第292話 煽動

文字数 2,826文字

 朝靄けむる夜明け前、まだ薄暗い中を敵軍が寄せてくる。
 敵軍襲来の早鐘が鳴り城壁の上に弓兵が立つとパラパラと矢を射かける。
 盾を構えて前進してくる敵軍をひきつけることもなく守備兵は散発的に手榴弾を投げ出した。
 投擲兵器である手榴弾は威力はあるが弓よりだいぶん射程が短い。
 本来なら十分ひきつけて敵兵の中に投げ込むのが定石なんたけど指揮を取るチローが意図的にやらせていることだ。
 敵は手榴弾の飛来で一旦停止し、弓の一斉射をかまして再び前進を開始する。
 城壁に降り注ぐ矢の雨に盾を構えている間に敵が少しずつ前進してくるのだけれど、一斉射は次の斉射までに時間があるため間隙の縫って手榴弾を投げる。
 午前中はひたすらこれの繰り返しだった。
 昨日お気楽に「手榴弾で弾幕を張れば」とか言った自分を叱りたい。
 弓の方がずっと射程が長いのでどうしても手数を減らされる。
 もちろん守備隊も弓で応戦するわけだけど、なにせ揃えている弓兵の数が違う。
 城壁の上から撃つことで有効射程距離は敵より長くても狙撃できる距離では撃ち合っていないので敵弓兵を撃ち減らすのは容易じゃあない。
 じゃあ迫り来る歩兵に狙いを定めればいいかと言えば、そうとばかりも言えない。
 さまざま思惑のもと一定の間隔で矢が降ってくるのを防ぐため、少なくとも少しでも矢が放たれる間隔を遅らせるために弓兵は敵弓兵を狙っているのだ。
 近づく歩兵へは手榴弾をお見舞いすることで接近を防いでいる。
 昼になり、敵は一旦弓の射程外まで退いた。
 野戦であれば一度合戦が始まれば勝負がつくか日没まで戦い続けることもあるけれど、攻城戦は常に攻め手に主導権があるのでいつでも態勢を整えることができる。

「これはなかなかどうして精神力を削られる。守備兵は良くぞこれまで守り耐えてくれたものだ」

「お館様にそう言っていただけたと知れば守備兵どもも喜びましょう」

 敵が退いたので休憩のために司令塔から降りてきたチローが答える。

「午後も同じ手で来ると思うか?」

「さぁ、判りかねますが矢も手榴弾もまだ相当数残っていると警戒してくれていると思います。ワシならもう少し撃ち合いをして減らすことを考えますな。おそらく午後は弾ける球も使ってくるでしょう」

 チローの読み通り、午後からは敵も戦術を変えてきた。
 と言っても大きく変わるわけじゃない。
 弓兵による弾幕で歩兵、工兵を前進させてくるのは変わらない。
 問題は歩兵と一緒に前進してきた工兵だ。
 彼らは人の背丈ほどの滑り台のようなものを三台設置すると、その上からボーリング玉のような弾ける球を転がしてくる。
 そういえば、ドゥナガール仲爵が「季爵軍から転がってきて弾ける」と言っていた。
 さすがに前線に出ていないのでどのように弾けるのかは確認できないけど、結構な重量物が城壁にぶつかる音が砦の中まで聞こえてくる。
 魔道具だからか連発はできないようだけど、なかなかの破壊力のようだ。
 こりゃあ城壁が持たないと守備隊が不安がっていたのがよく判る。
 とはいえ、こちらも無策ではない。
 定期的に降ってくる矢の雨をかいくぐって手榴弾を投げ込み、時間を稼ぎつつ火矢を放つ。
 弾ける球の発射台は簡単には燃えてくれなかったようだけど、玉を転がす斜面に矢が突き立つことでも使用の妨害になるし、何度も火矢を射かけられたことでやがて燃え出した。
 ただ、火矢を使ったことで矢の弾幕が一時的に薄くなり、攻撃圧力が高まってしまった。
 そのため守備隊は城壁に肉薄してきた歩兵に対して手榴弾を雨のように降らせる。
 ま、当初の予定通りといえば予定通りだ。
 迫り来る歩兵を退けた後もチローは無闇に手榴弾を使い続けて敵を寄せ付けなかった。
 やがて日が傾き、空の色が変わり始める頃を見計らって手榴弾を投げる量を減らしていく。
 夕陽が山の稜線に沈み始める頃にはすっかり投げることもなくなった。

「敵の歩兵隊長らしき男がニヤリと笑って戻って行きましたよ」

 と、城壁の上で戦況を観察していたルビンスが報告してきたのは、夕食後の軍議の席だった。

「あと二時間ほど日が沈むのが遅ければ城壁に取りついていたものをとでも言いたげでしたな」

 同じく、明日のために前線で敵軍の動きを観察していたバンバも愉快そうに話してくる。

「しかし、やはり周辺領主に戦を仕掛け続けているだけあって戦慣れしていますな。これはオルバックJr《ジュニア》.のもとに助言を与える何者かがついているに違いありませんぞ」

 気を引き締めるためなのだろう、オクサが渋い顔でそう呟いた。

「Jr.殿も堪え性を身につけたものと見えますな」

「確かに、オグマリー区にいた頃は煽るまでもなく無策に攻め立てておりましたな」

 と、そのせいで僕の軍門に降ることになったルビンスが遠い目をする。

「明日の戦、なにか一つ仕掛けないとこちらの思惑通りにはいかないかもしれませんね」

 うぅむ、こちらから討って出た際に逃げられてしまう可能性があるってことか?
 今後の進行作戦のためには今目の前にいる八百という軍勢は出来る限りここで潰しておきたいよなぁ。

「人の性根はそう変わるものじゃありませんからね。ちょっと心のトゲに刺激を与えれば、きっと性根を現しますよ」

「チロー、なにか策があるのだな?」

「はい、お館様。やつの自尊心を刺激する最も簡単で効果的な方法が」

 おお、そんな妙案があるのか!

 なんて思った僕は浅はかでした。

 翌日、満を辞して夜明けと共に姿を現した敵軍を前にして城壁に一人立つ勇者。
 その名はジャン・ロイ。
 そう、僕だよ。
 そして、僕は拡声(ラウド)の魔法を使って(だい)(おん)(じょう)で呼びかける。

「やあやあ我こそはズラカルト領の領主ジャン・ロイなり」

 から始めてアシックサルの悪逆非道を口をきわめて罵り、いかにこちらに正義があるかを主張する。
 次に正義の側である我らが反転攻勢を開始するぞと宣言し、アシックサル家を打ち滅ぼすまで一気に進軍することを勇ましい言葉を並べ立てて語ることで味方を鼓舞。
 その後ついでと見せかけて敵軍の大将オルバックJr.の父殺しに至る経緯を誇張して「そんな大将に命を預けてよいのか?」と敵の兵卒に語りかける。
 そして、トドメの煽り文句だ。

「おい聞いてるかJr.今まではしょぼい愚連隊みたいな奴らを引き連れて遊びに来るのをかまって欲しいのかと思って仕方なく相手をしてやってたけど、()フレイ追い払うのもいい加減めんどくさくなってきたんでここらで引導渡してやるから、地獄で親父さんに『不肖の息子ですいません』ってちゃんと謝るんだぞ」

 ちなみにフレイってのは衛生環境のよくないとこには大量に湧く地球での蝿みたいな虫で、目の前飛ばれたら邪魔で邪魔で仕方ないやつだ。

「百姓風情がぁ!!

 と、拡声魔法も使わずにここまで届く絶叫を轟かせ、止める側近振り払ってJr.が単騎突撃してくる。
 最後まで煽り耐性のないやつだぜ、まったく。
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