、繋いだ手を引いて歩き出す。
陽気なBGMに重ねて、マスク着用と手指消毒を促す、注意喚起の園内放送が聞こえてくる。
それが異様にちぐはぐな音の組み合わせに思えて、侑子はどことなく落ち着かなかった。
***
ギターを背負わずに裕貴とこんなに長時間遊び回るのは、あまりないことだった。大抵いつも楽器を抱えながら、気兼ねなく歌える場所や、ケースを広げられる場所を探していた気がする。
――身軽だなぁ
手を繋いで、他愛もない会話で笑い合う。
楽しかった。
元々裕貴とは波長が合うし、音楽の話題でここまで深い話をできる仲間も、他にはいない。
音楽の話題においては、裕貴の祖父母の存在も大きかったが、彼らのことも含め、侑子にとって裕貴は既に掛替のない人だったのだ。
「歌いたいな」
自然と滑り出したその言葉は、思えばユウキと散歩をする時にも、よく口にしていた。
どちらともなく歌を口ずさみ、すぐにもう一つの声がそこに重なる。
気持ちは昂り、目に映る風景全てが、彩度を上げて迫ってきたものだ。
今思えばあの感覚こそ、“魔力が上がる”状態だったのではなかろうか。
気づいた侑子は、なんだか嬉しくなって、隣の裕貴を見上げた。
「歌わない?」
しかし裕貴は、びっくりしたような困惑顔で見返してきた。
「ここで?」
その反応に、冷水をかぶったように侑子は我に返った。
――ここは、ヒノクニじゃない
隣にいるのはユウキではない。
裕貴だ。
心を喜ばせることに素直でいることが当たり前の、魔法の国ではない。
口枷に慣れきってしまった、魔法の存在しない世界なのだ。
「あはは。ごめん、あんまり楽しくなっちゃったから」
侑子はおどけた声を出して笑った。裕貴は不審がることなく、侑子の言葉に微笑み返している。
「侑子はたまに、突拍子なく面白いこと言うよな」
そういうところも好きだよ、と手を握り直した裕貴だった。彼に誘われながら、侑子はただ歩を進める。
裕貴のことが好きなのに。
その気持ちに偽りはないはずだ。
なのに何故、虚しいと感じてしまうのだろう。
***
「ミラーハウスだって」
徐々に園内の混雑が増していき、人気のアトラクションの前には、長い行列が出来上がっていた。
二人は比較的空いていそうな場所を探して、園内を彷徨っていたところだった。
その小さな小屋型のアトラクション前には、全く行列はでいていない。誘導するためのロープも出ておらず、チケットを確認するスタッフが一人、入り口で待機しているだけだった。
「すぐにご案内できますよ」
笑顔でそう声をかけられた侑子達は、自然と入り口に向かって進み始めた。
「入ってみる?」
「うん」
聞けば誘導に沿って中を進むだけのアトラクションらしい。
「そうだ、侑子。これ」
足を止めた裕貴が、小さな包を侑子に手渡してきた。
クラフト封筒にどこかの店の名前が印字されており、中身を確認すると、掌に乗る小さな化粧箱が出てきた。
「本当は誕生日に渡せればよかったんだけど」
「誕生日? プレゼントくれたじゃない」
侑子の誕生日は六月だ。そろそろ一月経つし、誕生日当日には、裕貴から既にプレゼントをもらっていた。大好きなバンドのコンサートへ、連れて行ってもらったのだ。
「二十歳の誕生日なんだし、形に残る物も贈りたかったんだ。ずっと何にしようか考えてて……それ、受け取ってよ。高価な物じゃないからさ。気軽に持っていて欲しいんだ」
箱を開けると、中から緩衝材と一緒に出てきたものは、コンパクトミラーだった。
二つ折りの中を開けると、拡大鏡と通常ミラーが対になっている。
外側には、青い幾何学模様の螺鈿細工が施されていた。
「きれい……」
既視感と美しさに、唖然とする。
「とても綺麗。ありがとう」
驚きが表出しないよう微笑みながら、鏡が写し出す自分の表情を確認していた。
不自然な笑顔ではないだろうか。
「色んな柄があったんだ。選ぶのも楽しかったよ。どれも綺麗だったんだけどさ、侑子にはそれが一番、しっくり来る気がして」
他意のない笑顔。
他意のない言葉だ。
「気に入ってもらえた?」
「うん。ありがとう。大切にするね」
絞り出したように聞こえなかっただろうか。
侑子はミラーを折りたたむと、もう一度表面の青い模様に視線を走らせた。
虹色に輝く繊細な線が、規則的に湾曲しながら鱗模様を描き出していた。白い線の間に青や紫が輝き、色の並びまであの衣装と同じだった。
「チケットを拝見いたします」
係員の声が侑子の意識を現実に戻したが、侑子は咄嗟に手に持ったコンパクトミラーを差し出そうとしていた。
「何やってんの」
裕貴が笑いながら「チケットはこっちでしょ」と、侑子の分も係員に掲示してくれた。