110.解放

文字数 1,055文字

「説明できますか」

 突如聞こえた冷ややかな声音に、三人は振り返った。

――この人、こんな風に喋れたんだ

 感情を乗せた彼の声を聞いたのは、紡久は初めてだった。まるで別人のような印象を受けたが、言葉を発したのは間違いなくブンノウのようだ。

「海の中で何が起こりました? なぜあなたがここに立っている? テヅカ・ユウキ」

 フルネームで名前を呼ばれたユウキは、侑子を隠すように彼女の前に立つと、数歩近づいたブンノウに応えた。

「声紋」

 短い言葉は、ブンノウの顔を歪ませた。

「思いついた時、俺のことを知らなかったんだな。知ってたらあんたは、こんなリスクを侵さなかっただろうから。自分の声紋を兵器のロックに使うなんてこと、“玉虫色の声”を持つ俺のことを知ってたら、絶対やらなかっただろう?」

 ユウキの背中に隠されて、侑子からブンノウの姿は確認できなかった。しかしあのスカイブルーの瞳に虚無以外の色が浮かんでいることは、予想できた。言葉にならないブンノウの吐息が揺れていたのだ。

「残念だったな。海中でも歌えたよ。どういうことか分からなかったけどさ。息もできたし、声も出せた。二人と会話することも出来たんだ。あいつらは、解放を望んでた」

「解放だと?」

 詰る口調だった。ブンノウの数歩後ろにいたシグラは、彼のこんな声を初めて耳にした衝撃から、身じろぎすらできないで固まっていた。

「あんたの声で歌った後、あいつらの身体はバラバラになった。それから泡だらけになって、小さくなって、鱗と骨だけになって、沈んでいったよ……一部は俺の身体にまとわりついてきたけど。こんな具合に」

 両腕を広げて見せたユウキの褐色の肌に、身につけていた服に、点々と青い鱗が張り付いている。彼の頭には大きい方の半魚人の上顎がのっかっており、抱きつくように首に緩く巻き付いているのは、小さな半魚人の両腕の骨だった。
 ユウキは指先で頬を掻いた。そこにはりついていた鱗が数枚、ひらひらと砂浜に落ちていく。

「兵器は失われた。お前の夢は実現されない」

 低い声でユウキは告げる。

「お前は衣装が似てるってだけで、ユーコちゃんを半魚人と呼んだみたいだけど、それは違う。青い半魚人は俺だよ。お前の夢を否定するのは、お前の声で歌える半魚人の俺。負けを認めろ」

 身体を僅かに横にずらした侑子は、この時ようやく、狂気の科学者の顔を見た。

 青い瞳は怒りに燃えていた。

燃える炎の青く見える部分は、緋色に見えるところよりも高温である。そのことを知った子供の頃の驚きを、侑子はなぜか思い出していた。
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