第287話暗雲、そして雷雨

文字数 1,599文字

窓から見える、かなりの悪天候(強風、雷豪雨)を見ながら、私、平井恵子は、怒りと不安に包まれている。
その原因は、今日の昼に、和歌(古今)の学会での雑談の中で、和歌学会の重鎮を気取る老人たちに、絡まれてしまった時から。

T大系の重鎮A先生。
「最近は、インターネットとやらを使って、誰でも文を書けるようだが」
「古今の読み方のカケラも知らない、どこの馬の骨とも知らん奴が、得体
の知れない文やら、古今の現代語訳を書いて、得意がっているそうじゃないか」
「僕はねえ・・・そういうことは、廃止するべき、と思っているんだよ」
「いかに言論の自由と言っても、節度をわきまえなければいけない、と思うよ」
「平井先生も、そうだろう?」

K大系のB先生。
「ほんまにそうですわ」
「我々に、何の挨拶もなく」
「そんな礼儀のカケラも知らん奴が、世迷言をほざかんように」
「きつくお仕置きが必要や、と思います」
「平井先生も、気がついたら、ご協力願います」

結局、自分たちの見解や伝統に反する古今に関する出版は、「認めない」との「いつもの圧力」である。
もし、それに反する(少しでも自由な文を入れるなら)事前に挨拶回り(現金持参)を、せよとの、いつもの「御意向」なのである。

もちろん、私は、祐君の「古今和歌集、新現代語訳」については、何の情報も漏らしてはいない。
だから、今回言われたことは、私と親しい祐君の「無料のブログが人気を集めていること」「その祐君の自由な、のびのびとした解釈」を読んだ学生たちから、重鎮たちが「逆指摘」をされた結果と判断した。(要するに、重鎮たちの、祐君のブログの人気への嫉妬なのである)(遠回しに、祐君との関係を切れ、とも)

しかし、今日の重鎮たちの考えを聞くと、やはり、腹立たしい。
とにかく旧弊だけを「ありがたがり」、古今と古今学者の権威付けばかりに興味を持ち、「生きた和歌、古今」を何ら読者に提供することなど、何も考えていない人たちである。

普段、彼らが言うことは、大まかに

「古今の解釈は、伝統から何も変わらないことが貴い」
「古今の訳は、古過ぎるほどの文にするのが、あるべき姿」
「難しくて、庶民、普通の人では理解できない言葉、現代語訳こそが、尊いこと」
「庶民などは、古今を読む資格はない」
「古今は、天皇家か貴族、高級僧侶が書いたもの、だから、せめて、旧華族の範囲で読むべきである、それ以下の国民は、天皇家、貴族から見れば家畜でしかないので、読ませる必要は、カケラもない」

まあ、紀貫之が聞いたら、嘆くようなことを平気で、言うけれど、それが彼らの実態。

私と祐君のチームの問題は、
その彼らと、「対決して」、新訳を発売するべきか。(新訳発売は、絶対にするべきと思っている)
あるいは、「頭を下げて回って」、発売をするべきか。(現金持参のコストが高くつく)
ということ。

業界のことを少し知る風岡春奈はいいけれど、やはり祐君は苦しませたくない。
お母様の森田彰子さんにも、迷惑をかけたくない。
今日の圧力を含め、それもあって、出版は、慎重を極めなければならないと思うようになった。
(方向性は、すでに決まりつつある)
(後は写真の撮影くらい)
(第一巻の新訳と解釈、解説も、ほぼ整って来た)

秋山康先生は、推薦文を書いてくれるので安心。
他に相談できるのは、祐君のお父様の森田哲夫さん。
「発刊に困ったら、僕が何とかするよ」(日本写真家協会の大幹部なので、もしかすると頼るかも)

そんなモヤモヤを抱えて、ベッドに入ると、また雷が激しく鳴って、停電。
祐君を思った。
「今、何をしているのかな」
「何をしていても、いいけれど」
「とにかく、身体と心を壊さないで」
「下手をすると、ガチガチの古今の大先生から、ものすごい個人攻撃を受けるから」
「売れたら売れたで、お怒りの嫉妬まみれの、新聞投稿もしかねない連中」

激しい雷雨の中、私、平井恵子の心は、複雑な感情に包まれている。
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