91.理不尽

文字数 1,757文字

「……今の話は、本当ですか」

 平静を確かに保つために、紡久は座りながら椅子の背もたれを無意識に掴んでいた。
ギギ、と軋んだ音が鳴った。

「暴露大会ですもの。嘘を話すなんて野暮なことしない」

 シグラは足を組み替えた。口調に乱れはなく、相変わらず淡々としていた。たった今紡久に聞かせた話を語った時と同じだった。

「何故俺に、そんな重大なことをバラした?」

「あなたの秘密を聞いてしまったから。あの話に返せるだけの大きな秘密は、私にはこれくらいしか残っていないからよ」

 ここでシグラは、微かに表情を緩めた――ように紡久には見えて、思わず視線を逸した。

 複雑な気分だった。
初めてあの日の出来事を、あの女にされた(おぞ)ましいことを、人に打ち明けた。ずっと誰にも言えずにいたのに。もっと言葉に詰まるかと思っていたが、するすると口から出てきた説明に、紡久は自分でも驚いたのだった。

――打ち明けたところで、何も変わらないものだな

 胸がすくこともなければ、乗り越えた実感もわかない。あの時の不快感は蘇ったが、俯くこともなかった。

 過去の出来事は消せない。けれど今に繋がる線上に、あの女はいないし父もいない。今現在の紡久に、直接的に手を下すあの世界の人間は、もう誰もいないのだ。

「あなたは何をしたいんだ? どういうつもりで、俺にこんな話を聞かせた?……兵器の停止方法(シャットダウン)なんて」

 繰り返す質問に、シグラは薄く笑った。「ふふ」と声を漏らして、そしてすぐに笑顔を消した。

「さっきも言ったと思うけど、私は理不尽な思いをしたら、根に持ちやすい人間なの」

 立ち上がり、ドアの前で立ち止まったシグラが、紡久を振り返った。

「……だからかもね。あなたにこんなに重大な秘密を暴露してしまった」

 すぐにドアの方へ向いてしまったので、言い終えた彼女の表情は分からない。

「シグラ。あなたもブンノウのやろうとしていることが間違いだと、本当は分かっているんじゃないのか」

 紡久も椅子から立ち上がり、数歩シグラの方へ歩み寄った。彼女は紡久の質問には答えなかった。

「私は根に持つのよ。それに加えて、不可解は気になって仕方がない性分なの。私がずっと知りたくてたまらなかったことを、ブンノウは何もかも説明してくれた。……もう私が知りたいと思うことは、この世に何もない」

 電球の光が、突如弱まった。「切れそうね」とシグラが呟く。緋色の髪色は、そんな照明の下では色褪せて見えた。再び振り返って紡久に向かい合ったシグラの瞳も、勢いを失った炎のように弱々しく揺れる。

「私が理不尽に思うことは、この人類殲滅計画のことじゃないわ……まぁ、少しは含まれるけど。私の中でこれまで溜め込まれた理不尽は、そんな比ではない」

 シグラの中で、ブンノウに出会ってからの日々の記憶が駆け巡った。

 愛していたのに愛されない理不尽。
 救いたいのに救えない理不尽。
 止めたいのに止められない理不尽。
 もう知りたくないのに知らされる理不尽。

 彼と出会って満たされたと思った喜びの器は、本当は最初からヒビだらけだったのだ。

――分かっていたはずなのに。あの夢は、良い夢などではなかったのだから

 繰り返し見てきた夢の中で、シグラに虫眼鏡を手渡した男は、ブンノウだ。
一方的に重荷を押し付けたまま、一度も救いの手を差し伸べることなく、ただ同じ歌を歌って去っていく男。
 夢の最後に聞こえたサイレンは、きっと二人への警告だったのだ。

――同じ夢を見てきた私達は……分かっていたはずだ。私達は出会ってはいけなかった。……いや、少し違うか

 振り返りの思考の中で、シグラは小さく訂正する。その訂正が絶望的であるがゆえに、先延ばしにしてきたことを認めながら。

――彼は、分かっていなかった。理解していなかった。あの夢の中で感じる感情を。だってブンノウには欠如しているから。絶望、哀しみ、恐怖……私があの夢で感じていた感情の全てを、彼は元来持っていない。だから分かるはずもないんだ。あの夢が凶夢だということも

 この理解こそ、シグラの体験した最大の理不尽である。

「最後の抵抗よ」

 短い言葉の後で、シグラは紡久に笑いかけた。

「やってみる? 成功しても失敗しても、あなたが死ぬことはないわよ。私の死期が多少変わって、人類がいなくなるかならないかの違いだけ」
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