84.半分
文字数 1,446文字
終わったのだろう。
ブツリと音が途切れる短い物音が鳴った後。数秒置いてから、今度こそシグラの声がロボットから聞こえてきた。
『最後の粛清と、今後の話をしましょう。聞き終えたら、ダチュラを連れて私のところへ来なさい』
それだけだった。
ロボットは、最後に「ギギ」と歯車を回すような音を立てると、部屋の戸口まで転がっていった。その場で動きを止めると、ザゼルを促すようにランプを激しく点滅させる。
――俺は、何者だ?
父と母の声が録音された、球体のロボットを見つめた後、振り返って培養器の列とそこから伸びる管を仰いだ。
――俺は何だ?
もう三十年近く前になるだろう。
それくらいの過去に、ザゼルはこの装置の中で揺蕩っていた。
――何のために生まれてきたんだ
頭の中に浮かんだのは、新陳代謝が絶えず行われる人体のイメージだった。
心臓が動く限り、人体は、細胞は、新しい組織を作っては古い物を外へと押し出す。
――俺は垢か。古い角質か
培養器の外へ出た自分に結びついた物質の呼び名に、ザゼルは思わず吹き出していた。
「笑えるな」
渦巻き始めた感情には、哀しみと怒りも見受けられたが、それらの中に混ざって、『納得』という二文字も見当たった。
ザゼルは再び「笑える」と呟いた。
「全然意外じゃないもんなぁ、ブンノウ」
分かっていた。
自分のことを、我が子と考えていないだろうということは。頭ではそのように踏まえていたかもしれないが、本質的に血を分けた家族と理解していなかったであろうことは、もう随分前から分かっていた。あの天才の頭にはそもそも、家族や仲間という枠組みは存在するのだろうか。
「三十年前の垢が、まだ残ってるんだ。汚いなぁ。ちゃんと汚れは流しとけよ」
呟いて、部屋のドアを開けた。
そしてすぐそこに、ザゼルはダチュラの姿を見つけたのだった。
「盗み聞き? いつもご苦労だな」
「ボスの声が聞こえたので」
ニヤリと笑った口元に、茶色の歯が見えた。
「全部聞いたの?」
「ええ。多分。やけにあなたの独り言が多かったですけど」
「そう」
「最後の粛清とは」
ダチュラの顔と声が、突然無表情になった。
「誰が、誰を?」
確かな声だった。
しかしザゼルには怯えきった音に聞こえた。もはや人の声には感じない。非常ベルの残響音のように歪み、揺れている。
二人の男の伸ばした人差し指が、お互いを指していた。
「俺をやろうっての?」
ザゼルはつい大きく肩を揺らしていた。笑えてくる。先程培養器の前で吹き出してから、癖がついてしまったかもしれない。
「いずれ全て消すつもりなら、私どもの順番なんて多少前後しても支障ないでしょう」
「ああ、確かにそうかもな。ブンノウにとってはね」
表情だけで言えば、ザゼルが優勢だろう。ダチュラの顔には、冷や汗がにじみ出ていた。
――怖いのか。表面で隠しきれなくなっているんじゃ、お前に勝ち目はないよ
ザゼルは心の中で呟いた。そして更に、声に乗せてダチュラを追い詰めにかかる。得意技だった。
「けどさあ、ダチュラに俺は殺せないよ。だって――お前、ブンノウに雇われる時契約したんだろう? 雇い主の血はお前の手で流せない、遺伝子を消すことは出来ないと」
「確かにしたが、ボスにだけだ。お前と何が――――」
更に笑い声が込み上げてきて、ザゼルは抑えようとした。表情が不自然に歪み、その不気味な笑みにダチュラは目を瞠った。
「俺は半分持ってるからな。お前の崇拝する、大好きなボスの半分を」
毒草の名を持つ男の声が、次に何か音を結ぶことはなかった。
ブツリと音が途切れる短い物音が鳴った後。数秒置いてから、今度こそシグラの声がロボットから聞こえてきた。
『最後の粛清と、今後の話をしましょう。聞き終えたら、ダチュラを連れて私のところへ来なさい』
それだけだった。
ロボットは、最後に「ギギ」と歯車を回すような音を立てると、部屋の戸口まで転がっていった。その場で動きを止めると、ザゼルを促すようにランプを激しく点滅させる。
――俺は、何者だ?
父と母の声が録音された、球体のロボットを見つめた後、振り返って培養器の列とそこから伸びる管を仰いだ。
――俺は何だ?
もう三十年近く前になるだろう。
それくらいの過去に、ザゼルはこの装置の中で揺蕩っていた。
――何のために生まれてきたんだ
頭の中に浮かんだのは、新陳代謝が絶えず行われる人体のイメージだった。
心臓が動く限り、人体は、細胞は、新しい組織を作っては古い物を外へと押し出す。
――俺は垢か。古い角質か
培養器の外へ出た自分に結びついた物質の呼び名に、ザゼルは思わず吹き出していた。
「笑えるな」
渦巻き始めた感情には、哀しみと怒りも見受けられたが、それらの中に混ざって、『納得』という二文字も見当たった。
ザゼルは再び「笑える」と呟いた。
「全然意外じゃないもんなぁ、ブンノウ」
分かっていた。
自分のことを、我が子と考えていないだろうということは。頭ではそのように踏まえていたかもしれないが、本質的に血を分けた家族と理解していなかったであろうことは、もう随分前から分かっていた。あの天才の頭にはそもそも、家族や仲間という枠組みは存在するのだろうか。
「三十年前の垢が、まだ残ってるんだ。汚いなぁ。ちゃんと汚れは流しとけよ」
呟いて、部屋のドアを開けた。
そしてすぐそこに、ザゼルはダチュラの姿を見つけたのだった。
「盗み聞き? いつもご苦労だな」
「ボスの声が聞こえたので」
ニヤリと笑った口元に、茶色の歯が見えた。
「全部聞いたの?」
「ええ。多分。やけにあなたの独り言が多かったですけど」
「そう」
「最後の粛清とは」
ダチュラの顔と声が、突然無表情になった。
「誰が、誰を?」
確かな声だった。
しかしザゼルには怯えきった音に聞こえた。もはや人の声には感じない。非常ベルの残響音のように歪み、揺れている。
二人の男の伸ばした人差し指が、お互いを指していた。
「俺をやろうっての?」
ザゼルはつい大きく肩を揺らしていた。笑えてくる。先程培養器の前で吹き出してから、癖がついてしまったかもしれない。
「いずれ全て消すつもりなら、私どもの順番なんて多少前後しても支障ないでしょう」
「ああ、確かにそうかもな。ブンノウにとってはね」
表情だけで言えば、ザゼルが優勢だろう。ダチュラの顔には、冷や汗がにじみ出ていた。
――怖いのか。表面で隠しきれなくなっているんじゃ、お前に勝ち目はないよ
ザゼルは心の中で呟いた。そして更に、声に乗せてダチュラを追い詰めにかかる。得意技だった。
「けどさあ、ダチュラに俺は殺せないよ。だって――お前、ブンノウに雇われる時契約したんだろう? 雇い主の血はお前の手で流せない、遺伝子を消すことは出来ないと」
「確かにしたが、ボスにだけだ。お前と何が――――」
更に笑い声が込み上げてきて、ザゼルは抑えようとした。表情が不自然に歪み、その不気味な笑みにダチュラは目を瞠った。
「俺は半分持ってるからな。お前の崇拝する、大好きなボスの半分を」
毒草の名を持つ男の声が、次に何か音を結ぶことはなかった。