80.人質
文字数 1,275文字
何もない床は銀色で、天井の白い電球の光を無機質に反射させていた。
その質感は触らなくとも冷たいのだろうと想像できる。
そんな床の上に、侑子が知り尽くした男の身体が、力なく横たわっていた。
四肢はそれぞれ不自然な方向へ曲がっていて、うつ伏せの姿勢で天井に向けられた背が、苦しそうに上下している。
床に額を押し付けていたので、顔は見えない。
しかし、それはユウキだった。
――なんで
猿轡によって自由が奪われた舌では、言葉を発することはできない。
無様な呻きとなった侑子の声に笑みを浮かべながら、ブンノウは顎でしゃくるようにして、ガラス越しのユウキを示した。
「あなたの恋人で間違いありませんね。テヅカ・ユウキ。二十五歳の歌歌い。評判の良い音楽家だそうですね。この硝子の壁は、こちらからは透明に見えるし音も通します。しかし向こうから此方は見えないし、音も聞こえないようになっている。彼はあなたがここにいるとは思っていない……まぁ、痛くてそれどころじゃないでしょうけど」
ブンノウから視線を送られたシグラが、硝子壁のすぐ側まで近づいた。
「酷く抵抗されたので、両手両足を折ってあります。……大丈夫。あなたが兵器を動かしてくれれば、すぐに治療します。一瞬で治りますよ。シグラはね、元々医療の仕事をしていたんですよ。彼女は腕が良い。魔力も枯渇していないから、すぐに元に戻せますよ」
浅い呼吸と悲痛に呻く音は、これまで一度も聞いたことのないユウキの声だった。眉間に皺を寄せ、大きく見開かれた苦悶に歪む瞳の、美しい緑が見えた。
侑子の視界が滲んだ。唾と涙で猿轡はあっという間に湿り、自由に動く肘から下の震えが止まらない。
「骨折したことありますか? 私はないので、わからないんですけどね。細い骨であっても、とても痛いらしいですね。それが大きな骨も小さな骨も、手足全ての骨をまとめて折ってあるみたいですから。さぞかし激痛でしょうね」
まるで世間話でも話すような軽い口調だった。
「さあ、ユーコ。兵器を動かして。彼らに透明な命を吹き込んでください」
苦しむユウキから視線を逸らせば、すぐ隣に二体の半魚人が立っている。
侑子を慕う魚の目が、酷く優しく感じられた。
肘が上がり、震えたまま指を開いた。脳裏にキノコ雲の白黒映像が見える。
「すぐに彼は助けられるんですよ。しかし、どうしても否と言うのなら」
合図でもしたのだろうか。
ブンノウが言葉を切ったタイミングで、向こう側の部屋のドアが再び開いた。そこから入ってきた背の低い男が手にしている物を見て、侑子は思わず首を振っていた。
「……止めてほしい? なら、すぐに兵器に魔法をかけるべきですね」
壁の向こう側、ユウキの側に立つ男が手にしていたのは、大ぶりのノコギリだった。ギザギザな刃先は、半魚人の口元に覗く小さな歯列そっくりだ。
男が片足をユウキの背に乗せた。ユウキの身体が低く跳ね、口が大きく開いて叫び声が耳を劈く。
見開いた目は意識を失う寸前なのか、何も映していないようで、手放し損なった意識の先で痛みを受け入れながら、悶絶を続けている。
その質感は触らなくとも冷たいのだろうと想像できる。
そんな床の上に、侑子が知り尽くした男の身体が、力なく横たわっていた。
四肢はそれぞれ不自然な方向へ曲がっていて、うつ伏せの姿勢で天井に向けられた背が、苦しそうに上下している。
床に額を押し付けていたので、顔は見えない。
しかし、それはユウキだった。
――なんで
猿轡によって自由が奪われた舌では、言葉を発することはできない。
無様な呻きとなった侑子の声に笑みを浮かべながら、ブンノウは顎でしゃくるようにして、ガラス越しのユウキを示した。
「あなたの恋人で間違いありませんね。テヅカ・ユウキ。二十五歳の歌歌い。評判の良い音楽家だそうですね。この硝子の壁は、こちらからは透明に見えるし音も通します。しかし向こうから此方は見えないし、音も聞こえないようになっている。彼はあなたがここにいるとは思っていない……まぁ、痛くてそれどころじゃないでしょうけど」
ブンノウから視線を送られたシグラが、硝子壁のすぐ側まで近づいた。
「酷く抵抗されたので、両手両足を折ってあります。……大丈夫。あなたが兵器を動かしてくれれば、すぐに治療します。一瞬で治りますよ。シグラはね、元々医療の仕事をしていたんですよ。彼女は腕が良い。魔力も枯渇していないから、すぐに元に戻せますよ」
浅い呼吸と悲痛に呻く音は、これまで一度も聞いたことのないユウキの声だった。眉間に皺を寄せ、大きく見開かれた苦悶に歪む瞳の、美しい緑が見えた。
侑子の視界が滲んだ。唾と涙で猿轡はあっという間に湿り、自由に動く肘から下の震えが止まらない。
「骨折したことありますか? 私はないので、わからないんですけどね。細い骨であっても、とても痛いらしいですね。それが大きな骨も小さな骨も、手足全ての骨をまとめて折ってあるみたいですから。さぞかし激痛でしょうね」
まるで世間話でも話すような軽い口調だった。
「さあ、ユーコ。兵器を動かして。彼らに透明な命を吹き込んでください」
苦しむユウキから視線を逸らせば、すぐ隣に二体の半魚人が立っている。
侑子を慕う魚の目が、酷く優しく感じられた。
肘が上がり、震えたまま指を開いた。脳裏にキノコ雲の白黒映像が見える。
「すぐに彼は助けられるんですよ。しかし、どうしても否と言うのなら」
合図でもしたのだろうか。
ブンノウが言葉を切ったタイミングで、向こう側の部屋のドアが再び開いた。そこから入ってきた背の低い男が手にしている物を見て、侑子は思わず首を振っていた。
「……止めてほしい? なら、すぐに兵器に魔法をかけるべきですね」
壁の向こう側、ユウキの側に立つ男が手にしていたのは、大ぶりのノコギリだった。ギザギザな刃先は、半魚人の口元に覗く小さな歯列そっくりだ。
男が片足をユウキの背に乗せた。ユウキの身体が低く跳ね、口が大きく開いて叫び声が耳を劈く。
見開いた目は意識を失う寸前なのか、何も映していないようで、手放し損なった意識の先で痛みを受け入れながら、悶絶を続けている。