昔の歌⑤

文字数 785文字

 深く下げた頭を、再び上げる。
顔を上げた侑子の目に映ったのは、観客たちの笑顔だった。

いつの間にかすぐ隣にユウキが立っていて、そちらを見上げる。優しく細めた緑の瞳が、侑子のことを見つめていた。

 歌いきったのだ。

 ようやく実感が湧いてきて、あまりの安堵感に脱力しそうになったが、最後の気力で侑子は再びマイクの前に口を近づけた。大切な祝福の言葉を述べる。

「ご卒業おめでとうございます」

 
***


「あの歌はユーコちゃんの世界の歌なの?」

 控室のソファの上で侑子は脱力していた。声をかけてきたのは、リリーだった。

予想外の人物の声に、びっくりして跳び起きた。
その様子に大きく笑い声を上げながら、リリーは説明する。

「私もユウキたちの卒業をお祝いするために来たのよ。余興の最後にねじ込んでもらったの」

 ホールでは既に次の余興が始まっていて、楽しげな笑い声が聞こえてくる。侑子が赤面しながらソファに座り直すのを見ながら、リリーも隣に腰掛けた。

「びっくりした。ユーコちゃん、歌が上手なのね」

「ありがとうございます……」
 
 これでは赤く染まった頬が、いつまで経っても治らない。侑子は熱の引かない頬を手のひらで覆った。

「ユウキの曲はどれも知ってるわ。ここでよく歌ってるわね。だけど、最後の曲は初めて聞いた」

「ゴンドラの唄っていうんですよ」

 侑子は忘れもしないその曲の名前を口にした。

「私がいた世界で、百年くらい前に流行った曲なんです」

「そう。とても美しい歌ね。どんなに古くても、魅力ある歌は色褪せないものよ。ユーコちゃんの声に命を吹き込まれて、また誰かの記憶に残っていく。『恋せよ乙女』かあ。なんて素敵な言葉かしら」

 リリーは一度聞いただけのフレーズを口ずさみながら、化粧を整え始めた。

 低く落ち着いた声で繰り出される旋律は、緊張と昂りによって固くなった侑子の心を、やさしくほぐしていくのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み