47.偶然
文字数 1,755文字
助手席に座った侑子は、フロントガラス越しに見える海の景色に見入っていた。
水平線が空との唯一の境界線で、水の色は青く、春の空とのコントラストは、穏やかな美しさを湛えていた。
「気持ちいいな」
ハンドルを握るのはハルカだった。
車内で起きているのは、侑子たち二人だけだった。
「勿体ないよなぁ。この絶景を見ずに、眠っちまうなんて」
「さっきお昼ご飯食べたばかりだからね」
「ユーコちゃんは眠くないの?」
「うん。あんまり。ハルカくんも眠そうじゃないね」
「俺はさ、この道走るの好きなんだよ。前回の巡業でもここ通ったんだけど、気持ちよくってさ。よく覚えてる。この辺は、災害に巻き込まれたことないみたいだな。あの頃と全然変わってない」
「前もここ通ったんだ」
「ああ。今向かってるライブハウスも、前回の巡業で演奏した場所だよ」
侑子達の乗っている車が、一番先頭を走っていた。後続はアオイとザゼルの乗るワゴン車と、ミユキ達バンドメンバーの乗るキャンピングカーだ。
「この辺に、眺めの良い休憩所があるんだよ。ああ、この先だ」
寄っていこうと、ハルカはハンドルを切った。
***
車が停車してエンジンを切っても、引き続き眠る者ばかりだった。
呆れ顔で、ハルカはドアを閉めた。
「ユウキなんて、揺すっても起きない。一体昨夜、どんだけ夜更かししたんだ?」
「そんなに遅くまで起きてないよ」
侑子は肩をすくめる。
本当のことだ。散歩から帰って、二人共すぐに寝たはずだ。少なくとも侑子は、すぐに眠りに落ちた。
――もしかしてユウキちゃん、眠れなかったのかな
そんなに心配をかけているのだろうか。昨夜のユウキの切実そうな様子は、正直想定外だった。
「……私がやってることって、そんなに危なかっかしく見えるのかな」
「何が」
駐車場は海を見渡せる高台にあった。
車を降りてすぐそこは、見晴台になっていて、侑子はハルカと並んで海を見ていた。
日本で言うところの、日本海にあたるのだろう。黒っぽい砂浜が見える。今日は暖かい四月半ばの日だったが、波は高い。消波ブロックにぶつかる度に、白い飛沫が舞っていた。
侑子は昨夜のユウキの様子を、掻い摘んで説明した。
聞き終えたハルカは、「ああ、まぁなぁ……」と腰に手をあてながら、息を吐いた。
「もうすぐ七年経つのか。ユーコちゃんが目の前から消えて、相当堪えてたからな。あの頃のあいつの様子、見せてやりたいよ」
「私、突然消えたの? ぱって、一瞬で?」
瞬きすらした覚えはないが、六年前の移動も、そして廃墟へ出てきた時も、一瞬の出来事だった。
侑子は自分の移動しか体験していないが、目の前で目撃した人には、どう見えていたのだろう。
「俺は実際見てないから何とも言えないけど。ユウキもツムグも、見てた奴らは皆同じように言ってたぞ。突然消えたんだって。少しずつ薄くなるとか、そういう消え方じゃない。まるで最初からなかったみたいに、消えてたって」
『最初からなかった』
そのフレーズに、侑子はゾクリと背筋が寒くなった。
――確かに私は、本来ならこの世界に存在しないはずの人間なんだ
ユウキの恐怖に、共感できた気がした。完璧な理解とまでは言えないとしても、それは解消し難い絶望に直結している。
「不思議だよなぁ。並行世界って、何なんだろうな」
ハルカが呟いた。
「どこかの過去から広がってきた世界の一つだとしたら……いつかの過去の時点で、この世界とユーコちゃんがいた世界は、元々一つの同じ世界だったってことなのか? 誰かのちょっとした選択一つで、世界が分岐していったとしたら……一体いくつの並行世界が存在するんだ」
それは彼の独り言のようだった。侑子は相槌をうっていたが、ハルカが彼女に返事を期待したように言葉を紡いだのは、大分無言の状態が続いた後だった。
「無数の並行世界の中で、ユウキとユーコちゃんはずっと結びついてた。俺から見たら、その事実だけでもう、二人は揺るがない“運命”で結ばれてるって思うんだけどな。ユウキはもっとその辺自覚して、不安を誤魔化すしかないさ。俺からも、いいタイミングがあれば説教しといてやるよ」
任せときな、と笑うハルカの声は頼もしく、侑子の不安は少しだけ軽くなる。掌に乗せた氷が溶けて滑り出すように、気持ちが滑らかになった気がした。
水平線が空との唯一の境界線で、水の色は青く、春の空とのコントラストは、穏やかな美しさを湛えていた。
「気持ちいいな」
ハンドルを握るのはハルカだった。
車内で起きているのは、侑子たち二人だけだった。
「勿体ないよなぁ。この絶景を見ずに、眠っちまうなんて」
「さっきお昼ご飯食べたばかりだからね」
「ユーコちゃんは眠くないの?」
「うん。あんまり。ハルカくんも眠そうじゃないね」
「俺はさ、この道走るの好きなんだよ。前回の巡業でもここ通ったんだけど、気持ちよくってさ。よく覚えてる。この辺は、災害に巻き込まれたことないみたいだな。あの頃と全然変わってない」
「前もここ通ったんだ」
「ああ。今向かってるライブハウスも、前回の巡業で演奏した場所だよ」
侑子達の乗っている車が、一番先頭を走っていた。後続はアオイとザゼルの乗るワゴン車と、ミユキ達バンドメンバーの乗るキャンピングカーだ。
「この辺に、眺めの良い休憩所があるんだよ。ああ、この先だ」
寄っていこうと、ハルカはハンドルを切った。
***
車が停車してエンジンを切っても、引き続き眠る者ばかりだった。
呆れ顔で、ハルカはドアを閉めた。
「ユウキなんて、揺すっても起きない。一体昨夜、どんだけ夜更かししたんだ?」
「そんなに遅くまで起きてないよ」
侑子は肩をすくめる。
本当のことだ。散歩から帰って、二人共すぐに寝たはずだ。少なくとも侑子は、すぐに眠りに落ちた。
――もしかしてユウキちゃん、眠れなかったのかな
そんなに心配をかけているのだろうか。昨夜のユウキの切実そうな様子は、正直想定外だった。
「……私がやってることって、そんなに危なかっかしく見えるのかな」
「何が」
駐車場は海を見渡せる高台にあった。
車を降りてすぐそこは、見晴台になっていて、侑子はハルカと並んで海を見ていた。
日本で言うところの、日本海にあたるのだろう。黒っぽい砂浜が見える。今日は暖かい四月半ばの日だったが、波は高い。消波ブロックにぶつかる度に、白い飛沫が舞っていた。
侑子は昨夜のユウキの様子を、掻い摘んで説明した。
聞き終えたハルカは、「ああ、まぁなぁ……」と腰に手をあてながら、息を吐いた。
「もうすぐ七年経つのか。ユーコちゃんが目の前から消えて、相当堪えてたからな。あの頃のあいつの様子、見せてやりたいよ」
「私、突然消えたの? ぱって、一瞬で?」
瞬きすらした覚えはないが、六年前の移動も、そして廃墟へ出てきた時も、一瞬の出来事だった。
侑子は自分の移動しか体験していないが、目の前で目撃した人には、どう見えていたのだろう。
「俺は実際見てないから何とも言えないけど。ユウキもツムグも、見てた奴らは皆同じように言ってたぞ。突然消えたんだって。少しずつ薄くなるとか、そういう消え方じゃない。まるで最初からなかったみたいに、消えてたって」
『最初からなかった』
そのフレーズに、侑子はゾクリと背筋が寒くなった。
――確かに私は、本来ならこの世界に存在しないはずの人間なんだ
ユウキの恐怖に、共感できた気がした。完璧な理解とまでは言えないとしても、それは解消し難い絶望に直結している。
「不思議だよなぁ。並行世界って、何なんだろうな」
ハルカが呟いた。
「どこかの過去から広がってきた世界の一つだとしたら……いつかの過去の時点で、この世界とユーコちゃんがいた世界は、元々一つの同じ世界だったってことなのか? 誰かのちょっとした選択一つで、世界が分岐していったとしたら……一体いくつの並行世界が存在するんだ」
それは彼の独り言のようだった。侑子は相槌をうっていたが、ハルカが彼女に返事を期待したように言葉を紡いだのは、大分無言の状態が続いた後だった。
「無数の並行世界の中で、ユウキとユーコちゃんはずっと結びついてた。俺から見たら、その事実だけでもう、二人は揺るがない“運命”で結ばれてるって思うんだけどな。ユウキはもっとその辺自覚して、不安を誤魔化すしかないさ。俺からも、いいタイミングがあれば説教しといてやるよ」
任せときな、と笑うハルカの声は頼もしく、侑子の不安は少しだけ軽くなる。掌に乗せた氷が溶けて滑り出すように、気持ちが滑らかになった気がした。