第331話 化学を近世に
文字数 2,391文字
雪解けが進み畑を耕し始める頃、バロ村に小さな小屋が二棟建てられた。
一棟は白い布、一棟は植物紙を利用した温室である。
二十一世紀の日本ではほとんどがビニールハウスを利用していた促成栽培だけれども、この世界にはまだビニールがない。
ルダーによれば、日本では外国からガラス製温室技術が伝導されるより数百年昔から油紙を覆いに利用していたそうだ。
もっとも、冬に収穫できるほどの性能はなく、露地物より早く収穫できるようになる程度のものだったとか。
本当はガラス張りの温室を作りたかったのだけど、肝心のガラスの入手が困難で、春に間に合わなかった。
ガラスの歴史はこの世界でも古く、王侯貴族は食器や天窓、ランプなどに利用している。
しかし、なにが理由なのかは知らないけれど、一般庶民に普及するまでには至っていない。
領内では残念ながら原材料が不足していて短期間で温室を作れるほど量産することが不可能なのだ。
ちなみに、僕が一人でサバイバルしていた時に利用していた黒曜石は天然ガラスに分類される。
だから叩けば簡単に割れるし、とても鋭利な断面になる。
それはさておき、布や紙の温室では真冬の作物栽培は不可能に近い。
現在の化学技術ではビニールは不可能なのでなんとしても秋までに温室に必要な量のガラス板を揃えることが大事になる。
ジョー以下、商人たちにもなるべく透明度の高いガラス板を集めてくるようにと命を下しているのだが、集まるだろうか?
ジョーは
「前世知識を利用してガラスの産業革命起こしたほうが早いんじゃないか?」
と言っていたが、残念ながらガラスの製造方法については僕の知識 に存在していない。
しかし、ガラスの知識は別のところからもたらされた。
情報をもたらしてくれたのはクレタだった。
彼女によれば、珪砂 ・ソーダ灰・石灰石で作られるのだという。
珪砂は砂をかき集めればいいし、石灰はカルシウムのことだろ? 石灰石ってことは生石灰だから酸化カルシウムか。
あと、ソーダ灰って炭酸ナトリウムのことだよな。
「もっと早く言ってくれればよかったのに」
そうだね。
「この手の知識を持っているとは思わなかったよ」
「なに言ってんのよ。私の前世は医者よ医療器具について調べてるかもくらいは思いついてもよかったんじゃない? もっとも、ガラスの知識は趣味の七宝焼きとガラス細工によるものだけど」
おお、なんていうかこう……昭和の女性らしい趣味だった。
「温室用のガラスってことはできるだけ透明な方がいいのよね。ソーダ灰を木炭と酸化マンガンにすると無色透明になるわね」
もっとも、知識はもたらされたものの学生時代化学方面が苦手だったせいか、授業レベルの知識ではどうやって材料を精製すればいいのか判らない。
酸化マンガンとか、どうやって用意すれば良いものやら。
「任せて。伊達に医学部で学んできたわけじゃないのよ。前世では覚えきれなかったあれやこれだって、転生後の今は全部思い出せるんだから」
「医学部ってそんなことも勉強するのか?」
「とある教授に薬の成分とか分子レベルで徹底的に覚えさせられたのよ」
「僕はせいぜい水平リーベ僕の船……レベルで挫折したからなぁ」
「早っ」
なんか、グサってくる。
「いいわ。文系のアンミリーヤじゃ化学分野は任せられないからね。私が教科書を作ってあげる」
「これ以上仕事増やして、前世みたいに過労死するのはやめてもらいたいのだけど」
「大丈夫よ。ガブリエルもカルホも大臣の仕事を任せられるようになってきたし、前世の血が騒ぐの。趣味の七宝焼きがまた再開できるかもしれないんでしょ?」
「技術を確立できれば新たな産業になるかもな」
「ホーロー鍋とか? いいわね」
「じゃあ、魔法使いを中心に二十人くらい学生を募るからよろしくな、クレタ教授」
「任せなさい。……ってなんで魔法使い?」
「ラバナル曰く『魔法は理である。理屈が通らねば実現できん』だそうだ。普段から理詰めの思考ができる魔法使いなら理解も早かろう」
「なるほどね。じゃあ、チャールズはその中に入れてね。彼以上に優秀な魔法使いはいないから」
「ラバナルは?」
「苦手なの」
うはっ、それは仕方ない。
あ、そうだ。
思い立ったが吉日とは、前世の諺 だな。
僕はその日のうちにアンミリーヤを訪う。
「突然のご来訪、いかがなさいました?」
「ああ、学校制度の改革案を持ってきた」
「嗚呼、せっかく仕事が一段落 ついて自分の研究を再開できるようになったというのに……」
「そういうな。決して悪いようにはしないぞ、アンミリーヤ」
僕は義務教育学校、高等学校、大学制度を提案した。
読み書きを中心に税と貨幣経済の仕組みを教えつつ算盤 (算術)と度 量 衡 (計算単位)を五歳から十歳までに教えることを初等教育、十一歳から成人年齢の十五歳までは農業知識と兵役訓練を(魔法適性のあるものは魔法学科も)必修に、職業体験を選択科目にして中等教育として必ず教育を受けさせるようにという法律「義務教育」を施行している。
これに学習意欲が旺盛な生徒に更なる教育を受けてもらうための教育機関、高等学校とその中から特に優秀な学生を選抜して今回の化学実験など研究開発にその才能を発揮してもらうための大学を新設しようというのだ。
「それができると、どんないいことがありますか?」
僕はアンミリーヤのやる気を最大限に発揮してもらうために詐欺師まがいの笑顔を浮かべてみせる。
「研究機関を作るんだぞ。思う存分文学の研究をすればいい」
(悪党ね。大臣である以上、思う存分なんて不可能じゃない)
というリリムの声は無視だ無視。
「思う存分……判りました。不肖アンミリーヤ、全力を持って教育制度改革に邁進いたしましょう」
(ちょろいんだから……)
リリム、それを言うてやるなよ。
まぁ、リリムの声は転生者にしか聞こえないんだけどさ。
一棟は白い布、一棟は植物紙を利用した温室である。
二十一世紀の日本ではほとんどがビニールハウスを利用していた促成栽培だけれども、この世界にはまだビニールがない。
ルダーによれば、日本では外国からガラス製温室技術が伝導されるより数百年昔から油紙を覆いに利用していたそうだ。
もっとも、冬に収穫できるほどの性能はなく、露地物より早く収穫できるようになる程度のものだったとか。
本当はガラス張りの温室を作りたかったのだけど、肝心のガラスの入手が困難で、春に間に合わなかった。
ガラスの歴史はこの世界でも古く、王侯貴族は食器や天窓、ランプなどに利用している。
しかし、なにが理由なのかは知らないけれど、一般庶民に普及するまでには至っていない。
領内では残念ながら原材料が不足していて短期間で温室を作れるほど量産することが不可能なのだ。
ちなみに、僕が一人でサバイバルしていた時に利用していた黒曜石は天然ガラスに分類される。
だから叩けば簡単に割れるし、とても鋭利な断面になる。
それはさておき、布や紙の温室では真冬の作物栽培は不可能に近い。
現在の化学技術ではビニールは不可能なのでなんとしても秋までに温室に必要な量のガラス板を揃えることが大事になる。
ジョー以下、商人たちにもなるべく透明度の高いガラス板を集めてくるようにと命を下しているのだが、集まるだろうか?
ジョーは
「前世知識を利用してガラスの産業革命起こしたほうが早いんじゃないか?」
と言っていたが、残念ながらガラスの製造方法については僕の
しかし、ガラスの知識は別のところからもたらされた。
情報をもたらしてくれたのはクレタだった。
彼女によれば、
珪砂は砂をかき集めればいいし、石灰はカルシウムのことだろ? 石灰石ってことは生石灰だから酸化カルシウムか。
あと、ソーダ灰って炭酸ナトリウムのことだよな。
「もっと早く言ってくれればよかったのに」
そうだね。
「この手の知識を持っているとは思わなかったよ」
「なに言ってんのよ。私の前世は医者よ医療器具について調べてるかもくらいは思いついてもよかったんじゃない? もっとも、ガラスの知識は趣味の七宝焼きとガラス細工によるものだけど」
おお、なんていうかこう……昭和の女性らしい趣味だった。
「温室用のガラスってことはできるだけ透明な方がいいのよね。ソーダ灰を木炭と酸化マンガンにすると無色透明になるわね」
もっとも、知識はもたらされたものの学生時代化学方面が苦手だったせいか、授業レベルの知識ではどうやって材料を精製すればいいのか判らない。
酸化マンガンとか、どうやって用意すれば良いものやら。
「任せて。伊達に医学部で学んできたわけじゃないのよ。前世では覚えきれなかったあれやこれだって、転生後の今は全部思い出せるんだから」
「医学部ってそんなことも勉強するのか?」
「とある教授に薬の成分とか分子レベルで徹底的に覚えさせられたのよ」
「僕はせいぜい水平リーベ僕の船……レベルで挫折したからなぁ」
「早っ」
なんか、グサってくる。
「いいわ。文系のアンミリーヤじゃ化学分野は任せられないからね。私が教科書を作ってあげる」
「これ以上仕事増やして、前世みたいに過労死するのはやめてもらいたいのだけど」
「大丈夫よ。ガブリエルもカルホも大臣の仕事を任せられるようになってきたし、前世の血が騒ぐの。趣味の七宝焼きがまた再開できるかもしれないんでしょ?」
「技術を確立できれば新たな産業になるかもな」
「ホーロー鍋とか? いいわね」
「じゃあ、魔法使いを中心に二十人くらい学生を募るからよろしくな、クレタ教授」
「任せなさい。……ってなんで魔法使い?」
「ラバナル曰く『魔法は理である。理屈が通らねば実現できん』だそうだ。普段から理詰めの思考ができる魔法使いなら理解も早かろう」
「なるほどね。じゃあ、チャールズはその中に入れてね。彼以上に優秀な魔法使いはいないから」
「ラバナルは?」
「苦手なの」
うはっ、それは仕方ない。
あ、そうだ。
思い立ったが吉日とは、前世の
僕はその日のうちにアンミリーヤを訪う。
「突然のご来訪、いかがなさいました?」
「ああ、学校制度の改革案を持ってきた」
「嗚呼、せっかく仕事が
「そういうな。決して悪いようにはしないぞ、アンミリーヤ」
僕は義務教育学校、高等学校、大学制度を提案した。
読み書きを中心に税と貨幣経済の仕組みを教えつつ
これに学習意欲が旺盛な生徒に更なる教育を受けてもらうための教育機関、高等学校とその中から特に優秀な学生を選抜して今回の化学実験など研究開発にその才能を発揮してもらうための大学を新設しようというのだ。
「それができると、どんないいことがありますか?」
僕はアンミリーヤのやる気を最大限に発揮してもらうために詐欺師まがいの笑顔を浮かべてみせる。
「研究機関を作るんだぞ。思う存分文学の研究をすればいい」
(悪党ね。大臣である以上、思う存分なんて不可能じゃない)
というリリムの声は無視だ無視。
「思う存分……判りました。不肖アンミリーヤ、全力を持って教育制度改革に邁進いたしましょう」
(ちょろいんだから……)
リリム、それを言うてやるなよ。
まぁ、リリムの声は転生者にしか聞こえないんだけどさ。