10.対

文字数 2,262文字

 円陣を組むテントのうち、最も小さな中に、侑子は招き入れられた。

「ラン、連れてきたよ」

 出入り口の帳は開かれたまま固定されていたので、近づけば中の様子は丸見えだった。

 ヤヒコと並んで侑子が足を踏み入れた時、その女性は急須を手にして、こちらに振り向いたところだった。

「ご苦労さま。そちらが、ユウコさん」

 なるほど長老という呼称は、彼女にそぐわない。侑子は思った。

「よくいらっしゃいました」

 侑子に会釈を返したその人は、長身の女性だった。アーモンド型の凛々しい目元と、口元のほくろが印象的な、壮年期半ばと思わせる外見だった。

背筋がぴんと伸び、高い位置で一つ結びにした黒髪が美しいので、若々しく見える。少なくとも侑子の両親よりは、下の世代だろう。

「どうぞ、楽にして? 疲れたでしょう。この辺の山は結構険しいから。お茶でも飲みながら、寛いでお話ししよう」

 麻のシャツとジーンズという格好は、ここが魔法の世界であることを忘れさせる程、ありふれた物だった。

侑子は床に置かれたクッションの上に、促されるまま腰を降ろした。

目の前のローテーブルに、湯気の立つカップが置かれる。香りは麦茶のようだった。

「さあ、何から話しましょうかね。あ、私の名前はラン。もう聞いてるかな」
「はい」

 小ぶりの菓子器に、小さなチョコレートが入っている。それを勧めながら、ランの視線は、しばし侑子の顔の上を彷徨った。

「可愛らしいお嬢さんだこと」
「いえ」
「あら、謙遜しなくていいのに。可愛いよ。王都に、恋人がいたのでしょう?」

 侑子は顔を上げた。
ユウキとの文通の話まで、もう把握しているのだろうか。

「ヤチヨから聞いているよ。……私も上の世代から、この世の道理や歴史を、色々教わってきた。けれど、こんなことは初めて」

 ランの視線が、侑子の左腕に移動した。
銀のブレスレットと、透証がそこにあった。

「あなたがその魔道具を外したとしても、私達には魔力は見えない」

 侑子のすぐ隣には、支えるようにヤチヨが座っていた。向かい側のランの隣には、ヤヒコ。

テントの入り口から、コルとミサキが興味深そうに大人たちを観察している。

「この世は全て、“(つい)”なのだよ」

 ランの声は、穏やかに響いた。

「相反する対象的なものが二つ。必ず対を成している。男と女、陰と陽、昼と夜」

 ランは両手をそれぞれ同じ高さに掲げ、対を表現した。

「魔力を持つ者、持たない者。それも対の関係。世界は対のバランスを取りながら、成り立っている」
「バランス?」

 侑子の呟きに、ランは「そうだねぇ」としばし思案し、思いついたように立ち上がり、テントの片隅から何かを持ってきた。

 重さの計量に用いる、天秤だった。

ランはローテーブルに天秤を据えると、片方の計量皿にチョコレートを数粒置いた。
当然、天秤は傾いた。

「今のこの地球の人類バランスは、こんな感じ」

 ランは言った。

「圧倒的多数が、魔力を持つ人間。私達メム人は、こちら」

 宙に浮いてぶらぶらと揺れる、何も乗っていない計量皿を、ランの指が指した。

「魔法を使えない人間は、どうしても不便するからな。その分工夫して生きているけど、魔法が使える人間からすると、見下しの対象か、希少さ故の崇拝の対象になる。さっきも言っただろう」

 ヤヒコが薄く笑っていた。

「魔法を使えない人間も、使える人間も、本来は大体同数になるように、世界の(ことわり)はできている――――対の関係だから。けれど地球上、多くの地域では魔法を使えない人々は、どうしても繁栄し辛い。人数はいつの時代も、魔法を使える人間よりも少なかった」

 長老の説明に、ヤチヨはただ頷いている。

「それ故、生まれながら魔力を持たない赤子が誕生する。魔力持ちの両親の元からね。そうやって世界は、バランスを取ろうとしてきた」

 その説明を聞いた時、侑子は初めて怪訝な顔をした。

「それじゃあ……」
「昨今、ヒノクニでも突然魔力なしの子供が生まれるようになった。それは何故かって?」

 侑子の疑問は、すぐにその場のメム人全員にさとられた。

「ヒノクニは特殊だったんだ。ずっと、古く昔から」

 ヤヒコが言った。

「魔力ありの両親から、魔力なしの赤ん坊が生まれることなんて、他の国では日常茶飯事なんだよ――――魔力なしを厭う地域では、特にね。バランスを取るための(ことわり)さ。皮肉だよな」
「でもその理は、ヒノクニでは通用してなかったんじゃないの……?」

 侑子は呟くように、ヤヒコに反論した。

「だって、聞いたことなかった。私は前回、一年しかこの世界にいなかったけど。その間、一度もあなた達――メム人の存在を聞いたことはなかった。私の周りの人達が、あなた達のことを知っている様子は、全くなかった」

 メムの民は、普通の人々が近づかない深い山中を移動しながら、一箇所に留まらない移住生活を繰り返しているという。

魔法を扱うヒノクニ国民と同数のメム人が、そのようにひっそりと、存在を知られないまま暮せていたとは、考えづらかった。

「ヒノクニ内でも、魔力ありと魔力なしの人々の均衡は、取れていなかったんじゃないですか?」

 侑子の質問には、あっさり答えが与えられた。

「そうだね。ヒノクニ内のメムの人口は、圧倒的に少ない」

 ランは計量皿に、チョコレートを追加した。
天秤はより傾いて、チョコレートの置かれた皿は、遂にテーブルに届いてしまった。

「そこがヒノクニが、特殊な国だと言われる所以(ゆえん)

 ヤヒコは侑子に、顔を近づけた。

「知ってた? 他国からヒノクニは、こんな風にも呼ばれてきたんだよ――――『無色の国』と」
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