踊る無機物④
文字数 1,570文字
「“才”を使って歌う時は、お母さんの声は聞こえてこないの?」
唐突な問に、片付けの手が止まった。
組み立て式の台の脚を外し、ベルトで纏めているところだった。
顔を上げ、隣で自転車の荷台にボストンバッグを固定している少女に、視線を合わせる。
麻生地のシンプルなブラウスと白いスカート姿の彼女は、今日は長い黒髪を下ろしていた。いつもより更に大人びて見える。問を投げかけたその表情に、言葉以上の他意は読み取れない。
ユウキの瞳には全体的な彼女の印象とは対象的に、その顔はひどく無邪気に映った。
「聞こえてこないな。声を変えてるからね」
再びロープを巻く手を動かしながら、答えた。気持ち先程より速度が早くなっているのは、気の所為だろう。
「私はやっぱり、ユウキちゃんの声が好き」
作業が終わった侑子が、間を開けずに言葉を繋いだ。
二台並んだ自転車の、隣のベンチに腰掛ける。
「曲芸もユウキちゃんの歌声で全部聞けたらいいのにって思った」
再び顔を上げたユウキと目を合わせ、更に続ける。
「もちろん、お客さんにユウキちゃんの“才”を楽しみにしてる人も多いってことは、分かってるよ。でも魔法を使わなくてもあんなに凄い歌声を持ってるのに勿体ないなって思うのと、それと……単純にユウキちゃんの声だけでここで歌ったら、どんな風に歌が聞こえるのか知りたい」
ユウキは隣に腰を下ろした。
メイクを取り除き、高く結い上げた髪を下ろす。胸を覆い隠す程長さのある水色に染まった髪は、侑子の黒髪よりも長かった。
いつもの短髪に戻すのは後回しにして、ユウキは顔にかかる長髪を片方の耳にかけた。覗き込むようにして少女の顔を見ると、彼女のこげ茶の瞳が、まっすぐにこちらを向いているのが分かった。
「自分の歌声だけで認められる歌い手になること」
薄い微笑みが自然と浮かんだ。
「それが目標だから、いずれそうしたいとは思っていたんだ」
見守るように、次のユウキの言葉を期待する。見つめる侑子の視線は、迷いなく真っ直ぐ注がれてくる。
ユウキの心に、自嘲的な影が差し込んだ。
「否定したいのに、結局“才”に甘えてる。魔法を使えば簡単に客を集めて、簡単に楽しませることができるって、味を占めてるんだ」
長い髪をぐっと掴んだ。
魔法で色を変えた毛髪は、強く引っ張ると頭皮に痛みを伝えた。
間違いなく自分の身体の一部だが、どこか偽っている気分は拭えない。
「厚化粧の下に素顔を隠すのも、髪の長さも色も変えているのも、声を別人に変わってもらうのも、俺にとっては鎧なんだよ。情けない話だけど、怖いんだ。ちゃんと自分の実力だけでやっていくことが。魔法を使えば何もかも早いし、簡単だ。おまけに自尊心を守ってくれる。何て便利な鎧だろうね」
元の灰色の短髪に戻すと、侑子の瞳に映り込む、いつもの見慣れた自分の姿が目に入る。
「ユーコちゃんが言うのなら……いや、違うな。ユーコちゃんと会えた今だから、捨て時なのかも知れない」
侑子に語りかけるというよりも、自分だけにつぶやいたように聞こえた。
瞼を閉じて、数秒そのままゆっくり呼吸を整える。
侑子の指先が遠慮がちに背中に触れてくるのを感じた。心配しているのだろう。
「ありがとう、ユーコちゃん。君が言ってくれなかったら、いつまでも踏ん切りがつかなかった」
侑子の手を包み込みように握ると、ユウキは目を開けて、再び彼女に向き直った。
きっとうまくいくという確信が浮かんだのは、侑子がほっとしたように笑ったからかもしれないし、決意を固めた自分の心が、思いの外揺れていないと感じたからかもしれない。
ぴぃぴぃぷぅぷぅという間の抜けた音が耳に入ってきて、ユウキは大きく破顔した。
「案外お前達のおかげかもな」
三匹を膝の上にのせてやると、クマたちは満更でもなさそうに、代わる代わる頷いた。
唐突な問に、片付けの手が止まった。
組み立て式の台の脚を外し、ベルトで纏めているところだった。
顔を上げ、隣で自転車の荷台にボストンバッグを固定している少女に、視線を合わせる。
麻生地のシンプルなブラウスと白いスカート姿の彼女は、今日は長い黒髪を下ろしていた。いつもより更に大人びて見える。問を投げかけたその表情に、言葉以上の他意は読み取れない。
ユウキの瞳には全体的な彼女の印象とは対象的に、その顔はひどく無邪気に映った。
「聞こえてこないな。声を変えてるからね」
再びロープを巻く手を動かしながら、答えた。気持ち先程より速度が早くなっているのは、気の所為だろう。
「私はやっぱり、ユウキちゃんの声が好き」
作業が終わった侑子が、間を開けずに言葉を繋いだ。
二台並んだ自転車の、隣のベンチに腰掛ける。
「曲芸もユウキちゃんの歌声で全部聞けたらいいのにって思った」
再び顔を上げたユウキと目を合わせ、更に続ける。
「もちろん、お客さんにユウキちゃんの“才”を楽しみにしてる人も多いってことは、分かってるよ。でも魔法を使わなくてもあんなに凄い歌声を持ってるのに勿体ないなって思うのと、それと……単純にユウキちゃんの声だけでここで歌ったら、どんな風に歌が聞こえるのか知りたい」
ユウキは隣に腰を下ろした。
メイクを取り除き、高く結い上げた髪を下ろす。胸を覆い隠す程長さのある水色に染まった髪は、侑子の黒髪よりも長かった。
いつもの短髪に戻すのは後回しにして、ユウキは顔にかかる長髪を片方の耳にかけた。覗き込むようにして少女の顔を見ると、彼女のこげ茶の瞳が、まっすぐにこちらを向いているのが分かった。
「自分の歌声だけで認められる歌い手になること」
薄い微笑みが自然と浮かんだ。
「それが目標だから、いずれそうしたいとは思っていたんだ」
見守るように、次のユウキの言葉を期待する。見つめる侑子の視線は、迷いなく真っ直ぐ注がれてくる。
ユウキの心に、自嘲的な影が差し込んだ。
「否定したいのに、結局“才”に甘えてる。魔法を使えば簡単に客を集めて、簡単に楽しませることができるって、味を占めてるんだ」
長い髪をぐっと掴んだ。
魔法で色を変えた毛髪は、強く引っ張ると頭皮に痛みを伝えた。
間違いなく自分の身体の一部だが、どこか偽っている気分は拭えない。
「厚化粧の下に素顔を隠すのも、髪の長さも色も変えているのも、声を別人に変わってもらうのも、俺にとっては鎧なんだよ。情けない話だけど、怖いんだ。ちゃんと自分の実力だけでやっていくことが。魔法を使えば何もかも早いし、簡単だ。おまけに自尊心を守ってくれる。何て便利な鎧だろうね」
元の灰色の短髪に戻すと、侑子の瞳に映り込む、いつもの見慣れた自分の姿が目に入る。
「ユーコちゃんが言うのなら……いや、違うな。ユーコちゃんと会えた今だから、捨て時なのかも知れない」
侑子に語りかけるというよりも、自分だけにつぶやいたように聞こえた。
瞼を閉じて、数秒そのままゆっくり呼吸を整える。
侑子の指先が遠慮がちに背中に触れてくるのを感じた。心配しているのだろう。
「ありがとう、ユーコちゃん。君が言ってくれなかったら、いつまでも踏ん切りがつかなかった」
侑子の手を包み込みように握ると、ユウキは目を開けて、再び彼女に向き直った。
きっとうまくいくという確信が浮かんだのは、侑子がほっとしたように笑ったからかもしれないし、決意を固めた自分の心が、思いの外揺れていないと感じたからかもしれない。
ぴぃぴぃぷぅぷぅという間の抜けた音が耳に入ってきて、ユウキは大きく破顔した。
「案外お前達のおかげかもな」
三匹を膝の上にのせてやると、クマたちは満更でもなさそうに、代わる代わる頷いた。