23.〚過去の話〛世界ⅱ研究員

文字数 905文字

 その男の名は、ミウネ・ブンノウといった。
 シグラが当時勤めていた会社のオフィスから程近い、空彩党所有の研究施設所属の研究員だった。

 スカイブルーの澄んだ瞳が印象的な線の細い男で、二十代半ばだろうか。シグラとあまり変わらない年齢だろうと思われた。

「私はあなたの話を信じますよ」

 初めて声を掛けられたのは、昼休憩中のカフェテラスだった。周辺のオフィスで働く人々で賑わうその場所で、一人で黙々と食事をしていた彼女の隣に、何気ない顔で座ってきたのだ。

 最初は誰かと人違いされたのかと思った。

 何の話をしているのか、ブンノウの意図するところが分かったシグラは、大いに驚いた。

「なぜ? なぜ信じられるんですか?」

「そんなに驚かれるとは思わなかった。あなたはいつでも、周囲の人に熱心に説明していたではありませんか。透明な膜のことを」

 笑った顔はまるで少年のようだった。背丈と身なりに不釣り合いな程の無邪気な笑顔に、彼の言葉に裏などないのだとシグラは分かった。

「何度もあなたの説明を耳にしていましたから、膜の概要はすっかり頭に入っています。あなたには見えるのでしょう。私の身体も、膜に覆われているのですよね?」

 これっぽっちも疑う様子は伺えない。滑るように紡がれる彼の言葉に圧倒されながらも、シグラは頷いた。

意識を少し集中させればすぐに見える。ブンノウの身体を繭のように覆う、透明な膜は確かに存在している。

「稀有な“才”の持ち主であるあなたに、私の研究への協力を願いたい」

「“才”?」

「人には見えないはずの膜を見る力、それを“才”と言わずに何と言いましょう? 私にはあなたの言葉を信じるだけの理由がある。あなたが説明してきた『膜』の存在を、裏付ける証言をしている人物がいるのですよ。彼は既に私の研究を手伝ってくれています。あなたにも是非、彼に会って頂きたい」

 この瞬間から、シグラの目はブンノウしか見えなくなっていた。

 今まで家族ですら信じてくれなかったシグラの言葉を、少しも疑うこと無く受け入れてしまった目の前の男。

 白衣に身を包んだ人物は、シグラにとって研究者でも人間の男でもなく、絶対的で唯一の指標となったのだった。

 
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