脱皮⑤

文字数 701文字

 侑子はすっかり今日の目的を忘れて、観客の一人となっていた。そんな彼女を正気に戻したのは、肩に乗せたウサギのあみぐるみだった。

つんつん頬をつつかれ、はっとして、打ち鳴らしていた両手の動きを止める。

 ユウキの緑の瞳が、まっすぐ侑子へ注がれていた。

 彼はギターを肩にかけ、既に構えている。頷いて、左手を侑子の方へ差し出した。

 観客たちの視線が自分へと集まることを、嫌でも意識した。しかし緊張を感じたのは、僅かな時間だった。

肩にはあみぐるみのぬくもりがあったし、今日を迎えるまでに、大勢の前で歌う経験を得られたことが大きかった。

 そして今日は侑子よりも、ユウキの方が心理的負担が大きい。ここで自分まで弱い気持ちでいるべきではないと、気持ちを固めてきたのだ。

――今日は私が、ユウキちゃんを支える番

 一歩彼の方へ進めば、その手に自分の手を重ねることができた。
そのまま並んで隣に立つと、二人は客へ向かって深く頭を下げた。

 合図とばかりに、侑子の肩からあみぐるみが飛び降り、他のあみぐるみ達も各々観客たちの間にちらばっていく。

 ユウキの指が、弦を弾いた。

 二人で歌いはじめたばかりの頃、侑子はただユウキと同じメロディを、なぞるように歌うだけだった。

それがいつしか歌の中で会話をするように、一つ一つのフレーズを掛け合うような歌い方に変化していったのは、どちらかから提案したわけではなかった。

侑子が歌詞を口ずさんだ時に、手本をきかせるように僅かに重なったユウキの歌声が、二人の中でやけに美しく響いたのだ。

予想外の場所に、正しいパズルのピースが合うような意外さだった。しかしこれ以外ないという確信を、二人は得たのであった。
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