第179話佐々木先生のお願い③田中朱里の無力感

文字数 1,621文字

私、田中朱里は、腰が抜けるほど驚いた。
(まさか、祐君が私も大好き、尊敬している森田彰子先生の・・・昨日もNHKテレビで拝見した人の息子さんとは・・・)

そして、今日の万葉集の講義では、祐君の「文章」を使ったとか何とか。
(要するに、万葉集の先生にも、祐君の実力が認められている、ということ)
(そのうえ、お手伝いまでお願いされている)

そこまで思うと、祐君に、「本当に申し訳ない」そんな気持ちになってしまった。
(結局、私は、名古屋人、名古屋嬢の狭い世界の住人なのか)
(おばあ様の無知と無神経も、名古屋以外には出歩かず、その狭い名古屋の中で、いつも人を見下して来たから)
(全国的、いや世界的にも有名な森田哲夫さんを、説明されるまで知らない)
(源氏物語も万葉集も、女学校時代に、お習い事程度に目を通しただけ、そんなもの知らないでも、名古屋では、崇め奉られているから必要ないらしい・・・だから森田彰子さんも知らないと思う)
(おばあ様は、成り上がりは嫌う、つまり実力が評価されて有名になった人より、その実家の格を重視する・・・だから、世界的なカメラマンの森田哲夫さんも、内心では見下している・・・そこまで広い世間とは、ずれている)

私は、また謝りたくなった。
「祐君・・・いろいろごめんなさい」
「どこの馬の骨なんて、ひどいことを」
「祐君は覚えていない、気にしていないって言ってくれたけど」
「とにかく、私が申し訳なさ過ぎる、あの時に、おばあ様を止められなかったのだから」

でも、祐君は、そんなことを考えているのではない(今は、私のことは、眼中にない)、それはわかる。

祐君は、しばらく考えて「わかりました」と、頷いた、
佐々木先生は、ギュッと祐君の手を握る。
「ありがとう!さすが祐君」
「それでね、具体的には、7月まで計10回」
「火曜日の夜7時から」
「食事は出します、一階にあるカフェ」
「社会人講座の事務局にも紹介します」
「万葉集の第一巻から抜粋、つまり歌を選ぶ」
「代表的なもの、私も選ぶけど、祐君もお願い」
「現代語訳は、祐君のブログの訳にしたいの、あれは私も好き、学者仲間にもファンが多い」
「細かな説明は、私がします」
などなど、パタパタとした説明が終わった。

祐君は、佐々木先生のメモを見ながら羅確認。
「最初の講義は、来週の火曜日ですね」
「それまでに、訳す歌は・・・このチェックがついた歌」
祐君は、そこまで話して、佐々木先生の顔を見る。
「一度持ち帰っていいですか?」
「あの・・・スケジュール確認をしないと・・・自分でも不安」

佐々木先生は笑顔。
「そうね、秋山先生の若菜上も難題、平井先生の古今も神経使う」
「吉村先生との話もあるよね」

祐君は、隣の女性に声をかけた。
「帰りましょう、今日は」
隣の女性も「うん」と一緒に立ちあがる。

それで私も一緒に研究室を出た。(つまり出るところまでは一緒だった)
祐君が、私に頭を下げてきた。
「よくわかりませんが、成り行きで先生の部屋でご一緒してしまいました」
「貴重なお時間をつぶしてしまったようで、ごめんなさい」
「社会人講座は、僕が対応します、余計な心配はいりません」

私、田中朱里は、また腰が抜けるようなショック。
「あ・・・足手まといってこと?」(そう言おうと思ったけれど、声が出ない)

祐君は、スタスタと私の前から、その女性と去っていく。
辛かった。(時間を無駄にした?私は祐君と一緒の時間を過ごしたかったのに)
悔しくて涙が出て来た。
「結局、名古屋嬢は、名古屋地域限定ブランド、その圏外に出れば、誰にも見られず、評価もされない・・・ただの井の中の蛙」
「単なる世間知らずで、自分では何もできない人、名古屋から出れば、誰にも頼られない」
「でも・・・祐君と一緒に先生のお手伝いをしても、足手まといだよ」
「コピー機も、まだ失敗するくらいだもの、今までは使用人にやらせていたから」

そんなことで、田中朱里は、結局一人トボトボと笹塚のアパートに帰ることになった。
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