26.羽化
文字数 2,074文字
「ユーコちゃん、聞いてた?」
アミが突然、テントの外に向かって声を張り上げた。
彼が声をかけた先、距離を詰めたすぐ隣に、もう一つのテントが設営されている。侑子とヤチヨ、コルの三人のテントだ。
「聞こえてたよ」
返事はすぐに返ってきた。筆談者がいるとはいえ、向こう側のテントからは会話が聞こえてこなかったので、ずっとこちらの話に耳を傾けていたのだろう。
「今まで、見守っていてくれてありがとう」
それから、と繋いで、侑子は少し声を張った。
「これからもよろしくお願いします。……見守る対象としてだけではなくて。できればまた、ギターの先生もやってほしいな」
はは、とアミは楽しげな笑い声を上げた。
「もちろん。王都に戻ったらまず、弾いて見せてよ。弾き語りも上達したんじゃない?」
「うん」
「楽しみだな」
テントの向こう側から聞こえてくるアミの声は、笑っている。侑子はほっとして、そしてアミと出会った日のことを思い出していた。
侑子のブレスレットについた青い鱗に触れながら、彼はユウキの歌声についてこう言ったのだ。
『繊細に見えるのに、触っても全く脆さを感じない』
ユウキの歌声に通じるものがあると。
その感想は、侑子のものと一致していて、あの時とても親近感を覚えたものだ。
――アミさんは任された仕事のためだけに、今までユウキちゃんの側にいたんじゃない
きっと純粋に、歌うユウキの側でギターを弾きたかったのだ。
「よかった」
独り言のように口から出た一言に、隣のヤチヨが相槌を打っていた。
***
七人とあみぐるみ達の旅は、賑やかに進んだ。
相変わらず人の姿が見えない、深い山中を進んではいるが、話し声と歌声は絶えない。人の声の合間に、必ずあみぐるみ達の間の抜けた合いの手が入るので、雰囲気は自然と陽気なものとなる。
「そういえば紡久くんの髪、相変わらず明るい色してるんだね」
侑子は歩きながら、前方の紡久に話しかけた。
彼の髪色は、黄昏時の夕焼けを思わせる金茶色をしていたのだ。侑子が元の世界に戻る前に見慣れていた紡久の髪色から、大きく変わっていない。
「染める人、減ったのかと思ってたけど、そうでもないの?」
魔力不足が騒がれるようになって、既に数年が経過していた。魔力節約のために人々が魔法控えしていることは、侑子もよく知っているところだった。
「これね、魔法じゃないんだよ。美容師さんが染めてくれたんだ。ミカさんっていう、リリーさんの友達の」
「そうなんだ」
「魔法で染めることを止めた人は多い。代わりに美容師の需要が、爆発的に伸びたんだ」
アミの解説に、侑子はなるほどと頷く。
「ミカさんは腕が良いから、本当に人気なんだよ。やっぱり専門を極めた人は凄いよ。美しさが魔法を上回ってる。街中で見かける人の髪、きっとユーコちゃんの記憶よりも色鮮やかだ」
ユウキの声は嬉しげだった。「早く見せてあげたい。一緒に街の中を沢山散歩しよう」と続けた。
ユウキの『散歩』のキーワードに、侑子は心が沸き立つのを止められない。
毎日二人で目的もなく歩きながら、歌を歌っていた日々のことを思い出す。
(本当に仲良しなんだね)
軽い足取りで隣に並んできたヤチヨが、肘でつつきながら文字を見せてきた。
(再会できて、本当に良かった)
侑子はうん、と頷く。
ユウキと再び出会うことができ、もう何も怖いものはないかのような、恐れ知らずの気分だった。
「実感できるものじゃないし、目に見えないんじゃ確認もできないけど……きっと天膜の補修に、役に立てる気がするよ」
侑子の言葉に、ヤチヨは一瞬目を見開いて、慌てたように手を動かした。
(違う。そういうつもりで言ったんじゃなくて)
「分かってるよ。ありがとう。だけどね、本当にできると確信があるの。だって副産物って、慈愛の念から生まれるんでしょ? だったら今の私には、こんなに自信のあることはないよ」
一歩一歩踏み出す足の裏から、土や木の根の感触が伝わってきた。
ヒノクニ――ここは、侑子が生まれ育った世界から、遠く隔たれた土地。
両親も兄も、仲良しの従兄弟たちもいない。裕貴も、部活仲間達も。
しかし、侑子にとってこんなにも愛おしく思える場所は、他にないように感じられるのだ。なぜならこの国には、ユウキがいるのだから。
――確固たる指標を得た人間は強い
ヤチヨは、遠い過去にメムの大人から習った言葉を、反復していた。
メム人は一般的なヒノクニの学校に入学しない。教育は同族の大人から子供へと施されるのだ。
先人たちが得た数多くの知恵。
文字通りに覚えることは簡単だが、その多くは人生の中で実際に経験して初めて、腑に落ちて学び取ることができるものだった。
――侑子にとっての指標は、ユウキなのだろうか
この国の理、天膜の話を聞かせた時の、驚異に撃ち抜かれたような不安な揺れが、今の侑子には見当たらなかった。
灰髪の青年の腕に抱かれた瞬間から、羽化した蝶のような変化を侑子は遂げた。トクサのように迷いなく上へ上へと、羽を広げて飛んでいく。
ヤチヨはそんな侑子が眩しくて、そして羨ましく感じるのだった。
アミが突然、テントの外に向かって声を張り上げた。
彼が声をかけた先、距離を詰めたすぐ隣に、もう一つのテントが設営されている。侑子とヤチヨ、コルの三人のテントだ。
「聞こえてたよ」
返事はすぐに返ってきた。筆談者がいるとはいえ、向こう側のテントからは会話が聞こえてこなかったので、ずっとこちらの話に耳を傾けていたのだろう。
「今まで、見守っていてくれてありがとう」
それから、と繋いで、侑子は少し声を張った。
「これからもよろしくお願いします。……見守る対象としてだけではなくて。できればまた、ギターの先生もやってほしいな」
はは、とアミは楽しげな笑い声を上げた。
「もちろん。王都に戻ったらまず、弾いて見せてよ。弾き語りも上達したんじゃない?」
「うん」
「楽しみだな」
テントの向こう側から聞こえてくるアミの声は、笑っている。侑子はほっとして、そしてアミと出会った日のことを思い出していた。
侑子のブレスレットについた青い鱗に触れながら、彼はユウキの歌声についてこう言ったのだ。
『繊細に見えるのに、触っても全く脆さを感じない』
ユウキの歌声に通じるものがあると。
その感想は、侑子のものと一致していて、あの時とても親近感を覚えたものだ。
――アミさんは任された仕事のためだけに、今までユウキちゃんの側にいたんじゃない
きっと純粋に、歌うユウキの側でギターを弾きたかったのだ。
「よかった」
独り言のように口から出た一言に、隣のヤチヨが相槌を打っていた。
***
七人とあみぐるみ達の旅は、賑やかに進んだ。
相変わらず人の姿が見えない、深い山中を進んではいるが、話し声と歌声は絶えない。人の声の合間に、必ずあみぐるみ達の間の抜けた合いの手が入るので、雰囲気は自然と陽気なものとなる。
「そういえば紡久くんの髪、相変わらず明るい色してるんだね」
侑子は歩きながら、前方の紡久に話しかけた。
彼の髪色は、黄昏時の夕焼けを思わせる金茶色をしていたのだ。侑子が元の世界に戻る前に見慣れていた紡久の髪色から、大きく変わっていない。
「染める人、減ったのかと思ってたけど、そうでもないの?」
魔力不足が騒がれるようになって、既に数年が経過していた。魔力節約のために人々が魔法控えしていることは、侑子もよく知っているところだった。
「これね、魔法じゃないんだよ。美容師さんが染めてくれたんだ。ミカさんっていう、リリーさんの友達の」
「そうなんだ」
「魔法で染めることを止めた人は多い。代わりに美容師の需要が、爆発的に伸びたんだ」
アミの解説に、侑子はなるほどと頷く。
「ミカさんは腕が良いから、本当に人気なんだよ。やっぱり専門を極めた人は凄いよ。美しさが魔法を上回ってる。街中で見かける人の髪、きっとユーコちゃんの記憶よりも色鮮やかだ」
ユウキの声は嬉しげだった。「早く見せてあげたい。一緒に街の中を沢山散歩しよう」と続けた。
ユウキの『散歩』のキーワードに、侑子は心が沸き立つのを止められない。
毎日二人で目的もなく歩きながら、歌を歌っていた日々のことを思い出す。
(本当に仲良しなんだね)
軽い足取りで隣に並んできたヤチヨが、肘でつつきながら文字を見せてきた。
(再会できて、本当に良かった)
侑子はうん、と頷く。
ユウキと再び出会うことができ、もう何も怖いものはないかのような、恐れ知らずの気分だった。
「実感できるものじゃないし、目に見えないんじゃ確認もできないけど……きっと天膜の補修に、役に立てる気がするよ」
侑子の言葉に、ヤチヨは一瞬目を見開いて、慌てたように手を動かした。
(違う。そういうつもりで言ったんじゃなくて)
「分かってるよ。ありがとう。だけどね、本当にできると確信があるの。だって副産物って、慈愛の念から生まれるんでしょ? だったら今の私には、こんなに自信のあることはないよ」
一歩一歩踏み出す足の裏から、土や木の根の感触が伝わってきた。
ヒノクニ――ここは、侑子が生まれ育った世界から、遠く隔たれた土地。
両親も兄も、仲良しの従兄弟たちもいない。裕貴も、部活仲間達も。
しかし、侑子にとってこんなにも愛おしく思える場所は、他にないように感じられるのだ。なぜならこの国には、ユウキがいるのだから。
――確固たる指標を得た人間は強い
ヤチヨは、遠い過去にメムの大人から習った言葉を、反復していた。
メム人は一般的なヒノクニの学校に入学しない。教育は同族の大人から子供へと施されるのだ。
先人たちが得た数多くの知恵。
文字通りに覚えることは簡単だが、その多くは人生の中で実際に経験して初めて、腑に落ちて学び取ることができるものだった。
――侑子にとっての指標は、ユウキなのだろうか
この国の理、天膜の話を聞かせた時の、驚異に撃ち抜かれたような不安な揺れが、今の侑子には見当たらなかった。
灰髪の青年の腕に抱かれた瞬間から、羽化した蝶のような変化を侑子は遂げた。トクサのように迷いなく上へ上へと、羽を広げて飛んでいく。
ヤチヨはそんな侑子が眩しくて、そして羨ましく感じるのだった。