歌声⑧
文字数 2,203文字
「昨日ちゃんと教えなかったのは、後ろめたかったから」
二人はゆっくり歩を進め続けていた。侑子はもちろん、ユウキも目的地があるわけではないのだろう。二人を見守るように月が後をつけてくる。
「後ろめたい?」
侑子は意味をつかめないまま聞き返す。
「昨日はユーコちゃん……知らないことを一度に経験しすぎて、余裕なかったでしょう。今日もそんなに変わらないかもしれないけど……。特に俺と夢の中でずっと会っていたって話の時には、酷く戸惑っていたようだったし。全部の意味を教えたら、もっと驚かせてしまうだろうなと思って」
そこまで言い終えると、吐息の音が聞こえた。
「ごめんね」
侑子が隣を見上げると、緑色の瞳がこちらを見ていた。
「夢の記憶を共有していた人は、お互いの人生において、重要なキーパーソンとなるんだよ」
「キーパーソン?」
「そう。ユーコちゃんの世界には、そういう常識はないんだよね」
「うん……」
そうか、とつぶやき、ユウキは話を続けた。
「よくあるのは、親子やきょうだい。夢の中でよく会う子供がいるなと思っていたら、子供が生まれてその子が成長したら、夢の中で会っていたあの子だったと分かった。夢の中で一緒に遊んでいた子供が、仲良しの兄弟だったとかね。俺の周りで実際にあったのは、天職に就くきっかけをくれた恩師と、夢の中でよく会っていたっていうのと、大病を治してくれた医師を夢で知っていたってケース。恋人や夫婦だったっていう、ロマンチックなパターンもあるよ」
ゆっくりと語るユウキの言葉を、頭の中で反芻しながら侑子は歩いた。そしてやや興奮しながら返した。
「……すごいね。あたってる。確かにユウキちゃんは私の恩人。この世界のことが分からなくて、怖くて、どうしたらいいのか分からない限界のところで助けてくれたのは、ユウキちゃんだった。ユウキちゃんに会えたことで、この世界のことが少しずつ分かるようになってきたし、段々怖くなくなってきたんだもん」
ユウキは優しく笑った。
侑子の素直な言葉と表情は、自然とこちらの気持ちをほぐしていく。
「ユーコちゃんは俺が出てくる夢の中で、嫌な気持ちになったことある? 怖いとか悲しいとか」
「全然。いつも楽しくて、あの夢だって分かると、嬉しかった」
「俺も同じ」
もう一度笑みを向けてからユウキは続ける。
「人生においてのキーパーソンっていうのは、良い場合も嫌な場合もある。嫌な場合っていうのは、自分の死の原因を作る人物だったとか、大きな失敗のきっかけになる人物だったりするわけ」
「死?」
侑子は目を見開いた。なんて恐ろしい予知夢だろう。
「ユーコちゃんと俺の場合は、絶対に違うよ。夢の中ではいつも、幸せな気持ちにしかならなかったんだから。嫌なキーパーソンだったら、幸せとは真逆の気持ちでいっぱいの悪夢だったはずなんだ」
「それ本当?」
確実な情報でないと困る、と侑子は思う。ユウキは頷く。
「本当。大丈夫、もうあやふやにしない。本当だよ……だからこそ後ろめたくて、君にちゃんと説明しなかったんだ」
小さな公園が見えた。
ユウキが「少し座ろうか」と誘い、二人は丸太を横倒しにした遊具の上に、並んで腰をおろした。
東の空にやや欠けた月が光り、侑子はそれを見上げて、自分が元いた世界と同じ月だと思った。
「ユーコちゃんが夢の中で一緒に遊んでいた人なんだって分かって、やった! と思った。あの夢は吉夢だったんだって、嬉しくて飛び上がりそうになった」
「そんなに? そんなふうには見えなかった」
「抑えたからね。でも本当に興奮したんだ。この女の子は、俺の人生を切り開いてくれる人なんだって分かったから」
公園を照らす街灯は仄かだったが、今夜は月が明るいようだった。
ユウキの瞳が強く輝いている。
「この声で――魔法で変えた他人の声じゃない自分の声で認められる夢を、叶えられるのかも知れない。母親の呪縛から解放されるのかも知れないって、思ったんだ」
凛としているが耳に優しく触れるその青年の声は、喜びで震えているように侑子に届いた。
「たとえそんな希望実現を暗示した夢じゃなかったとしても、ユーコちゃんが俺の人生を良い方へ動かす重要人物なのは変わらない……そんな人との出会いを、嬉しいと思わないはずがないだろう?」
そう語るユウキの綺麗に上がった口角は、すぐにふっと緩められる。
「だけどユーコちゃんは知らない世界に突然放り出されて、途方に暮れていた……俺の都合で利用するみたいに感じて、後ろめたかったんだ。だからさっき変身館で君の前で歌った後、ユーコちゃんが泣いているのを見て、確かめるまでとても怖かった」
目線を上げた侑子は、こちらを見つめるユウキの真剣な表情を見た。
「もし君の涙が俺の声を否定する故のものだったら、もう歌えないだろうと思った。だけど、そうではなくてユーコちゃんは認めてくれた。好きだと言ってくれたよね。俺の本当の歌声を」
ユウキの歌声は強烈な記憶となってこびりついていたので、すぐに引っ張り出して脳裏で奏でることができた。
侑子は強く頷いた。
「歌を聞いて感動して泣いたのなんて、初めてだった。それくらい、好きだと思った」
「ユーコちゃんがそう思ってくれたことが大切なんだよ」
顔は笑っていたけれど、瞳は真剣なままユウキは締めくくった。
「本当の声で歌うことを諦めないって、ようやく気持ちを固められた。君のおかげだ」
二人はゆっくり歩を進め続けていた。侑子はもちろん、ユウキも目的地があるわけではないのだろう。二人を見守るように月が後をつけてくる。
「後ろめたい?」
侑子は意味をつかめないまま聞き返す。
「昨日はユーコちゃん……知らないことを一度に経験しすぎて、余裕なかったでしょう。今日もそんなに変わらないかもしれないけど……。特に俺と夢の中でずっと会っていたって話の時には、酷く戸惑っていたようだったし。全部の意味を教えたら、もっと驚かせてしまうだろうなと思って」
そこまで言い終えると、吐息の音が聞こえた。
「ごめんね」
侑子が隣を見上げると、緑色の瞳がこちらを見ていた。
「夢の記憶を共有していた人は、お互いの人生において、重要なキーパーソンとなるんだよ」
「キーパーソン?」
「そう。ユーコちゃんの世界には、そういう常識はないんだよね」
「うん……」
そうか、とつぶやき、ユウキは話を続けた。
「よくあるのは、親子やきょうだい。夢の中でよく会う子供がいるなと思っていたら、子供が生まれてその子が成長したら、夢の中で会っていたあの子だったと分かった。夢の中で一緒に遊んでいた子供が、仲良しの兄弟だったとかね。俺の周りで実際にあったのは、天職に就くきっかけをくれた恩師と、夢の中でよく会っていたっていうのと、大病を治してくれた医師を夢で知っていたってケース。恋人や夫婦だったっていう、ロマンチックなパターンもあるよ」
ゆっくりと語るユウキの言葉を、頭の中で反芻しながら侑子は歩いた。そしてやや興奮しながら返した。
「……すごいね。あたってる。確かにユウキちゃんは私の恩人。この世界のことが分からなくて、怖くて、どうしたらいいのか分からない限界のところで助けてくれたのは、ユウキちゃんだった。ユウキちゃんに会えたことで、この世界のことが少しずつ分かるようになってきたし、段々怖くなくなってきたんだもん」
ユウキは優しく笑った。
侑子の素直な言葉と表情は、自然とこちらの気持ちをほぐしていく。
「ユーコちゃんは俺が出てくる夢の中で、嫌な気持ちになったことある? 怖いとか悲しいとか」
「全然。いつも楽しくて、あの夢だって分かると、嬉しかった」
「俺も同じ」
もう一度笑みを向けてからユウキは続ける。
「人生においてのキーパーソンっていうのは、良い場合も嫌な場合もある。嫌な場合っていうのは、自分の死の原因を作る人物だったとか、大きな失敗のきっかけになる人物だったりするわけ」
「死?」
侑子は目を見開いた。なんて恐ろしい予知夢だろう。
「ユーコちゃんと俺の場合は、絶対に違うよ。夢の中ではいつも、幸せな気持ちにしかならなかったんだから。嫌なキーパーソンだったら、幸せとは真逆の気持ちでいっぱいの悪夢だったはずなんだ」
「それ本当?」
確実な情報でないと困る、と侑子は思う。ユウキは頷く。
「本当。大丈夫、もうあやふやにしない。本当だよ……だからこそ後ろめたくて、君にちゃんと説明しなかったんだ」
小さな公園が見えた。
ユウキが「少し座ろうか」と誘い、二人は丸太を横倒しにした遊具の上に、並んで腰をおろした。
東の空にやや欠けた月が光り、侑子はそれを見上げて、自分が元いた世界と同じ月だと思った。
「ユーコちゃんが夢の中で一緒に遊んでいた人なんだって分かって、やった! と思った。あの夢は吉夢だったんだって、嬉しくて飛び上がりそうになった」
「そんなに? そんなふうには見えなかった」
「抑えたからね。でも本当に興奮したんだ。この女の子は、俺の人生を切り開いてくれる人なんだって分かったから」
公園を照らす街灯は仄かだったが、今夜は月が明るいようだった。
ユウキの瞳が強く輝いている。
「この声で――魔法で変えた他人の声じゃない自分の声で認められる夢を、叶えられるのかも知れない。母親の呪縛から解放されるのかも知れないって、思ったんだ」
凛としているが耳に優しく触れるその青年の声は、喜びで震えているように侑子に届いた。
「たとえそんな希望実現を暗示した夢じゃなかったとしても、ユーコちゃんが俺の人生を良い方へ動かす重要人物なのは変わらない……そんな人との出会いを、嬉しいと思わないはずがないだろう?」
そう語るユウキの綺麗に上がった口角は、すぐにふっと緩められる。
「だけどユーコちゃんは知らない世界に突然放り出されて、途方に暮れていた……俺の都合で利用するみたいに感じて、後ろめたかったんだ。だからさっき変身館で君の前で歌った後、ユーコちゃんが泣いているのを見て、確かめるまでとても怖かった」
目線を上げた侑子は、こちらを見つめるユウキの真剣な表情を見た。
「もし君の涙が俺の声を否定する故のものだったら、もう歌えないだろうと思った。だけど、そうではなくてユーコちゃんは認めてくれた。好きだと言ってくれたよね。俺の本当の歌声を」
ユウキの歌声は強烈な記憶となってこびりついていたので、すぐに引っ張り出して脳裏で奏でることができた。
侑子は強く頷いた。
「歌を聞いて感動して泣いたのなんて、初めてだった。それくらい、好きだと思った」
「ユーコちゃんがそう思ってくれたことが大切なんだよ」
顔は笑っていたけれど、瞳は真剣なままユウキは締めくくった。
「本当の声で歌うことを諦めないって、ようやく気持ちを固められた。君のおかげだ」