招かれざる客③
文字数 1,638文字
「挨拶?」
ジロウは不快感を顕にすることを、少しも躊躇わなかった。たった一言の言葉尻にも、表情にもだ。
そんなことをするのは、ここ最近のジロウには珍しい。傍らで見守っていたノマは、そんなことを考えていた。
五年前、政争で混乱していた日々の中では度々目にしていた屋敷の主の姿を、こんな日に再び目にするとは、思ってもいなかった。
そしてジロウがこんな態度を返す来客もまた、あの頃と同じ類の人間のように見えた。
「平彩党の政治家さんが、わざわざ歳納の宴の最中にですか?」
政治家という単語と、わざわざという副詞を強調して、ジロウはあからさまな吐息を吐いた。
しかし目の前の男は、そんなジロウの態度など、まるで気に留めない様子で軽く笑った。唇の片側だけが上がる、特徴的な表情だった。
「ご近所も回らせていただきました。挨拶だけです。お時間もとりませんし、ご厄介にもなりません」
「まぁ。本当ですか。他の宴にも?」
ノマは素で声が裏返るほど驚いた。
政治家が一般人の歳納の宴に突然やってくるなんて、聞いたことがなかった。
そもそも宴に招待されていない者が、突然乱入してくること自体が非常識な行動として認識される。
そんな行為を政治家という職業の者がとるなんて、信じがたかった。
「ええ。皆さん驚かれていましたけどね。それにこちらには、個人的にお会いしたい方々が滞在中と耳にいたしました。是非お目にかかりたい」
ジロウもノマも一瞬思考が固まった。
しかし二人共表情に心情を出さないことには長けている。
「そりゃ、うちの宴にはライブハウスの売れっ子たちが何人も出席してますからね。けど、そういう目的もあると分かった以上は決して通すわけにはいきませんよ。皆完全にプライベートな休暇を楽しんでいる最中なんですから」
一段低くなったジロウの声に、男はようやく苦笑いを浮かべた。無理だと覚ったのだろうか。
男は中肉中背の特徴のない体型と、個性のない黒いビジネススーツ姿だった。
質素と言った方がいいだろう。艶のない茶の短髪はペッタリと固められているが、とても政治活動をしているような威圧感はなかった。
グレーのネクタイには光沢もなく、宴の席に合うような華やかな雰囲気が微塵も感じ取れない。
ノマは先程の発言と合わせて、この男が近所の宴にも顔を出したというのははったりに違いないと確信した。
「邪険にして申し訳ございませんが、どうぞお引取りくださいませ」
毅然としたノマの声に男はついに諦めたのか、予め準備しておいた定型文のような挨拶を口にすると、門を出ていこうとした。
その猫背気味の後ろ姿に、ジロウが声をかける。
「あんたそういえば、名刺も持っていないのか? もう一度名前を聞かせろ」
立ち止まった男がゆっくりと振り返る。
その顔は、先程と同じ口角が片方だけ持ち上げられた、不自然な笑顔だった。
仄かな街灯に照らし出されたその顔が、やけに不気味に見えて、ノマは無意識に眉をひそめてしまった。
「申し訳ありません。名刺は先程ご挨拶に上がらせて頂いた宴で、ちょうど切らしてしまいまして。私は、ダチュラ・ロパンと申します。それでは、大切なお客人によろしくお伝え下さい」
男は狭い歩幅で、ゆっくりと門から出て行った。
革靴が地面を擦るような足音がすっかり聞こえなくなると、黒い門はゆくりと閉ざされる。
ジロウとノマは、しばらく男が立ち去った門の方向をじっと見据えていたが、どちらともなく顔を見合わせた。
「―――すぐにエイマンくんに連絡しよう。お父さんに取り次いでもらう。こんな日に悪いが」
「理由が理由ですもの」
「ノマさんは、先に宴に戻ってくれ。ユーコちゃんとツムグくんには……」
ジロウはしばらく、顎に手をあてて考え込んだ。
「伏せておきましょうか。不安にさせても気の毒です。せめて年が明けてからでも」
「そうだな」
ジロウは頷く。ようやく彼らしい笑顔が戻った。
「今日は歳納の日。心からの笑顔で、この世界での初めての年越しをさせてやりたいものな」
ジロウは不快感を顕にすることを、少しも躊躇わなかった。たった一言の言葉尻にも、表情にもだ。
そんなことをするのは、ここ最近のジロウには珍しい。傍らで見守っていたノマは、そんなことを考えていた。
五年前、政争で混乱していた日々の中では度々目にしていた屋敷の主の姿を、こんな日に再び目にするとは、思ってもいなかった。
そしてジロウがこんな態度を返す来客もまた、あの頃と同じ類の人間のように見えた。
「平彩党の政治家さんが、わざわざ歳納の宴の最中にですか?」
政治家という単語と、わざわざという副詞を強調して、ジロウはあからさまな吐息を吐いた。
しかし目の前の男は、そんなジロウの態度など、まるで気に留めない様子で軽く笑った。唇の片側だけが上がる、特徴的な表情だった。
「ご近所も回らせていただきました。挨拶だけです。お時間もとりませんし、ご厄介にもなりません」
「まぁ。本当ですか。他の宴にも?」
ノマは素で声が裏返るほど驚いた。
政治家が一般人の歳納の宴に突然やってくるなんて、聞いたことがなかった。
そもそも宴に招待されていない者が、突然乱入してくること自体が非常識な行動として認識される。
そんな行為を政治家という職業の者がとるなんて、信じがたかった。
「ええ。皆さん驚かれていましたけどね。それにこちらには、個人的にお会いしたい方々が滞在中と耳にいたしました。是非お目にかかりたい」
ジロウもノマも一瞬思考が固まった。
しかし二人共表情に心情を出さないことには長けている。
「そりゃ、うちの宴にはライブハウスの売れっ子たちが何人も出席してますからね。けど、そういう目的もあると分かった以上は決して通すわけにはいきませんよ。皆完全にプライベートな休暇を楽しんでいる最中なんですから」
一段低くなったジロウの声に、男はようやく苦笑いを浮かべた。無理だと覚ったのだろうか。
男は中肉中背の特徴のない体型と、個性のない黒いビジネススーツ姿だった。
質素と言った方がいいだろう。艶のない茶の短髪はペッタリと固められているが、とても政治活動をしているような威圧感はなかった。
グレーのネクタイには光沢もなく、宴の席に合うような華やかな雰囲気が微塵も感じ取れない。
ノマは先程の発言と合わせて、この男が近所の宴にも顔を出したというのははったりに違いないと確信した。
「邪険にして申し訳ございませんが、どうぞお引取りくださいませ」
毅然としたノマの声に男はついに諦めたのか、予め準備しておいた定型文のような挨拶を口にすると、門を出ていこうとした。
その猫背気味の後ろ姿に、ジロウが声をかける。
「あんたそういえば、名刺も持っていないのか? もう一度名前を聞かせろ」
立ち止まった男がゆっくりと振り返る。
その顔は、先程と同じ口角が片方だけ持ち上げられた、不自然な笑顔だった。
仄かな街灯に照らし出されたその顔が、やけに不気味に見えて、ノマは無意識に眉をひそめてしまった。
「申し訳ありません。名刺は先程ご挨拶に上がらせて頂いた宴で、ちょうど切らしてしまいまして。私は、ダチュラ・ロパンと申します。それでは、大切なお客人によろしくお伝え下さい」
男は狭い歩幅で、ゆっくりと門から出て行った。
革靴が地面を擦るような足音がすっかり聞こえなくなると、黒い門はゆくりと閉ざされる。
ジロウとノマは、しばらく男が立ち去った門の方向をじっと見据えていたが、どちらともなく顔を見合わせた。
「―――すぐにエイマンくんに連絡しよう。お父さんに取り次いでもらう。こんな日に悪いが」
「理由が理由ですもの」
「ノマさんは、先に宴に戻ってくれ。ユーコちゃんとツムグくんには……」
ジロウはしばらく、顎に手をあてて考え込んだ。
「伏せておきましょうか。不安にさせても気の毒です。せめて年が明けてからでも」
「そうだな」
ジロウは頷く。ようやく彼らしい笑顔が戻った。
「今日は歳納の日。心からの笑顔で、この世界での初めての年越しをさせてやりたいものな」