69.面倒事

文字数 2,071文字

「悪かったわね、ダチュラが勝手をしたみたいで」

 作業部屋を後にした紡久が、侑子と共にシグラに案内されたのは、大きなベッドと机と椅子があるだけの部屋だった。窓はなく、広さは先程の部屋よりも一回り大きい。

「まさか床で寝かせていたなんて。本当にあの男は」

 吐き捨てるように「あの男」と口にした声は、低かった。

「魔石を沢山作ってくれたことは感謝する。でも別に、あなたをあの部屋に監禁しておくつもりはなかったの」

 淡々と話すシグラの横で、侑子は微動だにせずに沈黙したままだ。

 先程の部屋を出る際、紡久を捉えた彼女の瞳は涙で揺らいでいた。怪我はないか訊ねた紡久に、「大丈夫」と答えて、侑子の方も同じ質問を返した。平気だと答えると、「良かった……」と応えた。それきり、彼女の唇は動かない。

「この部屋に一日三回、食事を運ぶ。施錠時間と消灯時間を守ること、そして一定の量の魔石を生産してくれれば、あとは自由にして構わない。敷地内の移動はご自由に。入ってほしくない部屋は、施錠してあるから」

 シグラの表情は動かなかった。
彼女は紡久に対する説明を終えた後、侑子の方を向いた。

「ユーコ」

 名前を呼ばれても、侑子はシグラに顔を向けようとはしない。

「あなたは魔石の生産をしないように。さっき話したこと、理解してるわね?」

 紡久はただ侑子を見守った。桜色の長い髪が、彼女の表情を守るように隠している。

――何があった?

 おそらく地震があったその日のうちに、侑子はこの場所に連行されていたのだろう。紡久がやってくる日までに、彼女はどのような時間をここで過ごしたのだろう。
 無表情の侑子だったが、全身が緊張でこわばっている様子は分かった。

「明日また、迎えにくる。明日あなたが才を使わなかったら、また次の日に迎えにくる」

「魔法はかけない」

 侑子が短く断言した。

「完成なんてさせない」

 シグラを睨む侑子の目は鋭い。そんな表情を見たことのなかった紡久は、静かに驚愕した。

「……時間はまだある。その間に気を変えたほうがいいと思うけど」

「才は使わない」

 シグラは侑子から視線を外した。緋色の瞳は再び紡久を見て、そして部屋の中を軽く見渡した。

「この部屋、二人で使ってね。悪いけど、寝具はもうこれしかないの。大きいから大丈夫でしょう。二人でも余裕で寝れるわ。寝袋よりマシよね」

 腰に手を当て、シグラは短く微笑んだが、すぐにその笑みを引っ込める。
どういう感情の動きか紡久は訝しんだが、真意は分からずじまいだ。
 ただ次にシグラの口から飛び出した言葉に、酷い憤りを感じた。

「ベッドでそういう行為に及んでも、別に咎めないわ。ご自由にどうぞ」

「何を――」

「男と女でしょう。何の問題もない。むしろ私達は歓迎する」

 下卑た笑いでも浮かべていれば、むしろ良かったのかもしれない。紡久は素直に怒りを表せただろう。
しかし緋色の瞳は相変わらず感情を消していて、淡々と並べられる言葉には抑揚一つない。そのあまりの無機質さに、どんな反応を示すべきなのか、逆に混乱してくる。

「来訪者の男女の間に生まれた子供は、高確率で両親と同じ魔力を受け継ぐ」

 侑子は床を見つめている。
シグラは言葉を続けた。

「方法を変えることにしたの。鍵と守役を捕まえることは、今の私達にはリスクが高すぎる。それにたとえ扉を開くことができたとしても、すぐに新しい来訪者がやってくるとは限らない――何年も待たされるかもしれないでしょう。それよりも、遥かに効率の良い増やし方があるの。無属性魔力の増やし方が」

 何を言いたいのか、分かった? とシグラは繋いだ。

「子供が欲しいのよ、あなた達の。あなた達と同じ魔力を持つ人間を増やして欲しい。ブンノウの研究には、この先も沢山の透明な魔力が必要なの。そしてこの世界に本来存在していなかった種類の人間も、必要だから」

「何を言ってるんだ」

「あなた達がそんな気分にならずに行為に及ばなくても、別にかまわない。人工的なやり方の準備も整っている。あなた達の身体から、精子と卵子を取り出すだけで済むわ」

「……狂ってる」

「そうかしら」

 怒りと戦慄に満ちた紡久の視線に、シグラは首を傾げていた。

「私にはよく分からない。痛い思いをするよりも、遥かにマシじゃないかしら。子宮だって使わないのよ。……ねえ、ユーコ」

 呼ばれた侑子が、僅かに身じろぎした。

「時間のあるうちに、気持ちを変えなさい」

 シグラの顔にほんの少し歪みが現れたのが、紡久からは見えた。侑子は相変わらず俯いていたので、分からなかっただろう。

「ブンノウはあなたたちに痛い思いはさせないでしょう。けれど、それ以外の人間にはそうとは限らない」

「脅してるの?」

 侑子の声は堅かった。

「さあね」

 シグラは背を向け、ドアノブに手をかけた。

「あなたが脅しに聞こえたのなら、そう受け取って構わない。ただ私は、面倒事が嫌なだけ。できればスムーズに、終わらせたいだけよ」

 ドアを超えて再び閉ざされようとする隙間から、やけに弱々しく、その女の声が聞こえてきた。

「もうすぐ終わる……もうすぐね」
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