踊る無機物②
文字数 3,109文字
リリーの家の風呂を借り、汗を流して清潔な服に身を包むと、どっと疲労感が押し寄せてきた。
ちょっと野暮用があるのと、リリーは外出してしまった。
大きな屋敷の留守番を託された侑子は、広い畳部屋の上でバタリとうつ伏せに倒れ込んだ。
今にも睡魔との戦いに負かされそうだ。
そんな侑子の身体の上で、十体のあみぐるみたちが飛んだり跳ねたりしている。ぴぃぴぃぷぅぷぅと楽しげな音が聞こえてくるので、遊んでいるのだろう。
「わぁ。増えたね」
頭上から可笑しそうに笑う声が聞こえて、侑子が顔を向けると、ユウキと四人の幼馴染たちが部屋の戸口に立っていた。
「あ、おかえりなさい」
侑子が慌てて起き上がると、ぴぃーという音と共に、背中に掴まりそこねた数体のあみぐるみたちが、畳の上にバラバラと落ちていった。
「なにこれ! 可愛いー!」
転がってぴぃぷぅ不満げな低い鳴き声を上げる青いクマを抱き上げたミツキが、黄色い声を上げる。
「動いてる……ぬいぐるみが……」
「どういう仕組だ?」
ハルカとアオイの二人は、畳の上をゴロゴロと自発的に転がる丸いペンギンを目で追って、驚愕していた。
「これ、ユーコちゃんが魔法で?」
スズカは足元に近づいてきたネコを手のひらに乗せ、鼻部分を撫でながら訊ねた。
侑子が頷くと、ぱっと笑顔を浮かべる。
「おめでとう、ユーコちゃん。すごいね!」
「ありがとう」
素直に嬉しくて、顔を赤くした侑子は笑った。自分が魔法を使えたという実感が、じわじわと湧いてくる。
「疲れてそうだね。ちょっとそれ外してみて」
言われた通りにブレスレットを外すと、ユウキがしばらくじっと此方を見つめてきた。そして困ったように笑った。
「すごい頑張りだったのが分かったよ。もうほとんど魔力が枯渇寸前だ。今日はもう、魔法は使おうとしないほうが良いね」
そこで侑子は、ふとあることを思い出してユウキを見つめ返した。そしてあ、と声を出す。
「ユウキちゃんの魔力、とっても爽やかな色なんだね」
見ようと意識するだけで、見えるものなのだ。
侑子はユウキの身体から立ち上る、青い色を感じた。
それは淡い空色で、岩にぶつかって飛沫を上げる、渓流のような瑞々しさを思わせた。
実際に視覚が確認しているのか、脳で青という色を認知しているだけなのか、曖昧になる妙な感覚だった。
本当に目から見える色彩の情報ならば、咄嗟に渓流を連想したりしなかっただろう。これが魔力を見るという行為なのか。侑子は初めての経験に、僅かに心が昂ぶるのを感じた。
「見えるようになったんだね」
ユウキは目を細めて、優しく笑った。
「どんな感じ? 見えると感じるの、中間の感覚じゃない?」
「うん。すごく不思議」
侑子は同じようにして、その場にいた他の四人の魔力も見てみた。
ハルカは向日葵を思わせる明るい黄色、アオイはキャンプファイヤーのように大きく燃え上がる赤、ミツキは赤やオレンジが混ざった明るい暖色、スズカは深い森の滲んだ緑の魔力だった。
「一人一人違うんだね。赤は赤でも、全然違う」
ミツキとアオイは二人共赤い魔力だったので、以前ユウキから聞いた説明の通り、炎の魔法に長けているのだろう。
しかし二人の魔力の色や受け取る印象は、全く異なっていた。
「そういうものなんだよ。ミツキは照らしたり温めたり、どちらかというと補助的な使い方が子供の頃から上手いんだ。対する俺は、こう見えてけっこう直接的というか、攻撃的な魔法の方がすんなり出しやすいんだよね。いつも意外だって言われるけど」
もじゃもじゃ頭を指先で掻きながら、アオイが説明した。
「その人の魔力の特性が表れるってことなの? 面白いね。けど、ちょっと恥ずかしいかも」
別に本人の性格と直結しているものでもないはずだが、普段は隠れているものをあえて見られることによって、自分のプライベートな情報を掲示しているようにも思えた。
防視効果つきの魔道具の需要があるのも頷ける。
「そう思う人もある程度はいる。だからこのブレスレットみたいな商品も、流通しているんだからね」
侑子が考えていたことと同じ言葉を、ユウキが口にした。
外していたブレスレットを、侑子の左手につけてくれる。二つの紐端の鱗が揺れた。
「それにちょっと物騒なことを言うと、珍しい魔力の見え方をしてる人を狙った誘拐ってたまにあるんだよ。“才”をもってる人も同じ。防犯目的で小さな子供に防視魔道具を持たせることは多いよ」
「えぇ……そうなんだ」
「“才”といえば」
床を転がるペンギンを手に乗せて、ハルカが言葉を挟んだ。
パタパタと羽を腕のように上下に動かすあみぐるみを、まじまじと一通り眺めた後、今度は侑子に視線を移して彼は続ける。
「ユーコちゃんのこの魔法も、“才”なんじゃないか?」
翡翠色の髪を今日は一つにくくっている。耳を飾る銀のピアスが、きらりと光った。
「無機物を動かす魔法はあるにはあるけど、かなり高度な仕組みのはずだ。それにこんな風に個別の意思を持ったように動かすなんて、できないはずだろう。初めて見たよ、こんなの」
人差し指でつんつんとペンギンをつついたハルカの腕を、非難するようにペンギンのあみぐるみは一叩きする。彼の手の上から床へと、転がり降りていった。
「こいつらにこういう動きをしろって、逐一念じてるわけじゃないんだろう?」
「まさか」
侑子は首を振った。
各々自由気ままに動き回る十体のあみぐるみ達は、確かに自分たちの意思で動いているようにしか見えない。そもそも侑子の予想外の動きしかしないのだから、操っているなんて考えたこともなかった。
「ぬいぐるみが動く度に、ユーコちゃんの魔力が減ってるわけでもないからね。確かに珍しいとは思ってた」
ユウキはハルカに同意のようだった。
「だったら余計にそのブレスレットは、外さないでいたほうがいいな」
コクコクと侑子は頷く。
「命を与える魔法、か。神秘的ね」
ミツキが胸に抱いたウサギを、優しく撫でながらつぶやいた。
ウサギのあみぐるみは動きを止めて、彼女の身体にぴったりとくっついたまま、時折長い耳をピクリと動かしている。よく見ると胴体部分が僅かに上下しているので、寝息を立てながら眠っているのだろう。
「こうして触っていると分かるの。ちゃんと鼓動があるのよ。生き物みたいに」
「綿しか入れてないはずなんだけど」
どういう仕組なのか侑子にもさっぱりわからないが、糸を解いて中を確認する気にはならなかった。
「無機物を動かせるとなると、ぬいぐるみ以外の物も同じようにできるってこと?」
アオイの疑問は尤もで、侑子は既に試していた。
とりあえず手近なところにあった畑の小石に対して、あみぐるみと同じように魔法がかかるように念じてみたのだ。しかし小石に変化は現れず、いつまでたってもただの小石だった。
コップや鉛筆、リリーの屋敷の玄関先に飾ってあった木彫りの人形に対してもやってみたが同じだった。
「なんでもいいってわけでもないのか。不思議だなぁ」
侑子の説明を聞いたアオイは狐色の瞳を瞬かせた。
「魔法ってそもそも、不思議なものだと思うよ」
侑子はつぶやいた。
少なくとも説明がつかない要素があるからこそ、魔法なのではなかろうか。少し前まで魔法なんて存在しない世界の住人だった侑子には、そうとしか思えない。
「そうだね」
スズカが同意した。
「理由や仕組みが分からなくても、目の前に見えていることを私達がどう感じるのか。それが大切なのよね。私はユーコちゃんのこの魔法、とっても好きだな」
にっこり笑ったスズカはあみぐるみの頭を撫でた。ぷぅと鳴ったその音は嬉しそうに高く響いた。
ちょっと野暮用があるのと、リリーは外出してしまった。
大きな屋敷の留守番を託された侑子は、広い畳部屋の上でバタリとうつ伏せに倒れ込んだ。
今にも睡魔との戦いに負かされそうだ。
そんな侑子の身体の上で、十体のあみぐるみたちが飛んだり跳ねたりしている。ぴぃぴぃぷぅぷぅと楽しげな音が聞こえてくるので、遊んでいるのだろう。
「わぁ。増えたね」
頭上から可笑しそうに笑う声が聞こえて、侑子が顔を向けると、ユウキと四人の幼馴染たちが部屋の戸口に立っていた。
「あ、おかえりなさい」
侑子が慌てて起き上がると、ぴぃーという音と共に、背中に掴まりそこねた数体のあみぐるみたちが、畳の上にバラバラと落ちていった。
「なにこれ! 可愛いー!」
転がってぴぃぷぅ不満げな低い鳴き声を上げる青いクマを抱き上げたミツキが、黄色い声を上げる。
「動いてる……ぬいぐるみが……」
「どういう仕組だ?」
ハルカとアオイの二人は、畳の上をゴロゴロと自発的に転がる丸いペンギンを目で追って、驚愕していた。
「これ、ユーコちゃんが魔法で?」
スズカは足元に近づいてきたネコを手のひらに乗せ、鼻部分を撫でながら訊ねた。
侑子が頷くと、ぱっと笑顔を浮かべる。
「おめでとう、ユーコちゃん。すごいね!」
「ありがとう」
素直に嬉しくて、顔を赤くした侑子は笑った。自分が魔法を使えたという実感が、じわじわと湧いてくる。
「疲れてそうだね。ちょっとそれ外してみて」
言われた通りにブレスレットを外すと、ユウキがしばらくじっと此方を見つめてきた。そして困ったように笑った。
「すごい頑張りだったのが分かったよ。もうほとんど魔力が枯渇寸前だ。今日はもう、魔法は使おうとしないほうが良いね」
そこで侑子は、ふとあることを思い出してユウキを見つめ返した。そしてあ、と声を出す。
「ユウキちゃんの魔力、とっても爽やかな色なんだね」
見ようと意識するだけで、見えるものなのだ。
侑子はユウキの身体から立ち上る、青い色を感じた。
それは淡い空色で、岩にぶつかって飛沫を上げる、渓流のような瑞々しさを思わせた。
実際に視覚が確認しているのか、脳で青という色を認知しているだけなのか、曖昧になる妙な感覚だった。
本当に目から見える色彩の情報ならば、咄嗟に渓流を連想したりしなかっただろう。これが魔力を見るという行為なのか。侑子は初めての経験に、僅かに心が昂ぶるのを感じた。
「見えるようになったんだね」
ユウキは目を細めて、優しく笑った。
「どんな感じ? 見えると感じるの、中間の感覚じゃない?」
「うん。すごく不思議」
侑子は同じようにして、その場にいた他の四人の魔力も見てみた。
ハルカは向日葵を思わせる明るい黄色、アオイはキャンプファイヤーのように大きく燃え上がる赤、ミツキは赤やオレンジが混ざった明るい暖色、スズカは深い森の滲んだ緑の魔力だった。
「一人一人違うんだね。赤は赤でも、全然違う」
ミツキとアオイは二人共赤い魔力だったので、以前ユウキから聞いた説明の通り、炎の魔法に長けているのだろう。
しかし二人の魔力の色や受け取る印象は、全く異なっていた。
「そういうものなんだよ。ミツキは照らしたり温めたり、どちらかというと補助的な使い方が子供の頃から上手いんだ。対する俺は、こう見えてけっこう直接的というか、攻撃的な魔法の方がすんなり出しやすいんだよね。いつも意外だって言われるけど」
もじゃもじゃ頭を指先で掻きながら、アオイが説明した。
「その人の魔力の特性が表れるってことなの? 面白いね。けど、ちょっと恥ずかしいかも」
別に本人の性格と直結しているものでもないはずだが、普段は隠れているものをあえて見られることによって、自分のプライベートな情報を掲示しているようにも思えた。
防視効果つきの魔道具の需要があるのも頷ける。
「そう思う人もある程度はいる。だからこのブレスレットみたいな商品も、流通しているんだからね」
侑子が考えていたことと同じ言葉を、ユウキが口にした。
外していたブレスレットを、侑子の左手につけてくれる。二つの紐端の鱗が揺れた。
「それにちょっと物騒なことを言うと、珍しい魔力の見え方をしてる人を狙った誘拐ってたまにあるんだよ。“才”をもってる人も同じ。防犯目的で小さな子供に防視魔道具を持たせることは多いよ」
「えぇ……そうなんだ」
「“才”といえば」
床を転がるペンギンを手に乗せて、ハルカが言葉を挟んだ。
パタパタと羽を腕のように上下に動かすあみぐるみを、まじまじと一通り眺めた後、今度は侑子に視線を移して彼は続ける。
「ユーコちゃんのこの魔法も、“才”なんじゃないか?」
翡翠色の髪を今日は一つにくくっている。耳を飾る銀のピアスが、きらりと光った。
「無機物を動かす魔法はあるにはあるけど、かなり高度な仕組みのはずだ。それにこんな風に個別の意思を持ったように動かすなんて、できないはずだろう。初めて見たよ、こんなの」
人差し指でつんつんとペンギンをつついたハルカの腕を、非難するようにペンギンのあみぐるみは一叩きする。彼の手の上から床へと、転がり降りていった。
「こいつらにこういう動きをしろって、逐一念じてるわけじゃないんだろう?」
「まさか」
侑子は首を振った。
各々自由気ままに動き回る十体のあみぐるみ達は、確かに自分たちの意思で動いているようにしか見えない。そもそも侑子の予想外の動きしかしないのだから、操っているなんて考えたこともなかった。
「ぬいぐるみが動く度に、ユーコちゃんの魔力が減ってるわけでもないからね。確かに珍しいとは思ってた」
ユウキはハルカに同意のようだった。
「だったら余計にそのブレスレットは、外さないでいたほうがいいな」
コクコクと侑子は頷く。
「命を与える魔法、か。神秘的ね」
ミツキが胸に抱いたウサギを、優しく撫でながらつぶやいた。
ウサギのあみぐるみは動きを止めて、彼女の身体にぴったりとくっついたまま、時折長い耳をピクリと動かしている。よく見ると胴体部分が僅かに上下しているので、寝息を立てながら眠っているのだろう。
「こうして触っていると分かるの。ちゃんと鼓動があるのよ。生き物みたいに」
「綿しか入れてないはずなんだけど」
どういう仕組なのか侑子にもさっぱりわからないが、糸を解いて中を確認する気にはならなかった。
「無機物を動かせるとなると、ぬいぐるみ以外の物も同じようにできるってこと?」
アオイの疑問は尤もで、侑子は既に試していた。
とりあえず手近なところにあった畑の小石に対して、あみぐるみと同じように魔法がかかるように念じてみたのだ。しかし小石に変化は現れず、いつまでたってもただの小石だった。
コップや鉛筆、リリーの屋敷の玄関先に飾ってあった木彫りの人形に対してもやってみたが同じだった。
「なんでもいいってわけでもないのか。不思議だなぁ」
侑子の説明を聞いたアオイは狐色の瞳を瞬かせた。
「魔法ってそもそも、不思議なものだと思うよ」
侑子はつぶやいた。
少なくとも説明がつかない要素があるからこそ、魔法なのではなかろうか。少し前まで魔法なんて存在しない世界の住人だった侑子には、そうとしか思えない。
「そうだね」
スズカが同意した。
「理由や仕組みが分からなくても、目の前に見えていることを私達がどう感じるのか。それが大切なのよね。私はユーコちゃんのこの魔法、とっても好きだな」
にっこり笑ったスズカはあみぐるみの頭を撫でた。ぷぅと鳴ったその音は嬉しそうに高く響いた。