第196話田中朱里 涙の反発

文字数 1,706文字

私、田中朱里にとって、祐君は単なるお話をしたい可愛い男の子から、とんでもない才能を持った、将来有望な魅力弾ける憧れのアイドルに変わった。(突っ込みどころとしては、時々ボンヤリしているところ、食が細いこと、体力的に難があるかな、というもの)

「今日は、胃薬とお水で、好感度アップかな」と思うけれど、「恩」は売りたくない。
祐君の弱みにつけこむなんて、「田中朱里がすたる」と思う。
「水」は、実は「間接キス」だった。
「でも、胃薬を飲むための、水の間接キス」なんて、意識するほうが無粋で、狭量に過ぎる。

「でもなあ・・・祐君、いいなあ・・・追いかけて来てよかった」
「祐君の近くにいると、いろんな面白いことに出会う」

私、朱里は、笹塚のアパートに戻っても、うれしくて仕方がない。
「古今も万葉も源氏も素人レベルだけど、何とか祐君の力になりたいなあ」
「周囲に女の人が多いらしい・・・でも、私一人くらい増えても、困らないのでは?」
「この私が、祐君に協力できるものって何かなあ」
「これこそ、名古屋嬢とか、名古屋から脱却して、一人の大学生として、女性として・・・何ができるかだなあ」

翌日の夕方だった。

そんな私、朱里に、「嫌な」電話がかかって来た。
相手は、東京に出るに際して、おばあ様とタッグを組んで反対の論陣を張った、「母愛子」。
(普段は犬猿の仲。子供の頃から、嫁姑の諍いで、どれほど神経を使わされたことか、泣いたことか)

母愛子は、最初から機嫌が悪い声。(だったら、電話かけて来なくてもいいのに)
「どうなの?我がまま張って、自分勝手な東京の生活は?」

「楽しいよ、祐君にも逢えた、すごいよ、とにかく」
(祐君が、古文の大先生達にかなり期待されていること、森田哲夫さんと彰子さんの息子さんであること、音楽もすごい、も説明する)

母愛子の声が、少しだけ明るくなる。
「それで、朱里はお友だちになれたの?」

「うん・・・少しずつ」

母愛子の声が、また不機嫌に変わる。
「森田哲夫さんも、彰子さんも私は何も知りません、どんな人?何をした人?芸能人?」
「秋山先とか平井先生の勲章も知りません、それが名古屋に何の関係が?」
「祐君の音楽?祐君はピアノ芸人にでもなるの?親が芸能人だから?」

ここに来て、母愛子も「名古屋嬢」であることを思い出した。
そもそも、本は読まない、雑誌も買わない。
ただ、お花を活けて、抹茶を立てる、それだけで一日を終える。
家事は、全てお手伝いさん任せを、子供の頃から続けて来た人だ。

私が黙っていると、母愛子が、また嫌なことを言い始めた。
「いい?朱里、浮かれていないで欲しいの」
「東京に出たからって、偉いと思わないで」
「貴方は、4年後には、必ず名古屋に帰らないといけないの」
「そうしないと、親戚に恥ずかしい」
「ただし、中退と留年は許さない、単位だけはしっかり取って、身体は壊さないこと」

私は、ようやく反発。
「私だって、やりたいことが見つかる、見つけるよ」
「そのためには、名古屋では無理なの、世間が狭過ぎる」
「だから、東京に出たの。就職は東京にします」

母愛子の声が、また厳しく重くなった。
「認めません」
「それから、朱里もわかっているでしょ?」
「来年にはお見合いをしてもらいますよ」
「お父様の部下、県庁の誰かと」
「今は、そのお家柄を調査しています、何人か候補がいるので」
「できれば、二十歳までに決めて」
「花嫁修業も始めますよ」
「仕方ない、大学卒業したらになるけれど」
「結婚は22歳ね、それがいい」
「おばあ様も、早く、ひ孫が見たいと」

私は涙が出て来た。
「どうして?私には私の人生があるの!」
「お家のメンツのため?」
「それとも、おばあ様がひ孫を見るために?」
「私の人生を犠牲にするの?」

母愛子は、私の涙の反発を聞かない。
「それが、朱里にとっても、我が家にとっても、名古屋にとっても、一番大事なこと」
「我が家に恥をかかせてまで、自分の我がままを通すなど、許しません」

私、朱里は、もう話をしたくなかった。
だから、そのまま電話を切った。
アパートを出て、走った。
祐君たちが、千歳烏山のどこに住んでいるかわからない。
でも、泣きつきたかった。
そのまま京王線に飛び乗った。
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