48.悪趣味

文字数 2,066文字

――私はこの人に、恋をしていたのだろうか

 骨ばった指が、金属製の円筒の表面を撫でていた。その指先は、シグラの中のイメージよりも大分皺が刻まれていて、初老の男のものだと一目で分かる。
彼も歳を取ったのだ。

――恋情とは、そもそもどんな感情なのだろう。分からない。私はなぜ今も、この場所を離れられないでいるのだろう。なぜ、側にいたいと思うのだろう

 この部屋――兵器が安置されている場所に入ることができるのは、シグラとブンノウの二人だけだ。

 ブンノウにそこまで気を許されていると、ダチュラはシグラに対して、嫉妬しているのかも知れない。自分と同じ崇拝者の立場で、シグラの方がほんの少しだけブンノウの信用を多く得ていると。
その考えは、シグラに甘い優越感を施した。

 しかし、一方で彼女は分かっていた。ブンノウに気を許されているわけでも、彼に伴侶として情を持たれているわけでも、ないのだということを。

――ブンノウは知っているだけ。私と彼は運命共同体だと

 シグラは椅子から立ち上がり、白衣姿の隣に並び立った。彼の視線が此方を捉えることはなかったが、シグラの手が円筒形の兵器に触れることを、咎めることもなかった。

 彼は認めているのだ。

――私がいたから、これを作れたのだもの

 そのために、シグラとブンノウは出会うように、最初から仕組まれていたのだ。大いなる何かによって。

 その証拠が、夢の共有だ。

――あの不快を、あなたも感じていたの?

 シグラにとって、夢は悪夢だった。
いつだって不安、恐怖、虚無に揺れながら目覚めた。

その不快感が意味することも、もちろん理解している。

――私達は破滅に向かっている……それとも、あなたは違うの?

 悪夢と受け取っていたのは、シグラだけだろうか。

同じ夢を共有した片方だけが、悪夢であることなど、ありえるのだろうか。

 ありえなかったとしても、ブンノウには関係ないのかもしれない。

――だってあなたには、感情が欠落しているもの。悪夢を悪夢と捉えるかどうかの判断は、あなたには出来ない

 だからシグラとブンノウは、こんなところまで辿り着いてしまったのだ。
もしもブンノウも一般的な精神の持ち主だったら、例え二人が出会ったとしても、なかったふりを貫いただろう。
夢を正夢としないために。

――少なくとも私には、凶夢だったってことよね

 それでも構わない。
シグラは諦めていた。

――やはり私は、あなたに恋をしていたのかも知れない

 そう認めてしまわなければ、説明がつかないのだ。

どんなに絶望を見ても、悲しみに抗えないと思っても、止めることはできなかった。

 虚無を映したスカイブルーの瞳と、決して本心からの笑顔を浮かべることのない、その顔。

誰にも信じてもらえなかったシグラが見ていた真実(天膜)を、少しの疑いも抱かずに受け入れていたのは、彼だけなのだから。
 その事実だけで、シグラの心は最初から決まっていたのだ。

「もう一つも、もうすぐ完成だ。二つ並んだ姿を、早く貴女と眺めたい」

 乾いた声は、シグラの耳の内で甘く響いた。

「仕上げはどうする? 透明な魔力は」

「合図を待っていればいい」

「合図?」

「合図があったら、一緒に最後の天膜採取をしましょう」

 ブンノウの手が冷たい金属の表皮から離れ、シグラの手を握った。酷く冷たく、人間の皮膚の感触ではないようだった。

「その時、才を使ってください。特別大きなスポットを、教えて欲しい」

「……揺れを起こすの? この場所は大丈夫なの」

「そのために防護結界を多重に張り巡らせたのですから」

「分かった」

 それ以上仔細を聞かなくとも、シグラには予想がついていた。

冷たい手は、シグラが体温を伝えようとも、決してその熱を受け取ろうとはしなかった。いつまでも冷えたままだ。

「あなたに出会えたことに、神に感謝しなくてはいけませんね」

 唐突に放たれたその言葉に、シグラはふっと笑いを漏らした。

「何かおかしいことを言いましたか?」

「だってあなたから、まさか神なんて言葉を聞くとは、思わないじゃない」

「説明がつかない事象には、とりあえずそう名付けておけば便利でしょう?」

「あなたらしいわ」

 シグラはうっすらと笑顔を浮かべたまま頷いた。

「この兵器に、ちょっとした遊びを仕組もうと思っています」

 シグラの笑顔に誘われたわけではないだろうが、ブンノウは軽い声音で告げた。

「遊び?」

「あの歌を」

 ブンノウの声が刻んだ旋律は、シグラの顔から笑顔を掻き消した。

「一緒に歌ってはくれないのですか?――――夢の中のように」

 固まったシグラの唇に、冷たく硬い、ブンノウの唇が僅かな瞬間重なった。
すぐに離れていったのが分かったが、その後に彼女のその場所から、旋律が紡がれることはなかった。

「……どんな仕組みとして使うの?」

 その質問に対して返されたブンノウの答えは、短いものだった。
それに対するシグラの感想も、同様だ。

「悪趣味ね」

 ブンノウは笑った。その笑みにやはり感情を感じ取れなくて、シグラは自分の予感が的中することを、再び確信するのだった。

「あなたらしいわ。大好きよ」

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