央里②
文字数 2,351文字
「また会えるよ、コル」
改札前。いよいよここでお別れだという時になって、少年は絶えきれず顔を歪めた。一筋涙が流れると、堰が切られたように、大きな瞳からボロボロと水滴が零れ落ちてくる。
無言で涙を拭いながら、コルは侑子を見上げていた。止めたくても止められないのだろう。
そういう涙は、侑子も知っていた。
「言霊。あるでしょう? だから大丈夫」
侑子の言葉に、何度か頷く。
涙を流す子供を前に、侑子を始め大人たちは見守るしかなかった。ヤヒコも何も言葉を挟まず、ただ息子の涙が静まるのを待っているようだった。
コルが別れに対して否と言って泣いているわけではないと、皆理解している。少年が気持ちに蹴りをつけるのを、ただ待っているのだ。
ピィピィ
侑子が背負うザックの中から、雑踏の中でも周囲の者が聞き取れる大きさで、その音が鳴った。
ゴソゴソと、背中越しに移動する感触が伝わってくる。
侑子がザックを降ろすと、ファスナーの辺りを内側から叩いているのが分かった。
「どうしたの」
仲間以外の周囲の目を気にしながら、侑子が僅かにファスナーを開けて、中を確認しようとした。
「わっ!」
声を上げたのはコルだった。
ザックから跳び出て、コルの顔に張り付いたのは、背中に鱗を生やした白クマだった。
大人たちが大慌てでコルの姿を隠すようにして、周りに立った。幸い、今の一幕を目撃した通行人はいなかったようだった。
「どうしたの、もう! びっくりした」
侑子はコルの顔からシロクマを引き剥がそうとしたが、頭をイヤイヤするように振りながら、クマは侑子の手から逃れた。そのままコルのシャツの襟元から、中へと逃げ込んでしまう。
「うわわ。何!? アハハ! は、は、くすぐったいよ!」
一人笑い悶える子供の姿は、さすがに注目を引いてしまいそうだ。
侑子が再びコルの方へ手を伸ばした時、クマが彼の襟元から頭だけを出した。
「……もしかして、コルのことを笑わそうとしたの?」
少年の涙を、止めようとしたのだろうか。
酷くヒヤヒヤさせられたけれど、それなら納得できる。
しかしクマは首を振った。
ぷぅ
短く返した返事は、日本語ではないので真意は分からない。
しかし侑子には、なぜかクマの意図することが、瞬時に理解できたように感じたのだった。
頭頂部だけ糸の色の違うシロクマは、侑子の初めての魔法がかかったあみぐるみだった。
「お前……一緒についていきたいの? コルと」
ヘッドバンギングのように、激しく上下に頭を振る様子に、笑えてしまう。
それはクマの肯定を示すものだ。
侑子には分かった。
「そっか。……コル、お願いしていいかな。そのクマ、一緒にお供させてもらっていい?」
きょとんとした表情を浮かべたコルは、侑子の言葉を飲み込んだ後、その頬を上気させた。
「いいの?」
「そうしたいって、本人が」
クマが再びヘドバンを始める。
「目立つところでは、もうちょっと抑えて」
念押しするようにクマの額に人差し指を押し付けて、侑子はクマを諌めた。
「ミサキ達にも、見せてやりたいって思ってたんだ……」
鼻をすすりながら、コルは胸元のクマをつついた。
「こんなの、初めて見たから。獣でもロボットでもない。俺たち魔法は使えないけど、見慣れていないわけじゃないんだよ。だけど初めて、魔法って凄いって思った」
クマはコルのことを見上げながら、少しだけ胸を張るようなポーズを取った。
コミカルなその動きに、少年は笑う。その声は、年齢相応の無邪気なものだった。
「コル、ありがとう。絶対にまた会おうね」
「うん」
頬に残る涙の筋を拭い去ると、コルは侑子の手を握った。
侑子の手の方が大きかったが、込められた力は強い。
堅い握手だった。
「ユウコ、元気で。チヨ、後でな」
ヤヒコの挨拶は短いものだった。
その言葉の後にユウキやアミ、紡久にも一言ずつ短く声を掛けると、息子を伴って身を翻した。
改札前に残された五人は、父子の姿が見えなくなってからもしばらく、その場に留まっていた。
(ヤヒコは名残惜しい時ほど、挨拶が短い)
ヤチヨは可笑しそうに笑いながら、四人に兄の癖を暴露した。
(きっと一段落ついたら、すぐに会いに来るよ)
「楽しみだな」
ユウキの言葉に、侑子は深く頷く。
「一段落……か」
「もしかして、アミも作戦に加わるの?」
「いや」
花色の髪が左右に揺れた。
「よっぽど王府の前線部員が足りなくならない限り、ないだろうな。そんな事態になる前に、おそらく国軍に声がかかる」
「軍……」
侑子が反復した声は、低くなった。
前回この国にやってきた時、軍隊を持つ国であると知ったときには、やけに遠く感じたものだ。しかし今はそう感じない。侑子のいた世界、日本でも軍隊や戦争という単語は、すっかり身近なキーワードとなっていた。
「それよりも俺には、遂行しないといけない任務があるからな。君たち三人に、しっかり幸せになってもらわないと。王により多くの副産物を、採取して頂かないといけない」
「俺も含まれるの?」
不思議そうな表情のユウキに、アミはしたり顔で笑った。
「そりゃそうだろう――ユーコちゃんの幸せに、ユウキは不可欠なんだから」
「確かに」
赤くなる侑子に、素直な紡久の相槌が追い打ちをかける。
しかしユウキの方は、そんな冷やかしに動じた様子はない。
自然に侑子の手を取ると、改札の向こうへと引いた。
「それじゃあ、早速ユーコちゃんを喜ばせてあげないとね」
手を繋いで歩くのは、何年ぶりだろう。
悪路では手など繋げなかったし、駅までの道中でも、何となく気が引けて握れなかった、懐かしい手。
後方からの三人の視線が気になったのは、最初のうちだけだった。
握り返した侑子を見る緑の目は、優しく細められている。
大好きな声が、耳元で囁いた。
「帰ろう、ユーコちゃん」
改札前。いよいよここでお別れだという時になって、少年は絶えきれず顔を歪めた。一筋涙が流れると、堰が切られたように、大きな瞳からボロボロと水滴が零れ落ちてくる。
無言で涙を拭いながら、コルは侑子を見上げていた。止めたくても止められないのだろう。
そういう涙は、侑子も知っていた。
「言霊。あるでしょう? だから大丈夫」
侑子の言葉に、何度か頷く。
涙を流す子供を前に、侑子を始め大人たちは見守るしかなかった。ヤヒコも何も言葉を挟まず、ただ息子の涙が静まるのを待っているようだった。
コルが別れに対して否と言って泣いているわけではないと、皆理解している。少年が気持ちに蹴りをつけるのを、ただ待っているのだ。
ピィピィ
侑子が背負うザックの中から、雑踏の中でも周囲の者が聞き取れる大きさで、その音が鳴った。
ゴソゴソと、背中越しに移動する感触が伝わってくる。
侑子がザックを降ろすと、ファスナーの辺りを内側から叩いているのが分かった。
「どうしたの」
仲間以外の周囲の目を気にしながら、侑子が僅かにファスナーを開けて、中を確認しようとした。
「わっ!」
声を上げたのはコルだった。
ザックから跳び出て、コルの顔に張り付いたのは、背中に鱗を生やした白クマだった。
大人たちが大慌てでコルの姿を隠すようにして、周りに立った。幸い、今の一幕を目撃した通行人はいなかったようだった。
「どうしたの、もう! びっくりした」
侑子はコルの顔からシロクマを引き剥がそうとしたが、頭をイヤイヤするように振りながら、クマは侑子の手から逃れた。そのままコルのシャツの襟元から、中へと逃げ込んでしまう。
「うわわ。何!? アハハ! は、は、くすぐったいよ!」
一人笑い悶える子供の姿は、さすがに注目を引いてしまいそうだ。
侑子が再びコルの方へ手を伸ばした時、クマが彼の襟元から頭だけを出した。
「……もしかして、コルのことを笑わそうとしたの?」
少年の涙を、止めようとしたのだろうか。
酷くヒヤヒヤさせられたけれど、それなら納得できる。
しかしクマは首を振った。
ぷぅ
短く返した返事は、日本語ではないので真意は分からない。
しかし侑子には、なぜかクマの意図することが、瞬時に理解できたように感じたのだった。
頭頂部だけ糸の色の違うシロクマは、侑子の初めての魔法がかかったあみぐるみだった。
「お前……一緒についていきたいの? コルと」
ヘッドバンギングのように、激しく上下に頭を振る様子に、笑えてしまう。
それはクマの肯定を示すものだ。
侑子には分かった。
「そっか。……コル、お願いしていいかな。そのクマ、一緒にお供させてもらっていい?」
きょとんとした表情を浮かべたコルは、侑子の言葉を飲み込んだ後、その頬を上気させた。
「いいの?」
「そうしたいって、本人が」
クマが再びヘドバンを始める。
「目立つところでは、もうちょっと抑えて」
念押しするようにクマの額に人差し指を押し付けて、侑子はクマを諌めた。
「ミサキ達にも、見せてやりたいって思ってたんだ……」
鼻をすすりながら、コルは胸元のクマをつついた。
「こんなの、初めて見たから。獣でもロボットでもない。俺たち魔法は使えないけど、見慣れていないわけじゃないんだよ。だけど初めて、魔法って凄いって思った」
クマはコルのことを見上げながら、少しだけ胸を張るようなポーズを取った。
コミカルなその動きに、少年は笑う。その声は、年齢相応の無邪気なものだった。
「コル、ありがとう。絶対にまた会おうね」
「うん」
頬に残る涙の筋を拭い去ると、コルは侑子の手を握った。
侑子の手の方が大きかったが、込められた力は強い。
堅い握手だった。
「ユウコ、元気で。チヨ、後でな」
ヤヒコの挨拶は短いものだった。
その言葉の後にユウキやアミ、紡久にも一言ずつ短く声を掛けると、息子を伴って身を翻した。
改札前に残された五人は、父子の姿が見えなくなってからもしばらく、その場に留まっていた。
(ヤヒコは名残惜しい時ほど、挨拶が短い)
ヤチヨは可笑しそうに笑いながら、四人に兄の癖を暴露した。
(きっと一段落ついたら、すぐに会いに来るよ)
「楽しみだな」
ユウキの言葉に、侑子は深く頷く。
「一段落……か」
「もしかして、アミも作戦に加わるの?」
「いや」
花色の髪が左右に揺れた。
「よっぽど王府の前線部員が足りなくならない限り、ないだろうな。そんな事態になる前に、おそらく国軍に声がかかる」
「軍……」
侑子が反復した声は、低くなった。
前回この国にやってきた時、軍隊を持つ国であると知ったときには、やけに遠く感じたものだ。しかし今はそう感じない。侑子のいた世界、日本でも軍隊や戦争という単語は、すっかり身近なキーワードとなっていた。
「それよりも俺には、遂行しないといけない任務があるからな。君たち三人に、しっかり幸せになってもらわないと。王により多くの副産物を、採取して頂かないといけない」
「俺も含まれるの?」
不思議そうな表情のユウキに、アミはしたり顔で笑った。
「そりゃそうだろう――ユーコちゃんの幸せに、ユウキは不可欠なんだから」
「確かに」
赤くなる侑子に、素直な紡久の相槌が追い打ちをかける。
しかしユウキの方は、そんな冷やかしに動じた様子はない。
自然に侑子の手を取ると、改札の向こうへと引いた。
「それじゃあ、早速ユーコちゃんを喜ばせてあげないとね」
手を繋いで歩くのは、何年ぶりだろう。
悪路では手など繋げなかったし、駅までの道中でも、何となく気が引けて握れなかった、懐かしい手。
後方からの三人の視線が気になったのは、最初のうちだけだった。
握り返した侑子を見る緑の目は、優しく細められている。
大好きな声が、耳元で囁いた。
「帰ろう、ユーコちゃん」