第282話 アナザー 二人の高森 その90

文字数 817文字

 看護師が血圧と体温を測ってカルテに記入し部屋から出ていった。
 見届けてから要は続きが気になって読書を再開した。
 他にやる事もないのだ。静かすぎる病室に本のページを繰る音だけが響く。

 幽王は秀麗で艶やかな褒姒(ほうじ)を溺愛した。
 どこに行くにも彼女を伴い正妻すら退けて彼女を愛した。

 その寵愛ぶりは目に余るものだった。やがて褒姒(ほうじ)は身ごもり子供を産んだ。
 名は伯服と言った。周王室書庫の記録官、伯陽はその事実を知り天に向かって呟いたと言う。
「禍成れり。周は滅びん」と。

 体は思ったより疲れていた。集中力が続かない。要は本を閉じて少しの間眠った。
 看護師に起こされた時は昼だった。出された昼食は普通のご飯に変わった。
 みそ汁と三品ついて、デザートが添えてあった。
 食事をしてから本の続きを読んだ。

 褒姒(ほうじ)は笑わない女(ひと)だった。
「褒姒よ、なぜ、笑ってはくれないのだ」
 帝にどのような言葉をかけられても彼女は笑わない。
 帝は彼女の笑みが見たかった。
 美しい彼女が笑ってくれたらどれだけ幸福な気分にひたれるだろうか。

 あらゆる手を尽くした。
 モノを売り歩く商隊を宮殿に呼んで西方の国々の珍しい話をさせたり。
 目の前に山ほどの美しい宝石を積み上げて興味を引こうと試みたり。
 旅芸人を招いて面白い演目を演じさせたり。
 彼女が生まれ育ったという土地の果物を取り寄せて見たり。

 ことごとく玉砕した。
 褒姒(ほうじ)は頑として笑わない、
 美しい音楽を奏でて舞姫を躍らせ夜ごと宴会を開こうと彼女は全く笑わないのだ。
 そして帝はついにしてはならぬ禁忌を犯す。

 要はぱたりと読んでいた本を閉じた。
 なぜ、この本を泉が置いて行ったのかわかるような気がした。
 病室の窓から見える景色に眼を転じる。
 傾きかけた陽光が差し込んできて夕暮れが近い事を知らせていた。
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