第160話 愛しさと懐かしさと発酵の強さと

文字数 2,303文字

 のどかな初夏の街道をホルスに騎乗して進む。
 春に種を蒔いた作物が青々としげっている。
 この辺りはバロ村より地味(ちみ)がいいようで生育も早いらしい。

「このままいけば今年は豊作になりそうですね」

 と、オギンが声をかけてくる。

「ああ。ありがたい限りだ」

「収穫物はすべて領内で消費するのですか?」

 チローに訊かれて僕は「ふむ」と考えた。

「外貨獲得はしたい気もあるが隣接しているのがズラカルト領のみだからなぁ」

 資源に不自由はないけれど経済封鎖されているようなもんだな。
 そういや商人連中はどうしているんだ?

「領内流通だけを考えるなら供給過多ですよね」

「そうだな」

「グリフ族との交易が始まればフレイラで取引されるのでしたよね」

「オギンの言う通りだが、実際どうなんだ? グリフ族は狩りで獲った肉が主食なのだろう?」

「この間のグリフ族と話したら、農耕ができなくて食べられないだけで、フレイラは彼らの好物らしいですよ。自生のフレイラが見つかると争って食べるんだとか」

 そんな話までしていたのか、チロー。

「それでフレイラを基軸に取引したいと強硬に主張していたのか、なるほどなぁ」

 それは事前に教えて欲しかったな、チロー。
 グリフ族にとって若干不利な情報だからか、交渉の際はおくびにも出さなかったな。
 さすがだ。

「フレイラといえば」

 と、ガーブラが話に入ってきた。

「ルダーがなにか新しい料理を考えているとか」

「あ、ワシも聞いてます、それ。なんでも名前が先に決まっているとか」

 あん?
 できた料理に名前をつけるんじゃないのか? 普通。

「なんでも『スパゲッティ』と『パン』だそうです」

 あ、納得。
 そりゃあ先に名前が決まってるわ。

「スパゲッティの方は話を聞く限りパッタを細長くしたようなものっぽいですけどね」

 それこそ名前を聞く限りパスタ由来っぽいが、なにせ田舎で二十年過ごしていると食の種類が貧困でなぁ。

「パッタってどんなものなんだ?」

「水と塩でよく練ったものを食べやすい大きさにして茹でて食べるんですよ。腹持ちいいんですけど、ロチャティムと違って手間がかかるんで貴族の食べ物ですね」

 さすがは元貴族家の馬丁、詳しいな。

 情報を整理するとこの世界には異世界由来のパッタ(パスタ)が存在していると。
 推察するに生パスタだろう。
 それをルダーが前世でお馴染みの乾燥パスタにしようと試行錯誤しているってことだろうな。
 乾燥パスタは保存食としてうってつけだ
 イタリアでパスタが広く庶民にも食べられるようになったのは十三世紀、棒状の乾燥パスタは十五世紀に作られ始めたらしいけどこの世界、異世界由来の発明発見を進化させる気ほんと0よね。
 ちなみにパスタがイタリアの国民食になるのは十六世紀の大航海時代にトマトが食材として持ち込まれ、イタリアで本格的に栽培されるようになってから。

 ……この世界にもトマトっぽい食材があるといいな。

「スパゲッティはそこそこ形になってるって話ですが、パンってやつがなかなか難しいそうですぜ」

「あー、それはあたいも聞いてます。なんでも理想はふわふわ食感のロチャティムなんだそうですが、膨らまないんだとか」

 原因ははっきりしてる。
 「発酵」だ。
 適した酵母が見つからないんだろう。
 そもそもこの世界に食材として利用できる酵母は存在しているのか?
 いや、酒ができるんだからそれは杞憂か。
 それにしてもこの世界にパンが存在していないのは大いに謎だよな。
 前世じゃ紀元前から発酵パンは作られている。
 パンの原型はは古代メソポタミアですでに食べられていたというし、古代エジプトで発酵技術が確立している。
 もちろんこの世界にも無発酵パンであるロチャティムは存在しているんだけど、それにしたってこの世界、文明の進化について保守的ってレベルじゃないな。
 うまいもん食いたいと思わないんだろうか?

(な? リリム)

(なにが「な?」なのよ)

(あー、まぁそうだよね)

 一つ心当たりがあるとすればこの世界、食糧事情がかなり悪い。
 発酵なんてプロセスを踏めるほどパン(だね)が残るような環境がなかった可能性がある。
 あるいは雑菌の方が優位ですぐに腐敗してしまうのか?
 酒と違って食材として取りきれなかった果実がそのまま発酵して酒になるなんて偶然もなかなか望めないんだよな、パンに関していえば。
 フレイラはあくまでもフレイラ、粉にしてパン種にして初めて発酵が始まるんだろ、知らんけど。
 そして、どうでもいいけどルダーはなんでスパゲッティに拘ったのだろう?
 元日本人としては「うどんだろ?」と、声を大にして言いたい。
 そんな思いを胸に秘め、のんびり視察の街道旅を続ける。
 平和だなぁ。
 ずっとこんなふうに暮らしていければそりゃあ幸せだよねぇ。
 なんて思ってたらバチが当たったのか、旧第三先の村に入ったあたりからオグマリーの館に到着するまで雨に祟られてしまう。
 そのせいなのか、そこから三日、熱を出して寝込むことになってしまった。
 たまたま町を通ったというルダーが二日目に見舞いに来てくれたんだけど、開口一番

「夏風邪はバカがひくって言われなかったか?」

 って。
 ああ、前世でだろ? 言われたよ「夏風邪引くやつはバカだ」って。

「ま、これも天の配剤だと思ってしっかり休むんだな。なんか欲しいものあるか?」

「うどん」

「は?」

「スパゲッティ作ってんだろ? なんでうどんじゃないんだよ」

「そりゃお前、味噌も醤油もないのにうどん作っても旨くもなんともないからに決まってるだろ」

 くそう、ここでも発酵が邪魔をするのか!

(発酵もそうだけど、一番の問題は大豆じゃないの?)

 それかぁ!!
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