12.神秘
文字数 1,565文字
「大昔のヒノクニは、独自路線を行くことにした」
「独自路線?」
「対の関係に、もう一つ特別な柱を追加したんだ」
傾いた天秤の片側の腕を、ランの指先が下から持ち上げた。強制的に天秤は傾きを均され、二つの皿は同じ高さで揺れている。
そして天秤の腕を持ち上げていた指を、もう片方のランの手が掴み、天秤から退けた。
天秤は再び傾いた。
「今均衡を正した私のこの指が、世界の対の理。そしてその指をどけた手が、あなたたち来訪者」
ランの唇は孤を描いていて、侑子を見るアーモンド型の目は優しい。
「この国の三種の神器を知ってる?」
「はい、確か……器 と鏡 と、鍵 、ですよね」
ハルカ達から教わったヒノクニの歴史を、侑子は記憶の中から探り出した。
「神器がどのように生み出されたのか、その由来を知る者はいない。だからなぜヒノクニだけが、来訪者を迎えるための扉を意図的に開くことができるようになったのか、その理由は分からない。けれど太古の私たちの先祖は、発見したのだろうね。並行世界からやってきた人びとの魔力は、こ の 世 界 の 理 に 対 抗 し う る 神 秘 を秘めていることを」
ランは湯呑を口元に運んで、静かに一口飲み込んだ。
「ヒノクニの王と、メムの民は、共に神器を操りながら、来訪者を迎え入れていた。そして彼らから、天膜の原料を提供してもらっていた。この国での安定した暮らしを保証する、その見返りとしてね」
「見返り……」
「ピンときてないな。そりゃそうか」
ヤヒコが笑った。
「大昔の王たちは、お互いにウィンウィンの関係を築くことで、世界の対の理から脱しようとした。ヒノクニ独自の理を、作ろうとしたんだ。魔力ありの人間には滞りない魔力の継承を。魔力なしの人間には平穏な生活を。お互いに確約した。そのために利用したのが、来訪者の持つ特別な魔力だったのさ」
侑子は均衡を失ったままの、天秤を見つめていた。
「透明な魔力は、王の神力と混ざり合い、国の安寧を願う想いを具現化した――そして生み出されたのが、天膜。天膜は、世界の対の理から、この国を守り続けた」
ヤチヨの白い手が、侑子の手の上に重なった。
侑子本人は気づいていなかったが、彼女の手が僅かに震えたのを、その場のメム人たちは皆知っていたのだ。
「ユウコ、これは知ってる? 来訪者たちが天膜の原料を生み出すのは、彼らが慈愛の念を抱いた時だってこと」
「慈愛?」
「愛する気持ちだよ」
そう言って笑ったヤヒコの顔から、厳しいものは抜けていた。侑子を見る彼の視線は優しく、そんな表情はヤチヨによく似ていた。
「来訪者がヒノクニと民を愛し、慈しむ時。その想いが王の神力と混ざり合って、天膜を生み出すんだ」
「素敵な話」
素直な感想だと侑子は思ったが、ヤヒコは複雑そうに表情を歪めている。
「お人好しだな」
ぽん、と頭に手を置かれ、そのままワシャワシャと撫でられた。
「一番割に合わない役目を負わされてるの、お前たち来訪者だと思うぞ」
乱れた髪を手櫛で整える侑子を見ながら、ヤヒコは溜息をついた。
「突然家族や生まれ育った場所から引き離されて、訳の分からない場所に連れて来られて。その上この国を愛して下さい、守って下さいなんてさ。一方的過ぎるよなあ」
「それをお前が言うのも、おかしなものだけどね、ヤヒコ」
皮肉めいたランの言葉に、ヤヒコはすぐに返す。
「分かってる」
「メムの次の世代を引っ張っていくのは、お前なのだから。ユウコさんに頭を下げて、哀願せねばならない立場なのだよ。私達は……」
アーモンド型の瞳が、計量皿の上のチョコレートで止まっている。しばらく侑子の方を見ずに、メムの長老は言葉の続きを保留したまま、沈黙した。
続きを繰り出したランの声は、固く乾いていた。
「私達は、魔法を使えないのだから。ただ移動して、導くことでしか、返すことはできないのだからね」
「独自路線?」
「対の関係に、もう一つ特別な柱を追加したんだ」
傾いた天秤の片側の腕を、ランの指先が下から持ち上げた。強制的に天秤は傾きを均され、二つの皿は同じ高さで揺れている。
そして天秤の腕を持ち上げていた指を、もう片方のランの手が掴み、天秤から退けた。
天秤は再び傾いた。
「今均衡を正した私のこの指が、世界の対の理。そしてその指をどけた手が、あなたたち来訪者」
ランの唇は孤を描いていて、侑子を見るアーモンド型の目は優しい。
「この国の三種の神器を知ってる?」
「はい、確か……
ハルカ達から教わったヒノクニの歴史を、侑子は記憶の中から探り出した。
「神器がどのように生み出されたのか、その由来を知る者はいない。だからなぜヒノクニだけが、来訪者を迎えるための扉を意図的に開くことができるようになったのか、その理由は分からない。けれど太古の私たちの先祖は、発見したのだろうね。並行世界からやってきた人びとの魔力は、
ランは湯呑を口元に運んで、静かに一口飲み込んだ。
「ヒノクニの王と、メムの民は、共に神器を操りながら、来訪者を迎え入れていた。そして彼らから、天膜の原料を提供してもらっていた。この国での安定した暮らしを保証する、その見返りとしてね」
「見返り……」
「ピンときてないな。そりゃそうか」
ヤヒコが笑った。
「大昔の王たちは、お互いにウィンウィンの関係を築くことで、世界の対の理から脱しようとした。ヒノクニ独自の理を、作ろうとしたんだ。魔力ありの人間には滞りない魔力の継承を。魔力なしの人間には平穏な生活を。お互いに確約した。そのために利用したのが、来訪者の持つ特別な魔力だったのさ」
侑子は均衡を失ったままの、天秤を見つめていた。
「透明な魔力は、王の神力と混ざり合い、国の安寧を願う想いを具現化した――そして生み出されたのが、天膜。天膜は、世界の対の理から、この国を守り続けた」
ヤチヨの白い手が、侑子の手の上に重なった。
侑子本人は気づいていなかったが、彼女の手が僅かに震えたのを、その場のメム人たちは皆知っていたのだ。
「ユウコ、これは知ってる? 来訪者たちが天膜の原料を生み出すのは、彼らが慈愛の念を抱いた時だってこと」
「慈愛?」
「愛する気持ちだよ」
そう言って笑ったヤヒコの顔から、厳しいものは抜けていた。侑子を見る彼の視線は優しく、そんな表情はヤチヨによく似ていた。
「来訪者がヒノクニと民を愛し、慈しむ時。その想いが王の神力と混ざり合って、天膜を生み出すんだ」
「素敵な話」
素直な感想だと侑子は思ったが、ヤヒコは複雑そうに表情を歪めている。
「お人好しだな」
ぽん、と頭に手を置かれ、そのままワシャワシャと撫でられた。
「一番割に合わない役目を負わされてるの、お前たち来訪者だと思うぞ」
乱れた髪を手櫛で整える侑子を見ながら、ヤヒコは溜息をついた。
「突然家族や生まれ育った場所から引き離されて、訳の分からない場所に連れて来られて。その上この国を愛して下さい、守って下さいなんてさ。一方的過ぎるよなあ」
「それをお前が言うのも、おかしなものだけどね、ヤヒコ」
皮肉めいたランの言葉に、ヤヒコはすぐに返す。
「分かってる」
「メムの次の世代を引っ張っていくのは、お前なのだから。ユウコさんに頭を下げて、哀願せねばならない立場なのだよ。私達は……」
アーモンド型の瞳が、計量皿の上のチョコレートで止まっている。しばらく侑子の方を見ずに、メムの長老は言葉の続きを保留したまま、沈黙した。
続きを繰り出したランの声は、固く乾いていた。
「私達は、魔法を使えないのだから。ただ移動して、導くことでしか、返すことはできないのだからね」