55.激情

文字数 1,698文字

「何よ。急げって言ってたくせに、いないじゃない!」

 ワゴン車まで小走りで近づきながら、ミツキは苛立った声を放った。

 彼女の言う通り、車内にアオイとザゼルの姿はなかった。
ライブハウス近くのコインパーキングだ。ここに駐車してあるということは、ホテルからこの場所まで、とりあえずは移動してきたのだろう。

「トイレかな?」

「そんなもの向こうに着くまで我慢しろってのよ。まったく」

 鍵がないので、車にも入ることはできない。

「私、その辺探してくる。ユーコちゃんはここで待ってて。もしアオイ達戻ってきたら、私は待たずに行っていいからね」

 ミツキは足早にその場を後にした。




***




 駐車場から少し離れた雑居ビルの横で、ザゼルの姿を見つけた。
人通りの少ない、寂れた路地だった。

「いた! ちょっと! こんなとこで何やってるの。ユーコちゃん待ってるわよ。早く車出してよ」

「ああ。ご苦労さま」

 涼しい笑顔を浮かべたザゼルを見て、ミツキは眉間に皺を寄せる。

「何呑気なこと言ってるの? 急いで呼んでこいって急かしたの、あなたでしょう」

「そうだったね。ごめんごめん」

「アオイは?」

「ホテルだよ」

「は? 何やってんの、アイツ」

「俺とユーコちゃんで行ってくるよ」

「もう、アオイのやつ。後でしこたま絞ってやらなきゃ。早く行こう」

「ミツキはこっちに残ってなよ」

 さらりと流れてきた言葉に、ミツキが怪訝な顔を浮かべた。

「……? 何言ってるの? ついて行くに決まってるでしょう。ユーコちゃんの側には、私かアミが常についていないと」

 急かしながらミツキの爪先は、駐車場へと向いていた。
侑子を一人で待たせているのだ。早く戻らなければ。

「あれ? 結構正義感強いんだね。ちゃんとユーコちゃんのこと、守ろうとするんだ」

「どういう意味?」

「俺の読み間違いかな。ミツキはてっきり、まだユウキに気があるんだと」

 突拍子もない話題に、ミツキは眉を寄せた。

「何年前の話をしているの?……大体なんで今そんなことを」

「違った? ミツキとユウキが付き合ってたって話は、アオイから随分前に聞いてたよ。しばらく未練たらたらだったんでしょ? ユウキにつきまとったりしてさ。ユーコちゃんが現れてから、あっさり身を引いたみたいに聞いたけど。情ってさ、そんなにすっぱり捨てられる感情でもないでしょ?」

「読み間違い甚だしいわね。私とユウキが付き合ってたのなんて十年も前だし、ほんのいっときの間だけ。もうあいつにそんな感情わかないって」

 早足で進みながら、ミツキは段々苛つきを募らせていた。なぜこの男は今、こんな話を振ってくるのだろう。

「本当に? ちっとも? その十年の間に、君には何があった?」

「何が言いたいの」

「才が認められて王府に就職したとき、いい気分だったでしょ? 王府なんて、希望したって中々入れる場所じゃない。そんな場所に、向こうから望んで引き入れられたんだ。フラれた男に溺愛対象が現れて傷ついた自尊心を、さぞかし慰められたことだろうね。想像できるよ」

「からかってるの?」

「まさか」

「早く行かなきゃ」

「ユーコちゃんが並行世界に帰った時、正直チャンスだと思ったんじゃないの。君の才があれば、ユウキの心の隙なんて、いくらでも見えただろう」

 強く睨みつけたミツキを見て、ザゼルは微笑んだ。話が噛み合っていないのではないかと錯覚するほどの、穏やかな笑みである。

「……図星のようだね。それでも振り向くそぶりはユウキにはなかった。それどころか、超遠距離恋愛に発展しちゃうんだもんな。面白くなかっただろう。分かるよ」

「さっきからわかったような口を聞くけど、的外れなことばかり言ってるって懸念は、少しもないわけ?」

「ないね。俺は鋭いんだ。君と同じさ」

 その一言に、ミツキは怯んだ。
思わず足を止める。

言葉を失う彼女の意思を汲み取るように、ザゼルの唇が言葉を続けた。

「君と同じ才かどうかって? どうだろうね。答える義理もないから、答えなくていい? それよりも、もうちょっとミツキの過去を振り返ってみようよ」

 顔色を失っていくミツキとは対象的に、ザゼルの顔は紅を入れたように生き生きとしてくる。
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