106.自信

文字数 1,088文字

「終わったわ」

 シグラの声は、先程から変化がなかった。暗くもなく、絶望した風でもない。
なので何を意味する『終わった』なのかを、侑子は咄嗟に読み取ることができなかった。

 一方紡久は、彼女の『終わった』の意味をすんなりと把握したらしい。みるみるうちに顔色は蒼白になり、唇を引き締める筋肉が弛緩してしまったように、口を開いて浅い呼吸を始めていた。

「失敗した」

 短い一言の後、シグラは顔を俯けた。

「正夢にはならなかったわね」

 揺れた声に、侑子はようやくシグラの言葉の意味を理解したが、どうしても納得できなかった。

「どうして言い切れるの?」

「どうしてって」

「侑子ちゃん」

 紡久が心配そうに顔を覗き込んでくるが、侑子からすれば紡久こそ心配だった。完全に顔色をなくしている。

「海に落ちたわ」

「落ちたけど」

「海の中では、歌えない」

 シグラと紡久の言葉に挟まれた侑子の声は、相変わらず納得していなかった。
 侑子はモニターに映る、水飛沫が完全に消えた海面を見ていた。この下に、ユウキと二体の半魚人はいるのだろう。

「歌えないの?」

「海中なのよ。空気がない」

「でも夢の中では」

「ここは夢の中じゃないわ」

「ユウキちゃんは海の中にいるのに」

「どうして……」

 シグラはちっとも顔を曇らせない侑子が不思議だった。
 少しも疑っていないのだ。ユウキを。正夢にすると約束した恋人との言葉を。

「シグラ。浜まで連れて行って。すぐそこでしょう。屋上でもいい。海の近くまで。そこで確かめるから」

 お願い、と続けようとした侑子の言葉は、その部屋のドアが開く音で打ち消された。
 ブンノウが入ってきた。

「いいですよ」

 侑子の声は、届いていたようだった。

「二体を迎えに行きましょう。シグラとツムグも一緒に」

 ブンノウの声は朗らかだったが、しゃがれていた。彼はシグラに視線を少しだけ定めると、「説明はいりません」と短く告げた。
 再び侑子に顔を向けると、ブンノウの顔は不自然に歪んだ。それが笑顔であることに気づいた紡久は、寒気を感じた。

「彼らがあなたの恋人の形見を、少しは持ち帰ってきてくれるかも知れませんね


 言葉が見つからないまま、紡久はブンノウに背を向けて、守るように彼と侑子との間に立った。少しでも侑子の心を乱したくないと思っての行為だったが、恐る恐る確認した彼女の表情は、予想外のものだった。

「紡久くん、ありがとう。大丈夫」

 笑っていた。
侑子は、笑顔だった。無理をして作ったものではない、自然な表情であることが分かった。自信に満ちている。

「早く連れて行って」

 凛と響いた声は、ステージで歌うユウキそっくりだと、紡久は思った。
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