32.恢復
文字数 1,459文字
賑やかな夕食を終え、ハルカとアオイ、ミツキは帰っていった。明日も来ると約束をして、「おやすみ」と手を振る。
そんなやり取りが懐かしく、嬉しかった。帰ってきたんだ、と実感する瞬間が、どんどん増えていく。
***
ドアの開く気配で、侑子は振り返った。部屋に運び込んだままだった荷物を、整理していたところだった。
「ユウキちゃん」
部屋着姿で、髪は濡れていた。
風呂上がりだろうか。
「もう寝るところだった?」
部屋の掛け時計は、そろそろ日付を超える数字を指していた。
侑子は首を振る。
「まだ眠くないから」
「じゃあ、少し一緒にいていい?」
「もちろん」
畳の上を此方に近づく足音がして、石鹸の香りが、侑子のすぐ隣でふわりと香った。
濡れた髪が頬に触れた。
それが分かったのと同時に、ユウキの唇が侑子の口を塞いでいた。
時計の秒針が進む音だけが、暫くの間部屋に聞こえる音の全てだった。
しかしその無機質な音は、やがて熱を帯びたリップ音によって、すっかり掻き消されてしまうこととなる。
「……片付けの邪魔しちゃったね」
額同士を触れ合わせたまま、ユウキは侑子の荷物に目をやった。
「それは、向こうの世界から持ってきた荷物?」
頷いた侑子は、ユウキから顔を引いた。
キスをする直前に、広げていた荷物の中身が何だったのか。思い出したのだ。
「ユウキちゃんに、話さなきゃいけないことがある」
電池が切れて久しいスマートフォン。財布に、イヤホンを入れたポーチ。
畳の上に並べられた品々。
どれもあの日、遊園地で侑子が持っていたトートバッグの中に、入っていた物だった。
時空を飛び越え、侑子と共にヒノクニに持ち込まれた物――その中に、裕貴から贈られたコンパクトミラーもあった。
「この鏡……これをくれた人と私、付き合ってた。……こっちの世界に来る直前まで一緒だったの…………恋人同士だった」
ユウキの顔を見て話すべきなのに、侑子は視線を上げられずに、ミラーの螺鈿細工を見つめていた。
青い鱗の模様が虹色に輝いている。見れば見るほど、それはユウキのステージ衣装を思わせた。
「ごめんなさい。私、ずっとユウキちゃんだけでいられなかった。ユウキちゃんと、手紙ですら繋がれないって分かってから、他の人で埋め合わせようとした。……野本くんの気持ちを、都合よく利用してたの」
頭を下げて済むことではないと分かっていた。
それでも侑子は頭を下げて、そしてそんな自分がずるいと思った。
こうすることで、引き続きユウキの顔を見ないで済むのだから。
――裏切った。ユウキちゃんの気持ちも、野本くんの気持ちも
幻滅される。
失望される。
突き放されるかも知れない――
――嫌だな……
そんなことは避けたい。
けれど侑子には避ける手段など、ないのだ。なのに全力で抗いたくて、涙が滲む。
裕貴に並行世界の話を打ち明けて、今後の自分たちの関係についての決断を委ねようと考えていた時とは、全く違う感情だった。
ユウキのことを、諦めたくなかった。
――なんて醜いんだ
ずるくて、諦めが悪くて、自分の欲ばかりに必死で。
「泣いてるの?」
頬に添えられた指先が、涙に触れた。
「大丈夫」
そう言ったのは侑子で、ユウキの指を頬から外した。
泣き落としなんて、してはいけない。
いつの間にか落ちていた涙が悔しくて、侑子は言い訳だと分かりきった言葉を並べた。
「寂しくて、忘れたくなくて、でも、生きていかなくちゃ。ちゃんと自分の世界を見据えないとダメだ。そう思ってた。そんな時に優しかった野本くんに、甘えて……ずっと、甘え続けて……」
そんなやり取りが懐かしく、嬉しかった。帰ってきたんだ、と実感する瞬間が、どんどん増えていく。
***
ドアの開く気配で、侑子は振り返った。部屋に運び込んだままだった荷物を、整理していたところだった。
「ユウキちゃん」
部屋着姿で、髪は濡れていた。
風呂上がりだろうか。
「もう寝るところだった?」
部屋の掛け時計は、そろそろ日付を超える数字を指していた。
侑子は首を振る。
「まだ眠くないから」
「じゃあ、少し一緒にいていい?」
「もちろん」
畳の上を此方に近づく足音がして、石鹸の香りが、侑子のすぐ隣でふわりと香った。
濡れた髪が頬に触れた。
それが分かったのと同時に、ユウキの唇が侑子の口を塞いでいた。
時計の秒針が進む音だけが、暫くの間部屋に聞こえる音の全てだった。
しかしその無機質な音は、やがて熱を帯びたリップ音によって、すっかり掻き消されてしまうこととなる。
「……片付けの邪魔しちゃったね」
額同士を触れ合わせたまま、ユウキは侑子の荷物に目をやった。
「それは、向こうの世界から持ってきた荷物?」
頷いた侑子は、ユウキから顔を引いた。
キスをする直前に、広げていた荷物の中身が何だったのか。思い出したのだ。
「ユウキちゃんに、話さなきゃいけないことがある」
電池が切れて久しいスマートフォン。財布に、イヤホンを入れたポーチ。
畳の上に並べられた品々。
どれもあの日、遊園地で侑子が持っていたトートバッグの中に、入っていた物だった。
時空を飛び越え、侑子と共にヒノクニに持ち込まれた物――その中に、裕貴から贈られたコンパクトミラーもあった。
「この鏡……これをくれた人と私、付き合ってた。……こっちの世界に来る直前まで一緒だったの…………恋人同士だった」
ユウキの顔を見て話すべきなのに、侑子は視線を上げられずに、ミラーの螺鈿細工を見つめていた。
青い鱗の模様が虹色に輝いている。見れば見るほど、それはユウキのステージ衣装を思わせた。
「ごめんなさい。私、ずっとユウキちゃんだけでいられなかった。ユウキちゃんと、手紙ですら繋がれないって分かってから、他の人で埋め合わせようとした。……野本くんの気持ちを、都合よく利用してたの」
頭を下げて済むことではないと分かっていた。
それでも侑子は頭を下げて、そしてそんな自分がずるいと思った。
こうすることで、引き続きユウキの顔を見ないで済むのだから。
――裏切った。ユウキちゃんの気持ちも、野本くんの気持ちも
幻滅される。
失望される。
突き放されるかも知れない――
――嫌だな……
そんなことは避けたい。
けれど侑子には避ける手段など、ないのだ。なのに全力で抗いたくて、涙が滲む。
裕貴に並行世界の話を打ち明けて、今後の自分たちの関係についての決断を委ねようと考えていた時とは、全く違う感情だった。
ユウキのことを、諦めたくなかった。
――なんて醜いんだ
ずるくて、諦めが悪くて、自分の欲ばかりに必死で。
「泣いてるの?」
頬に添えられた指先が、涙に触れた。
「大丈夫」
そう言ったのは侑子で、ユウキの指を頬から外した。
泣き落としなんて、してはいけない。
いつの間にか落ちていた涙が悔しくて、侑子は言い訳だと分かりきった言葉を並べた。
「寂しくて、忘れたくなくて、でも、生きていかなくちゃ。ちゃんと自分の世界を見据えないとダメだ。そう思ってた。そんな時に優しかった野本くんに、甘えて……ずっと、甘え続けて……」