脱皮⑦

文字数 932文字

「この人、いつもここで“玉虫色の声”を使う人と、同一人物だよね?」

「今日はあの“才”を使ってないのか……? よく分からなくなってくるな」

 曲数が進み、曲と曲の合間に、客たちは囁き合った。
表情に困惑が浮かぶ者が多かったが、誰もその場を後にしようとはしない。

 最後の曲の後半は、ユウキの独唱だ。
侑子は顔を隣に向けて、静かに見守る。

 空の果てに抜けるファルセットが、風を起こしたように感じた。
今日のユウキに、中性的な外見的特徴は何一つないのに、まるで美しい女神が奏でた歌声のようだった。
かと思えば、一拍も間を空けずに、今度は野性味を帯びた低音が呻る。

 初めてこの歌い方を耳にする客達が、混乱するのも仕方がないだろう。
引き込まれれば引き込まれるほど、この歌声に魔法が通っていないことが、信じられなくなる。

 ぷぅぷぅ!

 場違いな程に脳天気な音は、あみぐるみが発したものだった。
侑子は再びこの可愛らしい造形の不思議な無機物のおかげで、出遅れをせずに済んだのだった。

ユウキと同じタイミングで、深くお辞儀をすることができた。

 賑やかな拍手の渦の中心で、侑子はユウキを見た。

彼は何を思っているのか、よく分らない表情だ。笑っているけれど、作った笑顔であることが分かる。

――緊張してるのかな

 侑子も一緒に歌っていたとはいえ、やはりユウキにとってこの場所で“才”を使わずに歌うことは、大きな試練だったに違いない。

 やり遂げたことは確かだ。しかしもしかしたら今の彼の耳に聞こえているのは、観客たちからの拍手ではなく、遠い昔の母親の声なのかもしれない。

「ユウキちゃん」

 心配になった侑子は、少し大きめの呼びかけと共に彼の腕を引いてみた。

僅かに瞳が揺れて、すぐにその緑の目が侑子を捉えて細くなった。

「……大丈夫?」

 今度は小声で。ユウキにしか聞こえないだろう。観客たちの歓談の声が大きくなり、まだ拍手も鳴り終えていなかった。
 ユウキは「大丈夫」と唇の形をつくって見せてから、ようやく安堵した笑みを浮かべたのだった。

「ユウキちゃん! アンコール!」

 先程侑子の着物姿を褒めた常連客の男が、声高に叫んだ。
 ユウキと侑子が彼に注目すると、その男は再び声を張り上げる。

「ゴンドラの唄! 二人で歌ってよ」

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