27.焦燥

文字数 1,954文字

 ダチュラの中には、いつも焦燥感が燻っている。
元来せっかちな性格なのも手伝って、彼の行動力の強さは度々評価されてきた。特に今のボスからは。

『ある廃墟の一角を、研究所として改修したい』

 シグラから連絡を受けてから、その指示通りに手隙の建設作業員をかき集めた。二年前から王都の復興作業が思うように進まないので、全国的にもこの業界は人手不足だった。人数を集めるのに、結構苦労した。――しかし言い渡されていた期限の延期を、ダチュラが申し出てくることはなかった。

「この部屋だけ随分念入りに防御壁(バリア)を張るんだな」

 魔力が枯渇していない作業員を探し抜いて連れてくるのには、一番苦労した。報酬に糸目はつけなくて良いという指示がなかったら、きっともっと難航していただろう。

何重にも強力な防護魔法に囲われていたのは、地下二階に位置する、小さな一室だった。

「――この部屋に置くのか?」

 部屋は分厚い硝子壁によって、二分割されていた。

「ええ。基本的には。ここで最後の仕上げをするそうよ」

 シグラの声は、淡々としていた。

「嬉しくなさそうだな」

「そんなことない。もう喜び尽くしただけ」

 それに、とシグラは部屋の天井を仰ぎ見た。

「まだ油断はできないでしょう。終わったわけじゃないもの。私は最後まで、きちんと見届けたいの」

 一歩進むと、部屋を分断する硝子壁に触れることができた。曇らないその硝子には、シグラの指紋の跡が残ることはなかった。

「やっと終わる。悲願達成だ」

 ダチュラの感慨深そうなため息に、シグラは不快感を覚えた。

「悲願とは?」

 振り返ったシグラの目に映った男は、薄い笑みを浮かべている。昔から思っていたが、気に食わない笑い方をする男だった。

「我が国が世界の覇権を掴みとる――こんな素晴らしい時代の到来を、願わずにいられるか?」

 ははは、と歯を見せて笑う顔を、シグラは直視したくなかった。

「カルミオさんにも、見せてやりたかったな」

「ちょっと黙ってもらえる?」

 かつての友の名を、この男の声で再生されたくなかった。ダチュラはカルミオと同じ姓を名乗っているが、親戚ではない。カルミオがあの襲撃事件で死んだ後、勝手に彼の姓を名乗るようになったのだ。遺志を受け継ぐとかいう、勝手な理由をつけて。

「ご機嫌ななめだな、シグラ。どうした? 緊張してるのか? もっと堂々としてろよ。仮にもミウネ夫人なんだから」

 ブンノウからは雑用係のようにしか思われていないのに、ダチュラは酷くブンノウに心酔していた。まるで神かなにかのように――その点では、シグラも同じなのだが。

一方でダチュラは、シグラをまるで信用しない。むしろあからさまに軽んじる態度すら取ることがある。
ブンノウの妻と見なされている彼女のことを、他の研究員や仲間たちは、丁重に扱ったのにも関わらず。

「緊張?――そうね、してるかもね。今までと同じやり方は、通用しない。ここは最後の地なのだから」

 視界に入れれば入れるほど不快感で冷静さを失う気がして、シグラは硝子壁の端、少しだけ膨らんだ部分に手を翳した。硝子壁の一部が長方形に開き、彼女は向こう側の空間へと歩を進める。振り返ってすぐにその扉を再び閉ざすと、境目が消え、壁は再び一枚の大きな硝子の壁と化した。

 シグラとダチュラは、二分された部屋の別々の空間に分かれた。
ようやくシグラは、落ち着きを取り戻す。硝子越しには相変わらずダチュラの姿が鮮明に見えるが、間に物質があるというだけで、安心感は段違いだ。

「ブンノウからの、次の指示を伝える。その場所で聞きなさい」

 次の言葉を発するのに、シグラは軽く深呼吸しなければならなかった。

正直、こんな指示を伝えたくなかった。

自分たちがしようとしていることは、本当に正しいことなのだろうか。

シグラにはもはや、分からなかった。

「作業が終わり次第、集めた作業員たちを皆殺しにしなさい」

 ダチュラの表情は、相変わらず不快な笑みが張り付いたままだった。
横っ面を叩きたくなる衝動と、今発した言葉を取り消したくなる衝動を、必死で抑えた。

「絶対に一人も残さず。ここに研究所があると知る者を、我々以外、全て抹殺しなさい」

「あいわかった」

「死体の処理も任せる」

 それでブンノウからの指示は全てだ。
伝え終えたシグラは、奥の扉からその部屋を後にした。

 部屋を出た直後は早歩きだったその足は、突き当りの階段を上る頃には駆け足になっていた。

登りきった踊り場で、シグラははぁはぁと激しく呼吸した。整えようと深く息を吸い込むとむせて、涙が滲む。

床の冷たさが徐々に身体に伝わって、自分もその床と同化してしまいたくなった。

 ――ついさっき、見届けたいと言ったばかりなのに

 シグラは自らの才がもたらすことになった結末を、直視できる自信がなかった。
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