第288話ピアノの師匠中村雅代の思い 平井恵子の頼み

文字数 1,635文字

私、中村雅代の本心は、祐君を音楽家として、育てたい。
「その心を解放すれば、もっと、できる子」と思う。
それでは、何が彼の心にブレーキをかけているのか。
言うまでもない、祐君の母森田彰子さんの祐君に対する「ディスリ、小言、叱り」の連続の結果である。

祐君は、かつて私に、ポロッと漏らしたことがある。

「母さんは、僕が何をしても怒る」
「試験で100点を連続しても、間違えないのが当たり前で、自慢することではない」
「それ以上に、自慢しようとした、驕りをあらためなさい、謝りなさい」
「家の掃除は、いつも僕一人、姉貴はしなくても怒られない」
「少しでも、ホコリが残っていると、ホウキで殴られた」
「ピアノのレッスンの前の日でも、母さんの機嫌が悪い時は、練習させてもらえない」
「何か言うと、殴られるし怒鳴られるから、本音を言ったことがない」
「姉貴は、何をしても自由なのに」
「僕だけマヌケで、ノロマって叱られる」

母親として、「息子を厳しく育てたい」、その意図はわかるけれど、「やり過ぎ」はよくない。
息子に「成功しなければならない、失敗してはならない」そんな重圧だけを与えて、「失敗せず、成功して」帰って来ても、どこか「アラ探し」をして「ディする」だけの母親。

祐君も、辛かったと思う。

それでも、祐君は、笑顔で「面白いのは、父さんと一緒の時」言ってくれた。
確かに森田哲夫さんは、大らか、のびのびと人を指導するタイプ。
やや、女性にモテ過ぎる感は、あるが、あのルックスと人の心を理解するやさしさがあるから、それは仕方がない。

さて、それはそれとして、私は和歌研究の大先生、平井恵子さんから(少し面識がある)、相談があった。
「祐君と古今の新現代語訳を出そうと思っています」
「お恥ずかしいことですが、古今の学会は、カチンコチンの重鎮がいて」
「万が一、変な指摘をされて祐君がへこむかもしれません」

その先は、言われないでもわかった。
「大丈夫です、祐君は、私も育てたいので、支えます」
「いや、一緒に支え合いましょう」

平井恵子先生は、涙声。
「祐君が、中村先生のお弟子さんと、聞いて」
「ああ、ありがたいことだなあと」
「私は、祐君の言葉の感性も大好きなので、ここでつぶしたくなくて」
「もともと、私が、その感性に惚れて誘った話なのですが、協力してくれる人が欲しくて」
「申し訳ありません」

その涙声に、私もホロッとした。
「祐君は、私にとっても、大切な弟子です」
「謝らないでください」
「弟子を支える、育てるのは師匠の役目です」

平井恵子先生との電話を終え、私は驚いた。
勲章予定者の平井恵子さんにも、重圧をかける「重鎮連中」がいるのかと。
ただ、考えて見れば、音楽界も似たようなもの。
自分では、ロクな演奏もできないくせに、「自分に挨拶がない」「付け届けがない」そんな陳腐な理由で、若手の演奏に「ケチ」をつけるだけの「自称重鎮」のなんと多いことか。
中には、数か月ウィーンとかパリにいただけ(それも親の金で旅行)なのに、「海外有名音楽大学在籍」を言い張るジジイもいる。(知っているだけで、約10人)
パリの街ですれ違っただけでも、「彼は私の友人」にしてしまうし、ウィーンのコンサートを聴きに行っただけなのに、「私の的確な批評に彼女も耳を傾けてくれた」と言い張るし。その後、「彼」と「彼女」の名前を聴くと、全くチグハグ。(いつも違う、時期は同じなのに)
(要するに、その時に思いついた海外の有名音楽家の名前を口にしていることが判明した)

それはともかく、私は、祐君とじっくり話をしてみようと考えている。
音大とか、音楽コンクールの話はしない。
まずは、私のリサイタルに出演する話。
(村越君と祐君を考えている)
最初は娘との連弾を考えていたけれど、連弾では、もったいない。
曲の順番を含めて、リサイタル全体を芸術作品にしたい。
基本的にはベートーヴェンを考えていたけれど、それも再考。
祐君が、何を言い出すのかも、面白い。(森田彰子には内緒、邪魔をさせたくない)
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