第327話 御館様艶事情御帰宅之段 2

文字数 2,481文字

「ちゅーした?」

 部屋を出ると、廊下で待っていた長女のミリィが開口一番訊いてくる。
 サラを見るといたずらっぽく微笑んで自身の右の頬をぽんぽんと人差し指で叩いてみせる。
 どうやら紅がついているようだ。

「ミリィも。ミリィも」

 と、せがむのでしゃがんで少し顔を横に向けてあげると、その横顔にむちっと唇を押し付けてきた。

「マリーンも!」

 次女のマリーンもぶつかる勢いでやってくるので反対の頬を差し出してみたのだが、小さな手のひらで両の頬をおし挟まれたかと思ったらおしゃぶりされるようにべっとりと唇をヨダレだらけにされてしまう。
 サラもキャラも、控えていた側室候補たちも微笑ましいというか生ぬるい微笑を浮かべてそれを見守っている。
 ひとしきりベロベロして満足したマリーンは生母であるキャラの下にとっとこと近寄り

「かぁしゃまも」

 と、催促する。
 彼女は少し頬を朱く染め、困ったように笑って見せたもののマリーンに引っ張られて僕のそばへくる。
 数瞬見つめあった後、心もち右を向いてみせると左の頬にそっと唇を当ててきた。

「これでいい?」

 と、娘に訊ねる母にマリーンは

「うん!」

 と、力一杯頷いた。
 しかし、家族水入らずならまだしも側室候補とはいえまったく知らない女性たちの前でやらされるとかとんだ羞恥プレーだよな、コレ。
 そう思いつつ、改めて六人の見目麗しい若い女性に視線を向ける。
 たしかに顔立ちだったり雰囲気だったり、僕の好みに合致した女性ばかり選ばれているようだ。
 彼女たちはしばらく館の雑務や僕の身の回りの世話をして過ごすことになっている。
 まぁ、サラやキャラの世話係は三人ずつついるし、館の雑務も今いる使用人だけで充分回せているのでもっぱら僕の身の回りの世話係を交代で担当することになるのだろう。
 そうした中でお手付きを待てということなのだろうか。
 ああ、どうしたもんかねぇ。
 嬉しいようなありがた迷惑のような悩みを抱えながら、久しぶりの内風呂へ。
 ゾロゾロとついてくるサラたち。

「今日は一人で入るぞ」

「そうですか」

「長風呂になると思う」

「では、お食事の準備をしております」

 みんながいなくなったのを確認してからようやく服を脱ぐ。
 長期遠征ですっかり肋骨の浮いた体が水面に映る。
 ベスト体重から体感で五キロ六キロは落ちてるだろう。
 こちらの世界だと何ラッタタだ?
 花の香りがつけられた石鹸をタオルに擦り付けて泡を立てる。
 ゴシゴシと体をこすって垢を落とすとたちまち泡がへたっていく。
 髪の毛も石鹸でわしゃわしゃと泡立てて洗い流すとぎしぎしになった。
 クレタも自分ごととしてずいぶん改良に力を入れているけれど、こればっかりはなかなか改良できないな。
 まず界面活性剤が合成できないので液体石鹸を作るのが非常に難しいという。
 化学の発展に寄与できる人物がほとんどいないことが原因だ。
 工業畑の転生者でもいてくれればまた違うのだろうが、僕はしがないサラリーマン。
 ルダーは農家でクレタは医者。
 それがなにでできているかを知っていても、その原材料をどうやって調達するかが判らない。
 そもそもこの世界が前世世界と同じ組成で成り立っているのか微妙である。
 魔法を使うための魔力なんてものは前世にはなかったからね。
 ただ、割と共通性があることは確認できている。
 例えば燃焼はこの世界でも可燃性物質と空気によって引き起こされる現象だ。
 しかし、燃焼の際に必要な空気が酸素なのか? っていうことは検証の余地がある。
 過去には生まれ変わりではない地球出身者がいたらしいけど、こちらの世界に来るにあたって人体の組成が引き継がれているとも限らないからな。
 一通り洗い終わって湯船につかる。
 お湯に沈む際に思わず声が出してしまうのはなんなんだろうね?
 手足を伸ばして肩までつかると疲れがお湯に溶けているような感覚が味わえる。
 この時ばかりは山積している諸々を頭の中から追いやってしまおう。
 瞑想というほど高尚じゃあないくつろぎの時間を過ごし、ほかほかに温まった体に新しい部屋着を羽織って食堂へ向かう。
 思ったより長風呂だったのか、すっかり準備が整っていた。
 久しぶりの家庭料理は家族と食卓を囲んだことも調味料になったのだろう、懐かしいような安心できる味だった。
 そのせいなのか少々酒を呑みすぎてしまったらしく、程なくして眠気に誘われたので今日は早々に寝ることにする。
 目が覚めたのは日の傾く時分だった。
 一体何時間寝たのやら。
 半日寝てたかもしれない。

「起こしてくれてもよかったんだがな」

 サラに薬草茶を淹れてもらいながらそういうと

「今日はお館様を煩わせないことにしましょうと取り決めておりましたから」

 なんて言われては仕方ない。
 ついでだ、今日はこのままなにもしないで過ごすことにしよう。
 そう決意したのに二人の娘がそうはさせじとまとわりついてくる。
 仕方ないので晩ご飯まで子供たちと遊び倒そう。
 まずは準備運動がわりの追いかけっこ。
 次に休憩を兼ねて読み聞かせ。
 最後は二人にせがまれて冒険譚の主人公になりきるごっこ遊びだ。
 途中、変身魔法少女ごっこになったのはなぜだろうね?
 この世界では魔法少女はまったくの夢物語じゃないからなぁ。

「ご飯ですよ」

 と呼ばれるまでの数時間、たっぷり遊んだ二人は食事をしながら舟を漕ぐ。
 それぞれのベッドに寝かしつけるとキャラに

「お疲れ様でした」

 と、労われる。
 臨月のキャラはマリーンの額を優しく右手で撫でながら左手は大きなお腹に添えている。

「予定日はいつだ?」

「あと……」

 と、言いかけて硬直したかと思ったら

「始まりました」

「は?」

「陣痛です」

 マジか!?

「人を呼んでください」

「お、おぅ」

 こういう時男親は何度経験してもダメだな、おたおたしちゃって。
 とにかく急いで使用人とサラを呼ぶ。
 テキパキと準備にかかる女たちに尻を叩かれるようにコンドーが産婆を呼びにいく。
 僕があたふたとしている間に出産の準備は整っていき、夜が白み始めた頃元気な女の子が生まれた。
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