第179話 桜花恋歌 その37

文字数 737文字

『高森、お前だけで行け』

事が始まる前に高森要は佐藤仁からそう言い含められていた。

『佐藤先輩は?』
『現世に留まり、お前たちが帰るための道しるべになる』

だから、帰りは俺の気配を手繰れ。
そう言われた。当然だった。
異空間を行き来して元の場所に帰ってくるには道しるべが必要になる。
実質、桜の精霊と対峙するのは高森 要ただ一人。

要は贄のごとき(さら)われた角田先輩を助けるのは自分なのだと思い定めて
桜の精霊が作った結界の中に一歩足を踏み入れた。

目の前に開けた景色は田畑の広がる田舎の風景だった。

小鳥がさえずり。
遠くで幼い子供たちが童歌(わらべうた)を歌っている。

ぽつん、ぽつんと点在する農家を結ぶ道は、
土と小さな石ころに(おお)われていて決して広くない。

田んぼに眼をやれば、たくさんの燕が見事な燕返しを決めて水田の水を飲んでいた。
歩を進めるうちに数人の村の者と行き会った。

「主様は現世より人間を一人連れてきたそうじゃ」
「白い肌を持ち、艶めいた漆黒の髪、赤椿と同じ唇をした綺麗な人間だそうじゃ」
「それは、それは、おいしそう」

「今宵、能の舞台で祝言をあげられるらしい」
「人間風情が主様に見初められるなど果報者よ」
「まことに」

「人間など汚らわしい」
「主様もモノ好きなこと」

思い思いの言葉を口にし笑いさざめきながら、行き交う者は人に在らず。

百鬼夜行の妖だった。

一つ目、三つ目。
手が八つ。あしなが、てなが。
キツネや狸が人間さながらに着物を着て腕組みをし、
カランコロンと下駄の音を響かせながら、高森 要を追い越してゆく。
先生から持たされた呪符のおかげなのか、彼らは要が人間である事に気づきもしない。

妖怪なのに人間と同じように暮らしているのがなんだか面白い。
高森 要はそこが現世でないにも拘わらずなぜか懐かしい気持ちになった。
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