44.世界ⅰ近くへ

文字数 1,371文字

「お! 偶然」

「高橋先輩」

 貸しスタジオの出口で、裕貴は懐かしい人物と遭遇した。
 
「今終わったとこ?」

「はい」

 侑子の従兄弟であり、愛佳の兄であり、中学時代の部活の先輩である。接点は多いはずだったが、遼の卒業以来、二人は顔を合わせる機会はあまりなかった。

 折角だから何処か寄っていこうという話になり、二人が向かったのはカラオケ店だった。
通された部屋が先日侑子と二人で歌った部屋だったので、裕貴は密かに苦笑いを浮かべた。

 お互いに軽く近況報告をした後、自然と音楽と部活の話題になる。遼の高校の軽音楽部も、部員数の多さで有名だった。

「へえ。ゆうちゃんと歌うのか」

 合宿最終日の出来事からの顛末を語ると、遼は「楽しそうだな。学祭見に行くから」と笑った。

「ユウキちゃんの曲、良いもんな」

「先輩は会ったことあるんですか。手塚勇輝さんに」

「えっ」

 予想以上の食いつきに、遼はあからさまにあたふたした。
分かりやすく、「まずい」の三文字が顔に浮かんでいる。

――なんで動揺してるんだ?

 裕貴の方も、そんな反応は予想外だった。真意が分からず、怪訝な顔になる。

「な、ないよ。俺は。ユウキちゃんと会ったことあるのは、ゆうちゃんだけ。話したこともない」

「……ゆうちゃんと手塚勇輝さんって、どういう関係なんですか」

 遼の取り乱し方が気になりつつ、裕貴は最も知りたいことだけに、質問を絞ることにした。

「付き合ってるんですか」

 遼はうーん……と言葉を詰まらせた。
動揺した様子は鎮まったが、代わりに唸りながら首を捻っている。深く考えているようだった。

「……それはないんじゃないか。会えないんだし」

「それ」

 腕を組みながら、苦心して絞り出した遼の答えに、裕貴は食い気味に質問を重ねた。

「『会えない』って、ゆうちゃんも言ってた。どういうことなんですか。譜面はよく送られてきますよね」

 よく分からないことは、そればかりではなかった。

 パート譜まで揃った譜面が手に入る一方、音源は一度だって目にしたことはなかった。音声データのやり取りなんて、スマートフォン一つあれば簡単に出来るはずなのに。

「言葉通りの意味だろう。会いたくても、会えないんだ」

 それ以上の言葉は思いつかない、そんな困りきった顔をしている。遼はもう一度大きく唸って、ボリボリと頭を掻いた。

「ごめん。俺が分かるのは、これくらい」

「いえ……。ありがとうございました」

 裕貴がそれ以上の質問を切やめたと分かったのだろう、遼は肩を下ろした。分かりやすい人だな、と裕貴はおかしくなった。

「俺、ゆうちゃんのことが好きなんです」

「え」

「ちゃんと意味分かってます? 恋人になって欲しいって意味の、好きですよ」

 突然の告白に、遼の口がぽかんと開く。

「なんで今それを俺に」

「言質を取ってもらいたいんです」

「言質」

「俺がゆうちゃんのこと、そういう目で見てるって、証人になって欲しいんですよ。後で逃げないように」

 遼だとちょうどいいのだ。
侑子と縁も深く、手塚勇輝のことも知っている。おそらく自分が知る以上の侑子と勇輝のことも、遼は知っているのだろう。
 そんな人物にこの想いを知っておいてもらうことは、裕貴にとって重要なことだった。

――これで後に引けなくなった

 裕貴は小さく息を吸い込んだ。

――進むしかない。近づくしかない。彼女の中の、手塚勇輝に
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