第44話 菊留先生の憂鬱 その10

文字数 963文字

暑い、のどが渇いた。

学校から直行で塾にやってきた佐藤仁(おれ)は近くのスーパーで買い物をしてから帰る事にした。

塾は大きなビルの三階にあって階段で上まであがり同じ教科を選択した5、6人の少人数で授業を受けるシステムになっている。

俺は中三の三学期に全教科習っていて高校に入ってからは、特に嫌いな英語、数学を選択し週二で通い続けている。

家に帰って一旦食事をしてくるわけじゃないからお腹がすく。買い食いはやむなしだ。

授業を終えた同じグループの何人かは俺と同じ思考だったらしく、ビルの階下に降りて外に出てから皆、迷わずスーパーに向かって歩いていた。

コンビニよりスーパーの方が若干値段が安い。
すぐそばのコンビニを利用しないのはそんな単純な理由からだ。

「佐藤が買い食いなんて珍しいね」
「えっ、ああっ、そうかな、僕、お腹すいちゃって」

ずり落ちた眼鏡を中指で直して気弱そうに笑って見せる。
俺と肩を並べて歩く彼は県立湖東商業高校に通う時枝正志。
一年近く塾で机を並べても彼に対する言葉は「僕」になってしまう。

俺は塾生を信用していなかった。彼らの前で僕でいる理由は彼らが俺に「本気出さない仁君」という不名誉なあだ名を進呈してくれたことに起因する。
塾生のほとんどは同じ中学に通っていた仲間だが、高校はバラバラになった。
目指す職業が違うのと、成績順に振り分けられる日本の受験システムでこのような結果になるのはやむ得ない。

三年近く塾に通って好成績をキープしてきた彼らに俺の存在は疎ましい限りだった。
それまで中学校の中間、期末の構内模試で上位に俺の名が挙がってくることはなかった。
それが塾に通い始めた二か月後の構内模試で一躍トップに躍り出た。

死に物狂いで勉強した結果だったがおかげでエリート面していたインテリ集団に目を付けられ
死ね」「ばか」「目ざわり」「むかつく」といったラブレターが靴箱や、机の中に蔓延し、受験までの残り二か月がとてもイヤな毎日になったのは言うまでもない。

他人を言葉で貶めたって何が変わるわけでもないのに、そういう事をしたがる彼らの心情が全く理解できなかった。

彼らと一線を画したい。
当時俺の内申では無理と言われた私立の開成南を急遽を受けた理由はその一言につきる。

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