82.想像力
文字数 1,819文字
蝋燭の先の炎が消えた。
光源を失った室内は暗くなったが、外から漏れ入る光によって、芯の先から立ち昇る煙の形はあらわにされている。
細い煙は龍のようだ。
ミネコは龍を見たことはないし、架空の生き物であると認識しているが、どこかに実在しているかも知れない。
――人類が絶対と断言できる事象は、この世に一つもないのだろうから
顎を引いて胸元を見れば、白い石がそこにあった。細い紐で自分の首に下がる石は、光を失っている。
内側から輝かないそれは、実は薄く灰色の斑模様が入っていたのだ。何十年も守役として共にありながら、初めて知ったことだった。
「死んだのですか」
問いかける声は、メムの長老のものだった。
ミネコの隣に腰を降ろしていた彼女は、そっと間を詰めた。肩と肩が触れ合う。
「何をもって死んだとするのでしょう」
問い返したミネコに、ランは静かに首を振った。
「難しい問ですね」
朝を告げる鳥の鳴き声と、幾人もの人の声が聞こえてくる
二人がいるのはテントの中で、外と隔てるのは薄い帳一枚だけだ。
後方部隊とはいえ、彼女達のいる場所は、メム人のみならず数多くの兵士たちが守りを固めていた。
「人間だってどの状態から死んだとするのか、曖昧なのですから」
テントの中には、二人しかいなかった。
「側村に葬られる人々は、分解され粒子になって、ずっとそこにあるのでしょう。粒子の死とは、何をもって死とするのでしょうか。粒子になり、糸になり、果てもないほど細かくなって……地球も太陽も消滅した後でさえ、粒子は消滅することなく存在していられるのに。それなのに、死とは? 現象と言葉がミスマッチだと、私には感じられるのです」
メムの長老の言葉に、ミネコは屈託なく笑った。
「確かにそうですね。当たり前の風習だったから、そんな風に考えたこともなかった」
「メムが古来から行ってきた埋葬方法を、ご存知ですか」
「いいえ。そういえば知らないわ。私たちとは違うのですか」
「時と場合によって、いくつか方法があるのです。一つに限らないの。場所と燃料があれば火葬して骨にする。場所だけがあれば大きな瓶に入れて土に埋める。場所もなければ、鳥と獣に食べてもらう。……いずれの場合も、私達は“死んだ”としない。個人としての姿は失われたが、繋目 を超えたと捉えます」
「繋目」
風が吹き込んできた。
対象的な色彩の二人の髪が、ふわりと靡いた。
「燃やして灰になれば風に変わる。土に還れば木々や植物に変わる。鳥と獣に喰われれば彼らの血肉へと変わる……一つの存在から別の存在へ移り変わる繋目。一般的に“死”と呼ぶ現象を、メムはそのように捉えてきました」
「なるほど」
ミネコは大きく深呼吸した。
「メムも、私達も、死を終わりとは受け取らないんですね」
側村は死者が生活を続ける場所として存在する。そこは墓ではなく、あくまで生活の場なのだ。
終わりと認めないという点では、魔力の有無で分けられた二種類の人類に、考え方の違いはないようにミネコには思えた。
「同じですね」
二人は笑った。
彼女達の間には、穏やかな空気が流れる。
テントの外側の兵士たちの緊迫感とは、まるで真逆だった。数日前に突然銃撃を受けてから、空気はピリピリしていたのだ。
「その考えに則ると」
ランは白い勾玉に視線を注いだ。
「その状態の鍵は、死んだとは言わないはずですね」
光を失った小さな神器。
滑らかな表面は艷やかだが、白い発光は鎮まったままだ。ミネコの身体が輝くこともなく、共鳴は起こらない。
「そうだと思いたいです」
感じることのなくなった神器の気配に、ミネコの気持ちは萎む。預かってきた神秘の宝を、自分の代で失ってしまったのではという心配は、責任感の大きさと積み重ねてきた年月の分だけ巨大なのだ。
「考えましょう、良い方へ」
ミネコの肩を、ランの腕が抱いた。
「私たちは、見えないことを恐ろしく考えがちな生き物です。だったらあえて、良い方へ思考を傾ければいい。都合がいいとか考えが甘いとか、そういう雑念は必要ない」
美しく、迷いのない声である。
再び風が吹き込んできて、入り口の帳を大きくはためかせた。煽られた二人の髪が、お互いの頬を擽 った。
風の音と共に、メムの長老の声はまるで一つの音楽のように滑らかに、ミネコの記憶に刻み込まれていく。
「想像力は、どんな壁も障害も乗り越える。凶暴な悪意も、偉大な叡智も。私たちが取り込まれている、この世界の摂理でさえも」
光源を失った室内は暗くなったが、外から漏れ入る光によって、芯の先から立ち昇る煙の形はあらわにされている。
細い煙は龍のようだ。
ミネコは龍を見たことはないし、架空の生き物であると認識しているが、どこかに実在しているかも知れない。
――人類が絶対と断言できる事象は、この世に一つもないのだろうから
顎を引いて胸元を見れば、白い石がそこにあった。細い紐で自分の首に下がる石は、光を失っている。
内側から輝かないそれは、実は薄く灰色の斑模様が入っていたのだ。何十年も守役として共にありながら、初めて知ったことだった。
「死んだのですか」
問いかける声は、メムの長老のものだった。
ミネコの隣に腰を降ろしていた彼女は、そっと間を詰めた。肩と肩が触れ合う。
「何をもって死んだとするのでしょう」
問い返したミネコに、ランは静かに首を振った。
「難しい問ですね」
朝を告げる鳥の鳴き声と、幾人もの人の声が聞こえてくる
二人がいるのはテントの中で、外と隔てるのは薄い帳一枚だけだ。
後方部隊とはいえ、彼女達のいる場所は、メム人のみならず数多くの兵士たちが守りを固めていた。
「人間だってどの状態から死んだとするのか、曖昧なのですから」
テントの中には、二人しかいなかった。
「側村に葬られる人々は、分解され粒子になって、ずっとそこにあるのでしょう。粒子の死とは、何をもって死とするのでしょうか。粒子になり、糸になり、果てもないほど細かくなって……地球も太陽も消滅した後でさえ、粒子は消滅することなく存在していられるのに。それなのに、死とは? 現象と言葉がミスマッチだと、私には感じられるのです」
メムの長老の言葉に、ミネコは屈託なく笑った。
「確かにそうですね。当たり前の風習だったから、そんな風に考えたこともなかった」
「メムが古来から行ってきた埋葬方法を、ご存知ですか」
「いいえ。そういえば知らないわ。私たちとは違うのですか」
「時と場合によって、いくつか方法があるのです。一つに限らないの。場所と燃料があれば火葬して骨にする。場所だけがあれば大きな瓶に入れて土に埋める。場所もなければ、鳥と獣に食べてもらう。……いずれの場合も、私達は“死んだ”としない。個人としての姿は失われたが、
「繋目」
風が吹き込んできた。
対象的な色彩の二人の髪が、ふわりと靡いた。
「燃やして灰になれば風に変わる。土に還れば木々や植物に変わる。鳥と獣に喰われれば彼らの血肉へと変わる……一つの存在から別の存在へ移り変わる繋目。一般的に“死”と呼ぶ現象を、メムはそのように捉えてきました」
「なるほど」
ミネコは大きく深呼吸した。
「メムも、私達も、死を終わりとは受け取らないんですね」
側村は死者が生活を続ける場所として存在する。そこは墓ではなく、あくまで生活の場なのだ。
終わりと認めないという点では、魔力の有無で分けられた二種類の人類に、考え方の違いはないようにミネコには思えた。
「同じですね」
二人は笑った。
彼女達の間には、穏やかな空気が流れる。
テントの外側の兵士たちの緊迫感とは、まるで真逆だった。数日前に突然銃撃を受けてから、空気はピリピリしていたのだ。
「その考えに則ると」
ランは白い勾玉に視線を注いだ。
「その状態の鍵は、死んだとは言わないはずですね」
光を失った小さな神器。
滑らかな表面は艷やかだが、白い発光は鎮まったままだ。ミネコの身体が輝くこともなく、共鳴は起こらない。
「そうだと思いたいです」
感じることのなくなった神器の気配に、ミネコの気持ちは萎む。預かってきた神秘の宝を、自分の代で失ってしまったのではという心配は、責任感の大きさと積み重ねてきた年月の分だけ巨大なのだ。
「考えましょう、良い方へ」
ミネコの肩を、ランの腕が抱いた。
「私たちは、見えないことを恐ろしく考えがちな生き物です。だったらあえて、良い方へ思考を傾ければいい。都合がいいとか考えが甘いとか、そういう雑念は必要ない」
美しく、迷いのない声である。
再び風が吹き込んできて、入り口の帳を大きくはためかせた。煽られた二人の髪が、お互いの頬を
風の音と共に、メムの長老の声はまるで一つの音楽のように滑らかに、ミネコの記憶に刻み込まれていく。
「想像力は、どんな壁も障害も乗り越える。凶暴な悪意も、偉大な叡智も。私たちが取り込まれている、この世界の摂理でさえも」