37.ムーちゃん
文字数 1,736文字
ライブハウスの厨房で昼食を準備してくれたのは、ジロウだった。
出来上がる頃にはリリーとエイマン、モモカがやってきて、ホールにテーブルを広げて料理を囲む。
その場所は、ちょっとしたカフェのような雰囲気になった。
「昨日も思ったけど、やっぱりジロウさんの料理って、すごく美味しい!」
色鮮やかな具材が挟まったのは、クラブハウスサンドイッチで、彩りから触感まで、全てが美味だった。
「限られた食材をフル活用するのが、ここ数年で上手くなったんだ。まぁ、最近は大分食料の流通も、良くなってきたけど」
「……食糧も不自由してたんですか」
思わず手が止まった侑子に、エイマンが安心させるように、笑いかけた。
「飢えるほどではないよ。天候の悪さで作物が台無しになることは、確かにあったけど。必ず別の産地でカバー出来ていた。それよりも深刻だったのは、流通網の乱れだ。魔法に頼り切ってたからね……魔力を使わない方法に転換するまで、時間がかかってしまった」
昨日の駅での会話が蘇る。
電気の供給が安定してきたのは、つい最近のことなのだ。
「車に使っていた魔石も、あんなものはもう大量生産できない。アオイくんのような科学者たちがいなかったら、今頃は本格的に混乱していただろうな」
噛みしめるようなエイマンの言葉に、アミが頷いていた。
「こら、モモカ。ちゃんとご飯に集中しなさい」
リリーが隣に座る娘に、食事を促している。
どうやらあまり、食事に関心が向いていない様子だった。
モモカはしきりに、手に持ったぬいぐるみの手足を動かしている。
「ムーちゃんも、お腹減ったって。一緒に座らせてあげたいの」
彼女が『ムーちゃん』と呼ぶのは、白い羊のぬいぐるみだった。
胴体に対して極端に短い手足、羊独特のもこもこの丸い毛を、たっぷり蓄えている。
その体型ゆえに、モモカの想定している通りに、テーブルの上で座位を取らせることが難しいのだろう。
「ムーちゃんは座らなくてもいいのよ」
「ダメ。ちゃんと座ってゴハンしなきゃ、ダメ」
「牧場の羊さんは、座ってゴハン食べないでしょ?」
「ムーちゃん、牧場の羊さんじゃないもん」
「牧場にいなくても、羊さんは羊さんよ」
「ムーちゃんはお友達だもん」
「はいはい、それは分かってる。お友達ね。わかったから。モモカ、ご飯を……」
「ムーちゃんにも食べさせる」
「ムーちゃんはぬいぐるみだから、食べないの!」
「ムーちゃん、食べるもん! ぬいぐるみじゃないもん! 羊さんだもん」
「もぉぉ!」
諭そうとすればするだけ、モモカは言い返してくる。母親のほうが音を上げるのは早かった。
「まあまあ」
エイマンが妻の背を撫で、宥めようと試みる。しかしリリーの顔は険しいままだ。
「食事の度にこれなんだから。毎回よ、毎回。毎日、毎日よ?」
「口が達者になってきたなぁ」
「返しが早くなったね」
ジロウとユウキが笑う横で、侑子がモモカに話しかけた。
「ムーちゃんは、お母さんが買ってくれたの?」
「うん。この間、バザーで買ってくれたの」
「可愛い羊さんだね。ちょっと見せてもらっていい?」
夢中で説明する声は舌足らずで、愛らしい。自分の宝物に関心を示してもらえたことが嬉しいのか、モモカは侑子に羊のぬいぐるみを大切そうに両手で手渡した。
「ありがとう」
受け取った侑子は、小動物を抱き上げるように手の上に乗せて、その小さな羊を観察した。
工業製品ではなさそうだった。
足の付根に、玉結びの跡が見えた。
羊の目鼻は丁寧に刺繍で仕上てあって、口元は緩やかに口角が上げられている。
「ムーちゃん、とっても可愛い羊さんなんだね。モモカちゃんと一緒にいられて、毎日楽しいだろうな」
毛羽立ってゴワついている毛並みや、顔に着いた汚れは、それだけ可愛がられた証だ。
侑子は最後に羊の口元を、何の気なしに、人差し指で優しく撫でた。
そして、モモカに「ありがとう」と、返却する。
メェ
「ん?」
その不可解な音に気づいたのは、侑子とモモカだけだったようだ。
ムーちゃんを抱きとったモモカの目が、みるみる大きく見開かれていく。
父親譲りの碧眼が、キラキラと輝いた。
「ムーちゃん」
メェ
はっとしたモモカは、すぐに隣のリリーを振り返った。
「ママ! ママ、見て! ムーちゃんが、生きてる!」
出来上がる頃にはリリーとエイマン、モモカがやってきて、ホールにテーブルを広げて料理を囲む。
その場所は、ちょっとしたカフェのような雰囲気になった。
「昨日も思ったけど、やっぱりジロウさんの料理って、すごく美味しい!」
色鮮やかな具材が挟まったのは、クラブハウスサンドイッチで、彩りから触感まで、全てが美味だった。
「限られた食材をフル活用するのが、ここ数年で上手くなったんだ。まぁ、最近は大分食料の流通も、良くなってきたけど」
「……食糧も不自由してたんですか」
思わず手が止まった侑子に、エイマンが安心させるように、笑いかけた。
「飢えるほどではないよ。天候の悪さで作物が台無しになることは、確かにあったけど。必ず別の産地でカバー出来ていた。それよりも深刻だったのは、流通網の乱れだ。魔法に頼り切ってたからね……魔力を使わない方法に転換するまで、時間がかかってしまった」
昨日の駅での会話が蘇る。
電気の供給が安定してきたのは、つい最近のことなのだ。
「車に使っていた魔石も、あんなものはもう大量生産できない。アオイくんのような科学者たちがいなかったら、今頃は本格的に混乱していただろうな」
噛みしめるようなエイマンの言葉に、アミが頷いていた。
「こら、モモカ。ちゃんとご飯に集中しなさい」
リリーが隣に座る娘に、食事を促している。
どうやらあまり、食事に関心が向いていない様子だった。
モモカはしきりに、手に持ったぬいぐるみの手足を動かしている。
「ムーちゃんも、お腹減ったって。一緒に座らせてあげたいの」
彼女が『ムーちゃん』と呼ぶのは、白い羊のぬいぐるみだった。
胴体に対して極端に短い手足、羊独特のもこもこの丸い毛を、たっぷり蓄えている。
その体型ゆえに、モモカの想定している通りに、テーブルの上で座位を取らせることが難しいのだろう。
「ムーちゃんは座らなくてもいいのよ」
「ダメ。ちゃんと座ってゴハンしなきゃ、ダメ」
「牧場の羊さんは、座ってゴハン食べないでしょ?」
「ムーちゃん、牧場の羊さんじゃないもん」
「牧場にいなくても、羊さんは羊さんよ」
「ムーちゃんはお友達だもん」
「はいはい、それは分かってる。お友達ね。わかったから。モモカ、ご飯を……」
「ムーちゃんにも食べさせる」
「ムーちゃんはぬいぐるみだから、食べないの!」
「ムーちゃん、食べるもん! ぬいぐるみじゃないもん! 羊さんだもん」
「もぉぉ!」
諭そうとすればするだけ、モモカは言い返してくる。母親のほうが音を上げるのは早かった。
「まあまあ」
エイマンが妻の背を撫で、宥めようと試みる。しかしリリーの顔は険しいままだ。
「食事の度にこれなんだから。毎回よ、毎回。毎日、毎日よ?」
「口が達者になってきたなぁ」
「返しが早くなったね」
ジロウとユウキが笑う横で、侑子がモモカに話しかけた。
「ムーちゃんは、お母さんが買ってくれたの?」
「うん。この間、バザーで買ってくれたの」
「可愛い羊さんだね。ちょっと見せてもらっていい?」
夢中で説明する声は舌足らずで、愛らしい。自分の宝物に関心を示してもらえたことが嬉しいのか、モモカは侑子に羊のぬいぐるみを大切そうに両手で手渡した。
「ありがとう」
受け取った侑子は、小動物を抱き上げるように手の上に乗せて、その小さな羊を観察した。
工業製品ではなさそうだった。
足の付根に、玉結びの跡が見えた。
羊の目鼻は丁寧に刺繍で仕上てあって、口元は緩やかに口角が上げられている。
「ムーちゃん、とっても可愛い羊さんなんだね。モモカちゃんと一緒にいられて、毎日楽しいだろうな」
毛羽立ってゴワついている毛並みや、顔に着いた汚れは、それだけ可愛がられた証だ。
侑子は最後に羊の口元を、何の気なしに、人差し指で優しく撫でた。
そして、モモカに「ありがとう」と、返却する。
メェ
「ん?」
その不可解な音に気づいたのは、侑子とモモカだけだったようだ。
ムーちゃんを抱きとったモモカの目が、みるみる大きく見開かれていく。
父親譲りの碧眼が、キラキラと輝いた。
「ムーちゃん」
メェ
はっとしたモモカは、すぐに隣のリリーを振り返った。
「ママ! ママ、見て! ムーちゃんが、生きてる!」