111.同じ色

文字数 1,448文字

「ブンノウ! やめて」

 しゃがみこんでいたシグラが、突如立ち上がって此方に走って来た。
緋色の髪を振り乱し、砂に足を取られながら。

「やめて! もういいから――やめてっ
!」

 悲痛な叫びが繰り返される。
侑子はブンノウが此方に向かって、拳銃を構えているのを見た。いつの間にあんなものを取り出したのだろう。

 紡久が息を呑んでいる。銃口が向けられた先は、ユウキのようだった。

「だめ!」

「ユーコちゃん!」

 咄嗟に前へ出た侑子の肩を、ユウキの両手が引き戻そうと強く掴んだ。
 身体が大きく傾き、寄せてきた波が二人の身体にぶつかって飛沫を上げる。

 左腕が引っ張られる感覚を覚えたのは、一瞬だった。そこを侑子の視線が走ったのは一秒にも満たない瞬間だっただろう。

 鳥の装飾に囲われた青い指輪が煌めき、眠ったままの透証を貫いた銀のブレスレットが目に入る――――そこに巻き付いていた綿糸が、高速でほどけていった。

「クマベエ?」

 かつてクマの形を作っていたその糸は、空中で一度ピンと伸びると、ジャケットのポケットの中へ滑り込む。そして――――

 太陽光が反射したのか。
螺鈿(らでん)がキラリと輝いたのを、侑子は見た。

 ポケットから引っ張り出された丸いそれに、白い綿糸がぐるぐると巻き付いている。
そして、まるでピッチャーが鋭い投球を投げる時の如く、一本の糸は大きく振りかぶるような動きを見せたのだった。

 コンパクトミラーは、真っ直ぐに、正確に飛んでいく。 

 声は聞こえなかった。
ブンノウの顔が横に逸れ、歯を食いしばるような形にその唇が動いたのが見えた。
長い腕が揺れ、銃口が振れた。
仕切り直すようにその腕がまっすぐ天頂へと伸び、そして再び此方を向く。 

 僅かに見えた彼のスカイブルーの目元から、赤い血が垂れていた。


 その音は乾いていた。
耳の奥が、びんと痺れる。


 近くの松林から、驚いた鳥たちが飛び立っていった。

 二度目の破裂音の後、突風が侑子の長い髪を大きく靡かせた。視界が桜色になって、何も見えなくなる。

 髪を掻き上げた焦げ茶の目が映したのは、ブンノウに馬乗りになっている紡久の背中だった。
 彼は叫ぶ。

「魔法が使える! 制御が切れてる!」

 ブンノウが握っていた拳銃が、離れた場所へと弧を描いて飛んで行った。

「侑子ちゃん!」

 紡久に呼ばれて、侑子ははっと我に返った。眼の前の光景を整理する。

 紡久とブンノウのすぐ側に、コンパクトミラーが落ちていた。開いた状態で鏡の面を下に向けていたので、青い螺鈿細工が美しく輝いている。

「クマベエ……」

 侑子の腕に再び蛇のようなにょろにょろとした動きでまとわりついてきた糸は、名前を呼ばれて返事をするように糸端を動かした。小さくハートマークを形作るのを見た侑子は、肩から力が抜けていくのを感じた。

「怪我はないね? よかった」
 
 静かなユウキの声が、横で聞こえた。
侑子は彼の無事を知って胸をなでおろしたが、そちらを向いてすぐに戦慄することとなった。

 彼が抱き起こしている人物が誰なのか、その人の持つ色彩から理解したのだ。

「なぜ……?」

 その言葉に対する、彼女からの返事はない。

「どうして? シグラ」

 太陽の下で見るその髪色は、血赤珊瑚のように鮮やかだ。

「二発とも頭に命中した。もう……」

 波の来ない位置まで、ユウキは彼女の身体を運んだ。

「血」

 ユウキの服の一部が、赤く染まっていた。
侑子は横たわるシグラの頭に目を走らせたが、どこから流血しているのか、よく分からなかった。

 彼女の毛髪は、鮮血と同じ色だったのだ。
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