第235話 お食事中は読まないでください

文字数 2,487文字

 追いついてきた騎兵だけをまとめて捕虜とともに進発した僕は日暮れどきに町に到着した。
 リゼルドが討ち取られたと知った町方はなんの抵抗も示さず開城する。
 まぁ、ほぼ全軍出撃してきたみたいなので抵抗ったってどれほどのものができるかたかが知れてるだろう。
 ある意味賢明な判断だ。
 入城するとまず感じたのは「臭い」と言うことだ。
 鉱山の町だとは聞いていた。
 イメージとして決して清潔な場所だとは想像してなかったけど、これは予想以上に衛生面に問題があるぞ。

「イラード、全軍外で待機させろ。後続が来るまで不便を強いることになるが仕方がない。オギンは僕の護衛、トビーは町の様子を詳しく探れ」

 オギンと後二人、隊長クラスの騎士を護衛につけると、町の文官に先導されて庁舎に入る。
 庁舎も想定以上の汚さだった。
 なんなんだ。
 これは酷すぎないか?
 建物に入るのさえ躊躇するぞ。
 オグマリー町のスラムでさえここまでじゃなかったからな。
 ちょっと想像を絶する状況だぞ。
 僕は襟巻きに鼻まで顔を沈めて、なるべくどこにも触らないように注意しながら暫定町長を待つ。
 やがて現れたのはやたら華美な装飾で着飾ったでっぷりと肥えた男だった。
 服の装飾は華美だけど襟の汗染みなど全体的に清潔感がなく、やたらテラテラと脂ぎった顔にいやらしい笑みを貼り付けているのが嫌悪感をあおる。
 「どうぞお座りください」とすすめられたソファにも食べこぼしと思われる染みがあってとてもじゃないけど座る気になれない。
 リゼルドはどんな為政してしていたのか?

「事務方を任されていたソーリコミット・オニゾリーです。この町のことは軍事以外すべて任されておりましたので、なんなりとお申しつけください」

 すべて……ね。
 町の様子から考えて私服を肥やすこと以外なにもやってなかったんじゃないかと思うんだけど。
 さ、どこから手をつけよう。

「では、一両日の猶予を与える。この汚い庁舎を隅々まで清掃し、施政に必要な書類を揃えておけ」

「は?」

「以上だ。明後日の夕刻、また来る」

 それだけ言うと、僕は踵を返して庁舎を出てくる。
 そのまま門を出て野営陣地へ取って返す。
 鉱山の町の周りというだけあってというのか、町の周りは森の木々が伐採されていて広く開けている。
 森がハゲ散らかしているのはよろしくないね。
 植林なんて……あの町の人間がしそうにないのは考えるまでもない。
 オグマリー区でさえ、僕が指示を出さなければ大規模な植林なんてしていない。
 せいぜいが里山の雑木林を維持管理する程度だった。
 陣地にはガーブラ隊とザイーダ隊が到着していて宿営用の天幕がいくつか建てられていた。

「お早いお帰りで」

 と、チローが声をかけてくる。

「あまり長いこと居たくなかったのでな」

 隣りでオギンが小さく頷いたのを見逃す僕じゃあなかったぞ。
 僕は僕用に用意してくれていたらしい天幕に入って鎧を脱ぐ。

「後続部隊のチカマックから飛行手紙が届いておりました。それによると、やはり今日中の合流は無理だと言うことですでに野営に入っているとのことです」

「了解した。チロー、輜重隊のルダーに兵糧の追加を頼んでくれ」

「足りませんか?」

「この町に行政官を何人か残すことになるわけだが、それらのためだ」

「この町に食料がないと言うことですか?」

「町の人間が食べる分には問題ないのだろうが、大事な部下にあの町の食べ物を食べさせたくはない」

 そういうと、チローとイラードは察したようだ。
 なんていうか町全体が臭いのも糞尿を処理せず至る所に捨てているからだと思うし、掃除という概念がないんじゃないかというくらい清潔感のかけらもない「ザ・中世ヨーロッパ」っていう町なのよ(「窓から糞便」は実際には産業革命前後の大都市が一番酷かったらしいけど)。
 あんな衛生環境ではいつ疫病が流行するか気が気じゃない。
 好きであの町に暮らしている人間なんているのか? ってくらいひどいのだけれど、あそこで生まれ育っているとそれが普通と認識するんだろうし、案外好きだったりするんだろうか?
 いや、でもリゼルド軍はそこまで臭い印象なかったけどな。
 もっとも、僕らだって軍中にあって風呂で旅の垢を流したりできてるわけじゃないし、案外臭いから相対的に気にならなかったのかね?

「イラード、チロー。駐留する文官は数字に強いだけじゃなく公衆衛生と医療知識に明るいものを選んでくれ」

 そういう人間には劣悪にすぎて耐えられないくらい厳しい環境と言わざるを得ないけど、国際連()合難民()高等医()療弁務()官事務所()の弁務官だと思ってもらいたい。
 本人たちに言ってもなんのことやら判らないだろうけどね。
 次の日はチカマックたちの到着を待ちつつ別働隊からの報告を待つ。
 まだ、報告は来ていない。
 暇に任せて地図を拡げて確認してみれば、もう一つの占領町まで三日の距離でそこから先の町を襲う予定なのだから、敵軍が町を出て野戦になるのだとしても接敵は明日以降になるだろう。
 それに呼応するようにダイモンド隊がハングリー区の村からもう一つの町に奇襲をかける手筈になっている。
 今回はドゥナガール仲爵と計らっていないので、下手を打つとズラカリー区から援軍が来てしまう可能性がある。
 少々ヤキモキしているんだけど、大将を任せている面々を信じて僕は僕のすることをまっとうするだけだ。
 ヒロガリー区は平地が多く守るには少々難のある地区だけれど、大穀倉地帯としてのポテンシャルが魅力的な地域なので一気に奪いたい。

(みんな、成果を期待しているよ)

 と、森の向こうに沈みゆく夕日に向かって手を合わせる僕であった。
 一夜明けてトビーが戻ってきた。
 うん、ちょっと臭う。
 全身からあの町の匂いが滲み出ている。
 僕配下の忍者部隊の棟梁であり、トビーと夫婦であるオギンでさえちょっと距離を取ろうとしているんだから凄まじい。

「どうだった?」

 一応、領主としての威厳を保ち好感度を上げるために込み上がってくるものをぐっと飲み下し、極力普段通りを装って訊ねる。

「かなりひどいですね」

 そんなにか。
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