第337話 アナザー 護の笑えない理由 その21

文字数 710文字

 俺にそんな風雅な趣味はない。
 射たところで矢が的に当たるとも思えなかった。
「いいえ、俺には無理です」
「そんな事はないよ。高校から弓道をする人もいる。
 高森もやればきっとできる」
 先輩は右手にはめていたユガケを外し俺の右手にかぶせようとした。

 その時、頭上に静寂を破る羽音がした。
 見あげると一羽のカラスが空を舞っている。

 やがてカラスは弧を描いて弓道場内に舞い降りた。
 黒い羽根を折たたんで首を上下に振りながら先輩に近づいてくる。
 先輩はしゃがんで足元にやってきたカラスの顎を指先でなでてやった。

「このカラス、メスなんだけど僕の事、(つがい)だと思ってるんだ」
 そうだった。先輩の能力は生き物全体の意思疎通。
 向こうと同じだ。

「庭で怪我をして動けなくなってるのを助けて。
 それ以来、僕になついてしまって」
 俺はくすっと笑った。

「カラスに懐かれるなんて実に先輩らしいですね」
「高森、それ、ほめてないだろ」
「いいえ。誉め言葉です」
 先輩はそうでなくては。
 場の空気が和んだと思った瞬間、場内に怒気をはらんだ声が響いた。

「護、誰だ。そいつは」
 弓道場の入り口を見やると胴着と袴をつけた長身の男性が弓矢を携え立っていた。

 足元にいたカラスは羽を広げて空に舞い上がり、先輩は緊張した面持ちで立ち上がった。
 抜いた片袖をもとに戻して共襟を掻き合わせると声の主の方へと顏をむけた。

「……匠兄さん、彼は……その……僕の友人です」

 声が震えて、ものすごくぎこちない紹介だ。
 思わず先輩の顏を見てしまった。
 奥二重の双眸に怯えの色をたたえて先輩は顏を伏せた。
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