74.伝令

文字数 985文字

「紡久くん、身体に変なところはない?」

「大丈夫。よく寝てるし、よく食べてるから。とっても元気だよ。あの栄養剤、俺には毒じゃなさそうだね」

 七月の穏やかな晴天が広がっていた。
こんな状況下でなければ、思わず歌い出したくなっていただろう。

 昼食を部屋で済ませた侑子と紡久は、建物から一番離れた一角にある、コーヒーカップに腰を降ろしていた――この場所からは、あの研究施設が目に入らないのだ。周囲に大木が生え、細く細かな葉を茂らせた木立が日陰を作る。二人が見つけた、気を落ち着けることのできる場所だった。


***


 それに初めに気づいたのは、侑子だった。足元に何かが当たった感触に気づき、動いたのが分かった。

 ビクリと身体を震わせた侑子に、紡久が「どうしたの」と声をかける。

「動物かな? 何か下で動いて……」

 腰を曲げて足元を覗き込んだ侑子は、あっと声を上げ、その声に自分も屈み込もうとした紡久の耳に、脳天気な音が聞こえてきた。

 プゥ プゥ

「おまえ……!」

 差し出された侑子の手の上に自ら跳び乗ってきたのは、頭頂部だけが青い白クマのあみぐるみだったのだ。

「どうしてここに?」

 息を呑んだ侑子の問いかけに、クマは胸を張って見せる。

「このクマ、コルについて行ったんじゃなかったっけ?」

 紡久に頷きながら、侑子は駅の改札前でメムの親子と別れた日を思い返していた。コルに飛びつき、彼と共にメムの里へ赴いたはずの白クマだった。

「あ、この布……」

 あみぐるみを観察していた侑子は、首元に巻き結ばれた紺色の布切れに注目した。藍染の深い色の上に、特徴的な線を描いて白い糸が刺繍されている。その模様に、侑子は見覚えがあった。

「メムの文様」

 侑子が里を出立する日、ランが侑子への餞別に贈った手ぬぐいにも、同じ模様が刺繍してあったはずだ。

「お前、コルのところからやってきたの?」

 ぴぃ ぴぃ

 白クマは頷いて、肯定した。
そして、輝く硝子の鱗で覆われた背に背負った、銀色の円柱を両腕で示す。

 見覚えのある形と質感だった。
侑子の元に鳥が運ぶ時には、もう少し短い円柱だったが。

「侑子ちゃん、これってもしかして」

「うん……」

 二人は顔を見合わせた。
侑子の膝の上で、白クマは大人しく待っていた。彼女の両手が背中の筒の蓋を持ち上げ、中身を取り出し終えるのを。

 中から出てきた物を見て、侑子と紡久の瞳は、煌々と輝きだした。
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