初夏の提案④
文字数 1,129文字
「侑子ちゃんは乗り気なんだね」
ミツキとスズカの二人と別れた後、庭の東屋に侑子と紡久の二人は座っていた。
紡久の手にはスケッチブックと鉛筆、侑子の腕の中にはギターがあった。
二人の自由時間の定番のお供である。
「うん。エイマンさん、本当に知りたそうだったし。確かにあの体験は怖いけど」
全く知らない人間のものだった感情、それが自分の中に吸収されていく違和感。
見たことのない映像と音、そして感触。どれもが生々しく五感に刻まれていた。
先程紡久が言った通り、その感覚は気分の良いものではない。伝わってきた感情の多くが不快感なのだから当然だ。
「……でもね、ちえみさんの記憶も正彦さんの記憶も、どちらも怖さだけじゃなかったなって思うんだ」
ギターネックを支える左手に、僅かに力が入った。
あの日の一組の夫婦の記憶を思い起こす。既に幾度となく振り返った記憶だった。
「二人共お互いのことを本当に大好きで、大切に思っていた。そういう気持ちって、暖かいっていうより熱いものなんだなって分かった。苦しみや恐怖、失った悲しみや、未来を考えられなくなる空っぽな感情……すごく暗い気持ちが沢山あった記憶だったけど、そのどれよりもただ熱くて、真っ直ぐだと感じたの」
空は青く晴れていて、侑子は無意識にブレスレットについた青硝子の鱗を触っていた。
「真っ直ぐで熱くて、とても前向きな感情。……私、二人の記憶を知ることができて良かったって思うんだ。知らないかったから……誰かを好きでいる気持ちが、あんなに強くて揺るぎないものだって。知ることができて良かったって思う。だから、他の人の記憶を見ることも、できるような気がする」
説明することに夢中で侑子は気づいていなかったが、紡久は驚き顔で彼女の話す姿を見つめていた。
「侑子ちゃんはとてもポジティブだよね」
「え? そうかな」
自覚のないことを指摘されて、侑子はようやく紡久の顔を見た。そんな彼は微笑んでいる。
「俺はそんな風にあの記憶を見ていなかったな。でも、そうかもね。言われてみれば、負の感情だけではなかった。心の一番深くて大きい場所にあったのは、好きって感情だ」
「うん」
「あの好きって気持ち、俺も知らないな。よくある恋愛の気持ちとは、ちょっと違う気がする」
思い出そうとして目を閉じる紡久の睫毛は、明るいオレンジ色だ。
大晦日の夜にユウキに染めてもらった色は、引き続き彼の身体を彩っている。その色は明るい昼間の陽光の中で、透き通るように見えた。
「愛、かな?」
「そうかも。愛かも」
二人の声は軽やかで、思い当たったその感情の名前にどちらも異議は唱えなかったが、それ以上の言及もできないままその会話は終わった。
侑子にも紡久にも、その感情は未知だったのだ。
ミツキとスズカの二人と別れた後、庭の東屋に侑子と紡久の二人は座っていた。
紡久の手にはスケッチブックと鉛筆、侑子の腕の中にはギターがあった。
二人の自由時間の定番のお供である。
「うん。エイマンさん、本当に知りたそうだったし。確かにあの体験は怖いけど」
全く知らない人間のものだった感情、それが自分の中に吸収されていく違和感。
見たことのない映像と音、そして感触。どれもが生々しく五感に刻まれていた。
先程紡久が言った通り、その感覚は気分の良いものではない。伝わってきた感情の多くが不快感なのだから当然だ。
「……でもね、ちえみさんの記憶も正彦さんの記憶も、どちらも怖さだけじゃなかったなって思うんだ」
ギターネックを支える左手に、僅かに力が入った。
あの日の一組の夫婦の記憶を思い起こす。既に幾度となく振り返った記憶だった。
「二人共お互いのことを本当に大好きで、大切に思っていた。そういう気持ちって、暖かいっていうより熱いものなんだなって分かった。苦しみや恐怖、失った悲しみや、未来を考えられなくなる空っぽな感情……すごく暗い気持ちが沢山あった記憶だったけど、そのどれよりもただ熱くて、真っ直ぐだと感じたの」
空は青く晴れていて、侑子は無意識にブレスレットについた青硝子の鱗を触っていた。
「真っ直ぐで熱くて、とても前向きな感情。……私、二人の記憶を知ることができて良かったって思うんだ。知らないかったから……誰かを好きでいる気持ちが、あんなに強くて揺るぎないものだって。知ることができて良かったって思う。だから、他の人の記憶を見ることも、できるような気がする」
説明することに夢中で侑子は気づいていなかったが、紡久は驚き顔で彼女の話す姿を見つめていた。
「侑子ちゃんはとてもポジティブだよね」
「え? そうかな」
自覚のないことを指摘されて、侑子はようやく紡久の顔を見た。そんな彼は微笑んでいる。
「俺はそんな風にあの記憶を見ていなかったな。でも、そうかもね。言われてみれば、負の感情だけではなかった。心の一番深くて大きい場所にあったのは、好きって感情だ」
「うん」
「あの好きって気持ち、俺も知らないな。よくある恋愛の気持ちとは、ちょっと違う気がする」
思い出そうとして目を閉じる紡久の睫毛は、明るいオレンジ色だ。
大晦日の夜にユウキに染めてもらった色は、引き続き彼の身体を彩っている。その色は明るい昼間の陽光の中で、透き通るように見えた。
「愛、かな?」
「そうかも。愛かも」
二人の声は軽やかで、思い当たったその感情の名前にどちらも異議は唱えなかったが、それ以上の言及もできないままその会話は終わった。
侑子にも紡久にも、その感情は未知だったのだ。