第193話ジュリアの涙と生きる気力

文字数 1,548文字

祐を見送った私、ジュリアは、涙が止まらない。

「よかったね、ジュリア」
マスターのやさしい声と言葉が、ますます私の涙を増やす。

私、ジュリアが日本のオーケストラで弾くことが決まり、日本に来たのは4月1日、だから来て、間もない。
この店を知ったのは、次の日。
夜、食事をしようと歩いていたら、楽器の音がしたから入った。(すごくノリがいいジャズだった)
演奏していたのは3人。
ヴォーカルが女性、ピアノが男性、ギターも男性。
全員が中年でテクニックにもたけていた。(おそらくプロだ)

カウンターの、マスターの正面に座った。
「いらっしゃいませ、ご注文を」のやさしい声。
このやさしい声は、他の国(無愛想な対応が多い)とは違う、日本ならではのやさしさ。(肩の力が抜けた)
パスタと珈琲を頼み、あちこちと店内を見た。
すぐに目に留まったのは・・・いや・・・目を奪われたのは、「森田哲夫カレンダー」。
パリの下町の写真だった。
一瞬で、懐かしさで、心が熱くなった。(それと、祐君が、彼の息子さんであることも知っていたから)
だから、マスターに聞いた。

「あの森田哲夫さんのカレンダーは?」
マスターは、珈琲を淹れながら教えてくれた。
「はい、彼は、有名な写真家、昔は、ここのお店にもよく来ました、奥さんとも」
私は、それよりも、話したいことがあった。
「私、ジュリアと言います」
「昨日、日本に来ました、もう少ししたら東京のオーケストラでヴァイオリンを弾きます」
「それで・・・その森田哲夫さんの息子さんを、祐君を知っています」
マスターの顔がなごんだ。
「ほお・・逢えるといいですね」
「何とか、連絡できるかなあ・・・」

ただ、それ以上の話はできなかった。
目の前に、パスタが置かれ、店も混んで来ている。

食事を終え、店を出る時に、マスターにアドレスを教えた。
もちろん、「祐君情報」を知りたかったから。

「逢いたい・・・祐」
そんなことを思い続け、借りたばかりのアパートに入った。

まだ、荷物は、ほとんど段ボールに入ったまま。
それでも、一番最初に出したのは、弟フィリップの写真と祐の写真(まだ6歳で泣き顔、プールでおぼれて泣いていた)。

私は、まず、フィリップに語りかけた。
「フィリップ、天国はどう?もう、痛みはない?苦しくもない?」
涙が出た。フィリップが癌で5年前に亡くなってから、毎日同じことを言う。

次に泣き顔の祐に(でも、私も泣けて来た)
「祐!どこにいるの?逢いたいよ、大きくなった?また泣いているの?もう大丈夫だよ、ジュリアが来たんだから、安心して」

マスターからの連絡は、なかなか来なかった。
「逢えないのかな・・・マスターのリップサービスかな」
そんな落胆した生活が、数日続いた。

マスターから、電話が来た。
「祐君が、今日の昼に来たよ」
「店の近くの大学に通いはじめたらしい」
私は、残念ながら、オーケストラのリハーサル中。
「次に来たら、来た時点で、連絡してください」(語調が強くなった)

今日の昼は、マスターから電話を受けて、ヴァイオリンを持って、店に飛び込んだ。
(マスターから、祐君は、ピアノも上手らしい、という情報を聞いていた)

祐君は、すぐにわかった。
祐君の前と、隣に女子学生がいた。
でも、気にしない。
とにかく、祐君を抱きたかった。
抱いた瞬間、涙も止まらない、身体が燃えた。(12年も抱けなかったから)

一緒に演奏している時も(弾きやすく、心に響くピアノだった)、見送った今も、胸が熱い、ヒリヒリとしたままだ。

今度は、祐のアパートにも行きたい、祐を私のアパートにも迎えたい。
一緒に日本を歩きたい、いや、パリにも、アメリカでも、どこでも祐と歩きたい。

「生きる気力が生まれた」

私、ジュリアは、弟フィリップを亡くしてから、ポッカリと開いた穴が、ようやく埋まったと感じている。
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