第183話 気は逸るけれど僕にはチートがない

文字数 2,518文字

 オグマリー町の視察は市街地を離れて対ズラカルト男爵の最前線である関門砦建設現場から始めた。
 ズラカルト領側から高さ五シャルの木製の柵、十シャルの木製の柵と物見櫓が建てられていて、その内側で石積みの関門が作られている。
 材料はオグマリー町にあった内城壁を解体した廃材や、同じく他の町で解体した城壁廃材だ。
 低い柵と高い柵の間、高い柵と関門までは百シャル間隔。
 周辺も含め広範囲で木が伐採されているから見晴らしがいい。
 なんのかんのでこと戦闘に関してはルビレルはできる男だ。
 関門の内側には三千人規模で兵を詰める場所を確保し、門前には白兵戦もできるように整備しているようだ。
 とはいえ、ここは山が迫っていてヒョウタンのくびれのように平地が(せば)まっている場所であり、大軍を動かす唯一の動線で、領内を流れるいく筋かの川の出口にも当たっている。

「計画では関門の前を堀にする予定です」

 関門完成後、幅五十シャルの堀を作って二箇所の柵を取っ払うのだという。
 しかし、自分で計画したこととはいえ、大事業じゃないか。
 いつ完成するんだこれ?

「完成予定は五年後です」

「三年くらいで完成できないかな?」

「領民の大半は農民です。農繁期には労働力がほとんど確保できませんからその分工期が遅れるのは想定しませんと」

 こればっかりはどうにもならないか。
 領内の人口が今の倍くらいいればなぁ。

「ズラカルト軍はどうだ?」

「冬の間は何度か一の柵を破られましたが、手榴弾(グレネード)のおかげで今の所二の柵を破られるまでには至っておりません」

 魔道具様様だな。
 ラバナルには感謝しきれない。

「春以降は敵も攻めてきませんので、今のうちに少しでも壁を高くしたいのですが……」

 こっちも農作業に人手を取られているから遅々として進まない……と。
 もどかしいね。
 ここに一点集中で労働力を集中させれば二、三年で完成するんだろうけど、(きた)る人口増大フェーズ(すでにベビーラッシュは始まっている)とグリフ族との交易に備えた農産物増産の方が優先度高いんだよねぇ。
 土地を拓いただけじゃ作物は育たないしさ。
 はぁ、チートとは言わないからせめて重機が欲しいなぁ。

(この世界じゃそれもうチートじゃない)

 リリムに言われてそれもそうかと思った僕は、関門建設現場を離れて町に戻る。
 翌日は町の中を視察。
 ここにはルビンスの嫁になったクレタがいるからか衛生環境がかなり改善されていた。
 なにせ日々石鹸の改良に取り組んでいるらしくて、最近じゃ内城壁跡地の一角に石鹸工場(といっても工場制手工業(マニュファクチュア)の工場)を作った商人がいるらしい。
 庶民向け石鹸がセザン村の特産品ならオグマリー産石鹸は金持ち向けだ。
 なんでも花の香りがする石鹸がお嬢さんたちに人気なんだという。
 香りがいいので手洗い習慣だけでなく洗濯も習慣化し始めているらしい。
 おかげで町場に暮らす一般庶民にもセザン村産石鹸が手に入りやすくなったのだという。

「研究開発に金がかかるのは理解してるけど、商人ばかり優遇しないでたまにはセザン村にも改良した石鹸の製造法教えてやれよ」

「ああ、そうね。衛生環境改善のことばっかり考えていて研究を手伝ってくれるありがたいパトロンくらいに考えていたけど、それで製造を独占されてちゃダメよね。セザン村の人たちに申し訳ないし。いいのができたら過去の製造方法は広く公開してもいいわね」

「おいおい、そこら辺全然考えてなかったのかよ。次からの交渉には文官の一人二人連れてけよ。一筆書いといてやるから」

「じゃあ、次は旦那を……」

「ルビンスじゃダメ! ちゃんと交渉できる人選して連れてけ」

 ボンボン気質のルビンスじゃあ海千山千の商人に敵うわけないでしょうが。

「そうする」

 騎士の妻に母に町医者に研究者に厚生大臣。
 転生者だから負担が多くて申し訳ないけど、体壊さないように気をつけるようにと少々のお節介を焼いて下町を通り、貧民街へ。
 ルビレルの施策が一定の効果を発揮しているとはいえ、それは一般庶民までの対策であり一年やそこらで貧民街がなくなるわけもなく、町の一角に衛生環境劣悪な場所が厳然と存在する。
 貧民街への案内はルビンスだ。

「お館様の命令通り、未成年への教育は貧民街にも分け隔てなく施しておりますが……」

「日々の生活のために学校に通えないものがいる?」

「残念ながら」

「貧民街の者も労役賦役が課されているのだろう?」

「はい」

「であれば報酬が支払われているのではないのか?」

「それがことは単純ではないのです」

 ルビンスの説明によれば、丈夫な者は関門建設に駆り出されるなどして報酬を手にし、貧困から脱するものも出始めているようなのだが、体の弱い者はそうもいかないのだということだ。
 あー、まぁ、そうだよな。
 体が弱くても頭が冴えていればというのは前世の話。
 この文明水準じゃ下層に沈んでいると学がない。
 文盲ってだけじゃなく簡単な計算もできないことがある。
 かくいう僕も前世の記憶を取り戻すまでは指折り数えての足し算引き算がやっとだった。
 田舎の経済は物々交換で回っていたからそれでもなんとかなってたんだけど。
 転生知識人としては児童福祉は無視できず、教育政策とともに未成年の労役徴集をしないことにしているので、親が働けないとどうしても子供にしわ寄せが行くんだ。

「だが、学校は午前中のみ。午後からは農業労働……」

 と、言いかけてハタと思い至る。
 それは農村集落の子供の場合だ。
 農繁期の援農はするだろうが、町場の子供達の普段の労働が畑仕事な訳がない。
 金で解決できる部分は大きいが、そんな予算は作れない。
 目の前を力なく通り過ぎる子供を見ながら、僕はこの中にも確実に才能のある子がいるはずだと思う。
 その才能を見つけてやれないのはもったいないし、才能を発揮してもらえないのは損失だ。

「なんとかしてやりたいけどな……」

 人にはできることとできないことがある。
 身の丈からほんのちょっとの背伸び。
 取りこぼしをすべて拾い上げることは無理だとして、少しでもこぼれる分を少なくする。
 それが今の僕の目標だ。

 や、生き続けるのが神様から与えられた使命だけどさ。
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