第266話 好事不出門、悪事行千里。
文字数 2,369文字
朝、身支度を済ませて宿を出る。
目の前が乗合ホルス車の駅になっているのは、指定宿の特権だろう。
次の町へのホルス車は早朝、日も明けきらぬうちの出発だと昨日確認している。
そりゃあ、駅のすぐそばに宿がある方が旅人にとっても便利だろう。
今日のホルス車も客車は二連結で、僕らは後車に乗ることになった。
乗合ホルス車を利用できるのは安くない料金を払える客ばかり。
歩き旅の旅人と違って重い荷物は客車の屋根に乗せられるので、それなりの荷物を持っている客が多い。
彼らの荷物を、護衛兼任の乗務員がまだ暗い中協力して屋根に乗せ、落ちないようにロープで器用に縛り付けている。
僕はといえば、旅慣れているスケさんカクさんと、歩き旅の途中で旅についてくることになったハッチという道連れもあってとても軽装だ。
持ち物といえば大きめの背負い袋と護身用に懐剣を腰に刺しているくらい。
ホルス車旅ということで雨具も用意していない。
もう一人の旅連れ、ヤッチシは何食わぬ顔で前車に乗り込むのが見えた。
今日の旅程は旧村三ヶ所を経由して順調なら夕暮れ時の到着だそうだ。
出発から一時間ほどすると、すっかり日ものぼって客車の窓からは広がる草原を見ることができるようになった。
ヒロガリー区は山間に存在する領地の中にあって起伏の少ない耕作適地である。
鬱蒼たる森の中を切り開いたオグマリー区とは風景が違う。
「お前さん、ヒロガリー区は初めてかい?」
と、向かい合った席に座る四十絡みの男が声をかけてきた。
昨日も似たようなやりとりがあった気がするなぁ。
「ええ、まぁ」
と、ここでも言葉を濁しておく。
「どこから来なすった」
「オグマリー区です」
「そんなこたぁ判ってるよ。どこの町からだって聞いてんのさ」
あ、ああ。
「申し遅れました。私、ゼニナルの反物問屋の跡取り息子で、えぇ……ヒョーゴと申します。これらは旅の供」
と、並んで座っている三人を紹介する。
「へぇ、若旦那さんでしたか。ああ、これは失礼。ワタシはズラッカリー町で材木商を営んでおりますキトリ屋ゼンエッチと申します」
「材木商ですか」
ズラッカリー町は旧領都の現在の町名だ。
旧御用商人の名前と顔は一応知っている。
何軒かはこの二年の間に身上潰したと報告を受けているから、入れ替わるように台頭してきた新興商人なんだろう。
「ええ。まぁ、ご領主様が新しくなってから始めた商売なんですが、ありがたいことに景気がよくてね」
「では、オグマリー区に買付の帰りですか?」
と、カクさんが訊ねると
「いやいや、木材需要の高いオグマリー区で買い付けるより、街道整備で大量に伐採したことで木材がだぶついてるヒロガリー区の方が、値段はずっと安いんですよ?」
ほーほー。
「木材みたいな商材は、運ぶのも大変なんじゃないんですか?」
「さすがは商家の若旦那、畑違いでも目の付け所は悪くない。うちのバカ息子もそれっくらい目端が効いてくれると安心して跡を継がせられるんですがねぇ……おっと、話がそれました。そうなんですよ、丸太のまま運ぶのはちょっと現実的じゃない。そこで商売を拡げようと思いましてね現地で加工した商品を……おっと、同業者に対して少々話しすぎましたな」
うん、確かに話し過ぎだな。
大方の予想がついたよ。
しかし、なるほど、世の中にはまだまだ才能は眠っているものだ。
ズラッカリー町のキトリ屋ゼンエッチだったな。
覚えておこう。
それからしばらくホルス車に揺られ旧村二カ所の駅で客の乗り降りがあって数人入れ替わった頃、客車の後ろの方で新しい客と町からの客の会話を耳が拾った。
「おい、お前さん、難関門での一件、知ってるかい?」
それは居合わせた客すべての耳目を集めたようだ。
「知ってる知ってる。もう、ここいら辺まで噂でもちきりさ。なんでも宿屋乗っ取りを画策した悪徳商人が砦の役人と結託して宿場を牛耳ろうとしていたって話だろ?」
「おうよ。それをご領主様が知って見事悪事を暴き、宿場を救ったって話だ」
あれから十日と経っていないってのにこんなところまで噂が広まってるのかい?
噂は千里を走るっていうけど、ほんとだね。
(なんか違くない?)
(え? なんか違ってたっけ?)
(千里を走るのは悪事じゃなかった?)
(……お、おぅ。「好事は門を出でず、悪事は千里を行く」だったか)
相変わらず、前世知識に明るい妖精だこと。
たしか中国北宋時代の故事だぞ。
「しかし、今度のご領主様は立派だねぇ。しがない宿一つを救って差し上げるってんだからさ」
と、前の方から声が上がると、その一つ後ろの席の中年夫婦者のおかみさんが言う。
「ご立派かどうかは判りませんよ。その宿には一人娘がいて、その娘欲しさに宿を救ったって言うじゃありませんか」
なに!?
どっから出てきた、その噂。
「捕まった役人ってのもその娘を狙っていたんだってな。それで、悪徳商人に肩入れしてたって話だぜ」
あの娘は確かに気立てがよくてよく働くいい子だけれど、いかんせん好みの顔立ちじゃあない。
それに、あの日あの宿で初めて会った娘なんだから横恋慕とかする訳ないだろうが!
「それで腹いせに有る事無い事罪をおっ被せて、遠くに飛ばしちまったのか」
どうしてそんな話になってるんだ!?
(くくくくくっ)
(リリムぅ!?)
(確かに「悪事千里を走る」ね)
(そう言う問題じゃないだろ!)
「若旦那」
客車内があることないこと噂話で大きな声が飛び交う中、スケさんが顔を近づけてきた。
「どうやら、お館様を陥れるために悪い噂を流している輩がいるようですな」
なるほど。そう言う訳か。
「好事は門を出でず」本当のことはなかなか外に伝わらないのを幸いと、悪い噂を含めて吹聴している奴がいるってことだな。
町に着いたら忍者部隊に繋ぎを取るか。
目の前が乗合ホルス車の駅になっているのは、指定宿の特権だろう。
次の町へのホルス車は早朝、日も明けきらぬうちの出発だと昨日確認している。
そりゃあ、駅のすぐそばに宿がある方が旅人にとっても便利だろう。
今日のホルス車も客車は二連結で、僕らは後車に乗ることになった。
乗合ホルス車を利用できるのは安くない料金を払える客ばかり。
歩き旅の旅人と違って重い荷物は客車の屋根に乗せられるので、それなりの荷物を持っている客が多い。
彼らの荷物を、護衛兼任の乗務員がまだ暗い中協力して屋根に乗せ、落ちないようにロープで器用に縛り付けている。
僕はといえば、旅慣れているスケさんカクさんと、歩き旅の途中で旅についてくることになったハッチという道連れもあってとても軽装だ。
持ち物といえば大きめの背負い袋と護身用に懐剣を腰に刺しているくらい。
ホルス車旅ということで雨具も用意していない。
もう一人の旅連れ、ヤッチシは何食わぬ顔で前車に乗り込むのが見えた。
今日の旅程は旧村三ヶ所を経由して順調なら夕暮れ時の到着だそうだ。
出発から一時間ほどすると、すっかり日ものぼって客車の窓からは広がる草原を見ることができるようになった。
ヒロガリー区は山間に存在する領地の中にあって起伏の少ない耕作適地である。
鬱蒼たる森の中を切り開いたオグマリー区とは風景が違う。
「お前さん、ヒロガリー区は初めてかい?」
と、向かい合った席に座る四十絡みの男が声をかけてきた。
昨日も似たようなやりとりがあった気がするなぁ。
「ええ、まぁ」
と、ここでも言葉を濁しておく。
「どこから来なすった」
「オグマリー区です」
「そんなこたぁ判ってるよ。どこの町からだって聞いてんのさ」
あ、ああ。
「申し遅れました。私、ゼニナルの反物問屋の跡取り息子で、えぇ……ヒョーゴと申します。これらは旅の供」
と、並んで座っている三人を紹介する。
「へぇ、若旦那さんでしたか。ああ、これは失礼。ワタシはズラッカリー町で材木商を営んでおりますキトリ屋ゼンエッチと申します」
「材木商ですか」
ズラッカリー町は旧領都の現在の町名だ。
旧御用商人の名前と顔は一応知っている。
何軒かはこの二年の間に身上潰したと報告を受けているから、入れ替わるように台頭してきた新興商人なんだろう。
「ええ。まぁ、ご領主様が新しくなってから始めた商売なんですが、ありがたいことに景気がよくてね」
「では、オグマリー区に買付の帰りですか?」
と、カクさんが訊ねると
「いやいや、木材需要の高いオグマリー区で買い付けるより、街道整備で大量に伐採したことで木材がだぶついてるヒロガリー区の方が、値段はずっと安いんですよ?」
ほーほー。
「木材みたいな商材は、運ぶのも大変なんじゃないんですか?」
「さすがは商家の若旦那、畑違いでも目の付け所は悪くない。うちのバカ息子もそれっくらい目端が効いてくれると安心して跡を継がせられるんですがねぇ……おっと、話がそれました。そうなんですよ、丸太のまま運ぶのはちょっと現実的じゃない。そこで商売を拡げようと思いましてね現地で加工した商品を……おっと、同業者に対して少々話しすぎましたな」
うん、確かに話し過ぎだな。
大方の予想がついたよ。
しかし、なるほど、世の中にはまだまだ才能は眠っているものだ。
ズラッカリー町のキトリ屋ゼンエッチだったな。
覚えておこう。
それからしばらくホルス車に揺られ旧村二カ所の駅で客の乗り降りがあって数人入れ替わった頃、客車の後ろの方で新しい客と町からの客の会話を耳が拾った。
「おい、お前さん、難関門での一件、知ってるかい?」
それは居合わせた客すべての耳目を集めたようだ。
「知ってる知ってる。もう、ここいら辺まで噂でもちきりさ。なんでも宿屋乗っ取りを画策した悪徳商人が砦の役人と結託して宿場を牛耳ろうとしていたって話だろ?」
「おうよ。それをご領主様が知って見事悪事を暴き、宿場を救ったって話だ」
あれから十日と経っていないってのにこんなところまで噂が広まってるのかい?
噂は千里を走るっていうけど、ほんとだね。
(なんか違くない?)
(え? なんか違ってたっけ?)
(千里を走るのは悪事じゃなかった?)
(……お、おぅ。「好事は門を出でず、悪事は千里を行く」だったか)
相変わらず、前世知識に明るい妖精だこと。
たしか中国北宋時代の故事だぞ。
「しかし、今度のご領主様は立派だねぇ。しがない宿一つを救って差し上げるってんだからさ」
と、前の方から声が上がると、その一つ後ろの席の中年夫婦者のおかみさんが言う。
「ご立派かどうかは判りませんよ。その宿には一人娘がいて、その娘欲しさに宿を救ったって言うじゃありませんか」
なに!?
どっから出てきた、その噂。
「捕まった役人ってのもその娘を狙っていたんだってな。それで、悪徳商人に肩入れしてたって話だぜ」
あの娘は確かに気立てがよくてよく働くいい子だけれど、いかんせん好みの顔立ちじゃあない。
それに、あの日あの宿で初めて会った娘なんだから横恋慕とかする訳ないだろうが!
「それで腹いせに有る事無い事罪をおっ被せて、遠くに飛ばしちまったのか」
どうしてそんな話になってるんだ!?
(くくくくくっ)
(リリムぅ!?)
(確かに「悪事千里を走る」ね)
(そう言う問題じゃないだろ!)
「若旦那」
客車内があることないこと噂話で大きな声が飛び交う中、スケさんが顔を近づけてきた。
「どうやら、お館様を陥れるために悪い噂を流している輩がいるようですな」
なるほど。そう言う訳か。
「好事は門を出でず」本当のことはなかなか外に伝わらないのを幸いと、悪い噂を含めて吹聴している奴がいるってことだな。
町に着いたら忍者部隊に繋ぎを取るか。