36.世界ⅰ迷信

文字数 1,152文字

 この所、侑子の姿を図書館で目にすることが多かった。

 蓮は自習室の常連だ。
大抵暇な時間ができると、自宅から程近い市民図書館に足が向く。
 ここは静かだし、そんなに混まないので、席が満席になっていることもほとんどない。

 侑子もたまに図書館を利用することはあることは知っていたが、ここ最近は頻繁に目撃する。
大体彼女が真剣に読んでいるのは、和歌や詩歌集が並ぶ棚の本だった。

「今日も来てたんだね」

 閉館時間が近くなった頃、帰り支度を整えた蓮は侑子の隣に座った。

「蓮くん。そっちは勉強?」

「そんなとこ」

 最近よくこの場所で顔を合わせるので、侑子も蓮が来ていることは想定内だったのだろう。
突然声をかけられても、驚くことはなかった。
 
「もう閉まるね」

 閉館時間ギリギリまで留まり、二人一緒に帰路に着くのがお決まりだった。

「今日も部活終わってから直行?」

「そうなの。お腹ペコペコだよ。お母さん、今日パート先の人と飲み会って言ってたな。何かすぐに食べられるもの買って帰ろうかな」

「うちに来ればいいじゃん」

「いいかな?」

「良いに決まってる」

 そんな訳で行き先は叔父の家と決まり、侑子は蓮と並んで歩き始めた。

 侑子が背負っているギターケースを目にして、蓮は思い出したように言った。

「最近よく図書館に来てるけど、裕貴拗ねてるんじゃない? 部活終わりに二人で練習してたじゃない」

「拗ねるなんてないでしょ。それに毎日じゃないから。昨日も野本くんちお邪魔したばかりだよ」

 笑った侑子に、蓮は「多分拗ねてると思うなぁ」と笑い返した。

「ゆうちゃん、古典好きなんだね」

 今日も侑子はいつもと同じ書架を眺めていた。

「昔の人も現代人も、思考パターンは同じなんだなって分かるのが興味深くて。今の自分と同じ気持ちの人が、何百年も昔にいたのかもしれない。同じ悩みを抱えてる人がいたのかもしれないって、思いを馳せるのが好きなの」

「へえ」

 今日貸し出した本を見せてもらう。
蓮が適当に開いたそのページには、スピンがかけられていた。

「『今更何も思い悩むことはない。私の心はすっかりあなたの物だから』……恋の決意の歌。情熱的だな」

 蓮はあまり文系科目が得意ではなかった。真っ先に現代語訳の部分に目を走らせて、それから原文をつかえながら読み上げている。

「並行世界ではこういう歌に、精霊が宿ってるって迷信があるんだっけ」

 侑子の話した不思議な体験談も、蓮は今ではちゃんと信じていた。

「迷信かどうかは分からないけど。でも本当だったら素敵だよね」

 本を侑子に返した蓮は、開いたままのページに目を落とす、従姉妹の横顔を眺めていた。

 その横顔が妙に大人っぽく、知らない人のように思えて、言葉を繰り出そうとして止めた。

 一年の失踪の後に帰ってきた頃の彼女を、彷彿とさせたのだ。
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